花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

26日 小津監督「お早よう」公開

2011年08月23日 | 諏訪商店街振興組合のこと
     
平成23年度 文化の駅サテライトステーション事業「小津安二郎再発見」。26日上映の映画は「お早よう」です。
この映画は昭和34年5月12日に封切られました。小津監督が、カラー作品に取り組んだ「彼岸花」に続く2作目の作品です。それだけに、色の効果を充分楽しみながら撮られているようです。
舞台は、堤の下に開けた新興住宅地。アパート郡の下に、新しい建売住宅がマッチ箱のように並んでいます。
     
この住宅で展開する日常のごくありふれた出来事が、この映画の内容のすべてです。些細な出来事。婦人会費を誰かがネコババした?とか、押し売りがやってきて困ったとか、テレビを買ってもらえない子供たちがストライキを起したとか、小さな事件が平和な日常の中で、ちょっとした波を起こしながらユーモラスに展開します。
     
小津監督は、昭和12年 34歳のときと、昭和18年、40歳のときに、戦地へ赴いています。二度目は戦争高揚の為の映画を撮る仕事でしたが、映画は完成することなくシンガポールで終戦を迎えています。平和であることは良いことだ。そうしみじみと感じながら小津監督はこの映画を撮られたことでしょう。
この映画の主役は子供たちです。小津監督は子供好きです。昭和7年に撮られたサイレント映画の傑作「生まれてはみたけれど」も子供が主人公でした。前半は子供の世界を生き生きと撮っています。ただ世界恐慌時代を反映して後半は深刻なものとなってしまいました。「お早よう」は、戦後の平和な時代を背景に監督が是非撮ってみたかった作品だったのです。
     
昭和34年といえば、伊勢湾台風が来た年です。「赤胴鈴之助」「月光仮面」「少年ジェット」「七色仮面」「まぼろし探偵」そして、「番頭はんと丁稚どん」「とんま天狗」「ポパイ」「ローハイド」「拳銃無宿」などが放送され、子供たちがテレビに釘付けとなりました。団塊の世代にとっては懐かしい時代ですネ。映画の中でも、テレビを買う買わないでひと悶着起きます。しかし、あれだけ子供たちに欲しがられ喜ばれたテレビも、結局は梱包の箱だけでその姿を見せずじまいでした。小津さんらしい撮り方です。
この映画が半世紀以上前に作られた作品であるにもかかわらず古さを感じさせないのは、再DVD化(DVDデジタル修復版)されたことばかりではありません。小津監督のセンスのよさが非現実的といえるほど画面の隅々に現われています。
中野翠さんは著書「小津ごのみ」でこう書いてみえます。
小津映画をさかのぼって何本か見ているうちに、「あらら」と驚き呆れたことがある。それは、縞と格子及びそれに準ずる幾何学模様への徹底した執着だった。女たちの着物がたいてい縞か格子(昔風に言うなら格子も縞のうちなのだが)であることはすぐわかったが、よく見れば、座布団、唐紙、カーテン、タオル、湯飲み茶碗や徳利の類まで、そういう好みで貫かれているのだった。
 私は、天井から下がる電灯のカサのデザインがとても好きです。