正解は保光苑でした。提供いただいた水谷宜夫さんありがとうございました。当時の絵はがきで散歩してみましょう。
陰の様子から北向きに撮られたものか?
明治39年、日露戦争の戦勝記念として、諏訪神社西の公園を“保光苑”と名付けられ市民に開放されました。そして、大正4年に大正天皇御大典記念で拡張、翌5年には諏訪公園と改称されたのです。これらの写真は、保光苑として紹介された絵はがきですから、明治期の物になります。
左が諏訪神社裏手になるか?よく整備されています。
本殿裏の池?北向き。この先に図書館が建つ予定ですが、それ以前には休憩場所のようなものが見える。
この写真も南から北向きに撮られたものだろう。左に大砲の弾が飾られる。昭和に入って突き当りに誓いの御柱が立てられます。
明治44年 西は田畑でも神社側には東海道が通っていたので、町の中だった。
中央が広場、神社側に池、北は森になっていたと想像されます。諏訪公園は、市民が集まる唯一の公園でした。歴史が語るように、日露戦争から太平洋戦争への流れの中で、ずっと戦意高揚に利用されてきたのではないでしょうか。あ 失言、戦後はメーデーの終点でした。
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