目で見る郷土史 四日市のあゆみ 市制80周年記念刊行 より
椙山満監修 四日市の100年より
四日市祭りは諏訪神社例祭の余興として行われたもので、戦前北町にあった大山車には、330年前に山車が存在していたという記録があった。明治以前は毎年7月27日、維新の改暦後は8月28日となったが明治12年に疫病が流行したため以後9月27日となった。維新前は26日、ご陣屋前に練り物が勢ぞろいして順次演技を披露、維新後はこれが町練りとなり、28日は諏訪神社の社頭で神事にのっとり厳かに、そして絢爛豪華に演技を奉納、全部の練り物が帰町するのは深夜になったという。しかも帰途は帰り山車と言って練り物が変装するのでそれを見ようとする人たちで夜おそくまでにぎわったという。
椙山満監修 四日市の100年より
また、祭礼が近づくと全戸が格子戸を洗い、祭礼当日は戸毎に竹簾を垂れ、提灯を掲げ、商店や大家では表を開放して赤毛氈(もうせん)を敷きつめ、造り物や生花、金屏風を巡らして酒肴を振舞うなど祭礼気分に浸ったのである。
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