花の四日市スワマエ商店街

四日市の水谷仏具店です 譚

第1回情報部会開催!

2005年06月17日 | 四日市商店連合会です
 ここのところ休業状態の商連ホームページ「ホイホイタウン」http://www.hoi2.com/の再構築のため、最強スタッフが集まり情報部会が開かれた。
 といえば聞こえはいいが、武兵衛とコスモちゃんとの二人で、会議は細々と始まった。近年、ブログが盛んである。各商店街の動きや情報を、ブログで結ぶホームページにすれば、新しい情報が取り交わせるホイホイタウンになるのではないか。ということで、現在分かっているところ3名がブログを始めている。
 とりあえず、トップページを刷新。季節感を出したページにしようということになった。さて、それと平行して、やはりネット販売を目指したい。これは何度も挫折している。コスモちゃんは、ネット販売のプロ。これを利用しない手はない。
 ここで三崎さんと、テンちゃんが加わった。俄然、内容が面白くなってきた。テンちゃんは、ブログに何を書いていいのか分からない、という。自店の商品の説明でかまわない(コスモちゃんのブログhttp://juta.at.webry.info/)。毎日の日記でかまわない(やなやさんhttp://plaza.rakuten.co.jp/yanahahaha/)出来ればカテゴリーに商店街の動きを加えたい。
 そこから自店のホームページへつなぐ。ホームページは自分で書き換えることが必須。今後、このための勉強会を始める。三崎さんは、けっこうITの勉強をしている。これも利用しない手はない。
 テンちゃんは、ネット販売に意欲的だ。コスモちゃんは、まずネットオークションから入り、体験を積むことだと言う。ただ、オークションのみに終わってはならない。信用ある自店のホームページを持つことが大切とのこと。
 ページが出来たら、頻繁に自分で書き換えること。そして検索エンジンにひっかかる工夫が大切だということだ。
 ホイホイタウンがリニューアルされる。乞うご期待!

懺悔!泥棒は、はじまりです

2005年06月15日 | レモン色の町
 一昨日の写真。諏訪駅跡地からちょうど右を向いたところの絵です。諏訪マーケットが建っていました。諏訪マーケットの中はこの字型の通路になっていて、八百屋さん、下駄屋さん、文房具屋さん、化粧品屋さん、魚屋さんとあらゆるお店が並んでいました。
 入り口に凌霜書房と書いた看板の本屋さんがあります。おばさんが、カメラを向ける辻さんを見ています。白揚書房は覚えていますが、凌霜書房は覚えがありません。辻さんによると白揚のおばにあたる方だそうです。
 当時は月刊誌が隆盛を誇っていました。おもしろブック・少年・冒険王・ぼくら・リボン・なかよし等、付録ではちきれんばかりの本が紐でくくられていました。
 お正月特別号はたくさんの付録でした。増刊号も出ました。月初めが待ち遠しく、学校から帰ると、本屋さんの前へ飛んでいきました。
 さて、今月はどれを買おうか。生来、性格として決断力が弱い上に、まだ子供です。いつまでも店の前で迷い続けます。やがて私はとんでもないことを思いつきました。
「こちらの付録をこちらに入れてっと。チョットこっちのもこちらへっと」自分の買おうと決めた雑誌に、あっちこっちの付録を詰め込みだしました。おばさんが、前に立ってにらんでいるにもかかわらずです。よほど欲しかったのでしょう。「ハイ!これください」
 おばさんはさっさと、しかも正確に、挟んである付録を元の雑誌に戻しました。あっけにとられているおいらの前に、袋を突き出します。お金を払うと雑誌を抱えて全速力で帰りました。
 家に帰ってそのことを話すと、姉ちゃんは怖い顔をしてこういいました。
 あかんよ~泥棒は、嘘つきのはじまりやにぃ~

拝啓 街づくり協議会殿

2005年06月14日 | おいらの商店街
 昨夜、イベント「お諏訪さんにいらっしゃい」の第3回準備会が恵比須堂で行われました。
 だっくす亭さんがお忙しい中、暇にまかせて?屋台の模型を作ってこられました。器用な方であります。
 8月中旬から、広い公園通りを舞台に、地産地消を生かした屋台村を出して、あわせてイベントで盛り上げ、三番街から表参道スワマエへの回遊を図れないかと考案中でございます。
 以前、駅前商店街が活発なりし頃は、四日の市実行委員会様が、公園通りや諏訪公園で、様々なるイベントを展開してまいりました。苔族にとりましても、過去の体験が思い出としてよみがえるわけでありますが、結果、心地よい疲れのみが脳裏に残ったというところが、現実であります。
 今、苔族の経験と新しく街へ参入した新族の意欲で、新しい催事に取り組んでいこうと計画中です。
 屋台は江戸時代の雰囲気で、揚げ物が中心。イベントは、ファッションショー・吉本漫才・ダンス・ライブ等のストリートパフォーマンス。これらが諏訪栄に出現の際には、街は賑やかになること請け合いでございます。
 そして、このイベントを一過性のものに終わらせず、継続性を持たせた催事で街全体の元気に繋げていきたい、これがわれわれの望みです。
 次回の会議は、6月27日(月)午後7時よりハロースペース2階にて、諏訪栄町街づくり協議会様へ「お諏訪さんにいらっしゃい」第1回実行委員会として開催していただけないかと申請いたします。
 いろいろ勝手を申しますが、どうかよろしくお願い申し上げます。
                      敬具

昭和33年7月の変態譚

2005年06月13日 | レモン色の町
 辻さんの写真です。昨日の写真から、10メーターほど後ろへさがった位置から撮ってあります。映画の看板からその位置がお分かりと思います。諏訪劇場では東映時代劇、片岡知恵蔵の「新撰組」が上映中であります。
 時が経ち、今日は、昭和33年7月22日。諏訪駅はなくなり、右側に駅前だった諏訪マーケットが店を開いています。取り壊されて諏訪百貨店になる日を待っているようです。線路は取り払われて、現在の1番街の通りが形成されていきます。
 この頃。ちょうどおいらが小学4年生の頃。転勤してきた子のTさんは、われらがクラスのマドンナでした。美人でかわいかった。2年間ほど居て、また、どこか他の勤務先へ引っ越していきました。
 さて、おいら5人くらいでマドンナを守る会が結成されました。彼女の家の周辺で遊んでいましたが、やがて、彼女の家へ入り込んで遊びました。たんすの中から服を引っ張り出し、その服をいっぱい着込んで、座っているのが誰かを、Tさんに当ててもらうゲームでした。
 家へ帰り、風呂に入る時、彼女の毛糸のチョッキを着込んで来てしまったことに気づきました。それは紺色のチョッキでありました。私は、わたくしは、お風呂へ入るのも忘れて、いつまでも、いつまでも、そのチョッキの匂いを嗅いでおりました。私の変態の芽は、この頃すでに成長し始めていたので せうか?
 また、ある日、自慢家でありますS君の誕生会に誘われました。誕生会パーティなんて、当時としては、よほど恵まれた家庭でないと出来ません。下校したその足で、おいら3人は、早速S君ちへ出かけました。
 しばらく庭でキャッチボールをしていたら、S君のお母さんが呼びます。縁側に3人が座るとお母さんは、自家製の散らし寿司を盛った皿を三つドンと廊下におきました。お母さんとS君の目を気にしながら、おいらは遠慮がちに散らし寿司をいただきました。S君ちは、以前、旅館だったそうで、お伺いした当時は、すでに廃屋でございました。
おいら3人は、食べ終わるが早いか、飛んで帰りました。おしま~い

