花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

三重県と小津安二郎

2011年05月28日 | 諏訪商店街振興組合のこと
明治36年、小津安二郎は東京深川にある肥料問屋「湯浅屋」の次男として生まれました。小津家の出身地は和歌山県です。
安二郎10歳のとき、一家は郷里の松阪へ引っ越します。ここで小学校から代用教員になる20歳までの10年間を暮らしました。三重県には大変ご縁のある方なのです。
このころ書かれた中学時代の日誌が最近見つかりました。この日記から、映画への興味や、食べ盛りであった頃の小津の生活が伺われます。
     
宇治山田の中学校に寄宿生活をしていた安二郎は、松阪にある自宅への帰路、「赤福」をたびたび買ったと大正7年の日記にあります。

「2月10日
帰りは歩く へんば餅なし 宮川駅前でうどんや」
売り切れで買えなかったのでしょうか。
     
「5月26日
 二軒茶屋餅を買って喰らふ」
この頃、寄宿舎の近くに大正初年創業のうどん屋があり、禁止されている学校の目を盗んでは伊勢うどんを食べた記録がありました。
     
松阪の銘菓「老伴」も買っています。
監督になってからの小津には「小津グルメ手帖」があって、彼の食通が知られています。
昭和34年、小津監督は志摩を舞台に映画「浮草」を撮っていますが、うどんを食べに伊勢市まで車で駆けつけたそうです。
     
また、伊勢に訪れるたびに必ずといっていいほど松阪肉の「和田金」に立ち寄りました。
三重県には、ご縁の深い小津安二郎なのです。
    「小津安二郎と伊勢の味」 中村博男
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする