写真は、辻写真館さん前、諏訪劇場北の辻を西へ進む比丘尼町の大名行列の様子です。昭和32年9月27日四日市祭りの日、大名行列が辻さん店舗前を通過しました。昔から続けられていた 四日市祭りの大名行列は、上りの久六町と下りの比丘尼町がありました。
久六町の大名行列は江戸への行列を模したもの。行列の最後に「頼朝さん」と称する馬上に乗った少年武者が加わった。片足を軸先にして、もう一方の足を前に大きく上げてから進む姿が比丘尼町とは異なった。足を前へ上げる姿で江戸へ早く行きたいという気持ちを表したという。昭和20年の戦災で焼失。
久六町の大名行列
比丘尼町の大名行列は、駕籠が加わり、傘飛ばしの芸が披露された。片方の膝を曲げて、もう一方の足を後ろへ上げてから前へ進む。足を後ろへ上げる形で、江戸に名残りが惜しいという気持ちを表したものであるという。四日市の大名行列は、昔の姿を良く伝えていると、当時から評判であり。名古屋や横浜など各地の催しなどに出かけることが多くあったという。前田賢治氏著“四日市祭”より
比丘尼町の大名行列
戦災による消失で、久六町の大名行列復興が叶わなかったと思われ、昭和38年5月新町名・住居表示が施行され比丘尼町と九六町の表示は姿を消すこととなります。
昭和13年
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