昭和30年の諏訪駅周辺

2005年06月12日 | レモン色の町
 昭和30年頃の諏訪駅前の写真、私の一番好きな絵です。この頃、辻写真館の辻俊文さんが、変わり行く中心街の様子をカメラに収めてみえます。諏訪駅が取り壊されて、今の街が造られていく頃、それは戦後から高度成長期に向かう前の、人々の生活習慣が変わりつつある時代の町の様子でした。
 町行く人にカメラを向けても、あまり嫌がられなかったのは、当時カメラはまだ珍しい時代だったからだと、辻さんはおっしゃいます。
 駅を降りて右側に諏訪マーケットを見ながら進みます。ここの十字路を左に向かい、踏切を越して行くと突き当たりに諏訪公園があります。また、右方向。田中医院のある狭い路地を抜けると諏訪劇場(諏訪東映)へ出ました。今はジャスコ跡地になっています。
 当時、映画は大きな娯楽のひとつで、映画の看板が挙がっています。駅を降りると嫌でも目に入りますね。2本立て、3本立てがあたりまえで、毎週番組が変わっていました。チャンバラの全盛期です。「笛吹き童子」「紅孔雀」そして「大菩薩峠」「一心太助」「怪傑黒頭巾」、ひばりとチエミの何とか道中、何とかの清水港とよく観にいきました。大菩薩峠は異色ですが、われわれの小さい頃は、勧善懲悪主義でした。ええもんか、悪もん。世の中にはこの二つしかないと信じていました。お遊びでも年上の子供がいつも正義の味方でした。おいらはその子分。悪もんは?どこにいたのでせう。
 まっすぐに進むと右に三四百貨店があります。今のスーパーサンシです。当時は共同経営で、1階が食品売り場になったのはもう少しあとだと思います。それまでは何を並べていたのか?2階には文具や切手の店が入っていました。確か食堂もありました。この通りの左には飲食店が多く、線路を背にした小さい店が並んでいます。そして旧東海道へ出るのです。酔っ払いが寝ていた踏切のあるところです。
 この写真では、学生や子供の姿が目に付きます。6月の午後4時頃といったところでしょうか?
今朝まで降っていた雨が上がって陽の射す、諏訪駅前の様子です。

 今日は表参道スワマエで、マックのライブがありました。私は、午前中に、すばらしいお客さんがみえたので、その方のお家まで事情を説明に行ってました。マックさん聞けなくてごめん!
つかれ~たああ・ああぁ

サーカスのうた

2005年06月11日 | レモン色の町
 この地図は昭和30年頃のものです。岡野繁松氏から拝借しました。
 上から下へ旧東海道が通っています。戦後、新しくクロスするように国道1号線が出来ました。国鉄四日市駅(JR)の右方向から延びた線路は、諏訪駅を通って上の名古屋方面へ向かっています。近鉄線です。線路が街を横断していました。
 諏訪駅は、昭和32年頃現在の近鉄四日市駅へ移転しました。これは四日市の商店街の形成にとって一大事件でした。諏訪神社より東へ伸びる諏訪新道から、商店街の中心が大きく新しい駅前へ移動したのです。現在の1番街です。
 武兵衛にとってこの頃の四日市はとても懐かしい町です。旧東海道と近鉄線が交差する地点から北側。ここから諏訪神社前までが表参道スワマエです。
 この踏切を渡って小学校へかよう朝、線路横によくおじさんがひっくり返って寝ていました。当時のお酒は目が潰れるほど強く、意識不明になって倒れていたのでしょう。いつも同じ場所でしたから、今思うと同じ人だった可能性が有ります。チョット触ってみたい気もしましたが、怪人20面相みたいにむっくり起き上がると怖いので小林少年はやめました。捕まってサーカスにでも売られたら大変です。酢を飲まされても軽業は出来ません。下に網が張ってあっても空中ブランコはごめんです。けど、サーカスの女の子はかわいいかな?
 少しの間、学校へサーカスの子が通っていたことが有ります。あんまりかわいい子はいなかったみたい。一緒に遊んだ記憶はありません。すぐにその子は学校からいなくなりました。次の開催地へ旅立ったのでしょう。チョットうらやましい。
 踏切を渡って南へ、新しい駅前通りになる現在の中央通りは、当時草ぼうぼうの空き地でした。ここを横断して浜田小学校へ通学します。これが冬は鈴鹿おろしの吹く寒いところで、身を縮めて走り抜けました。夏になると、殿様バッタが取れる格好の場所でした。背伸びをすると草原の向こうに家並びが望めました。見える間は家へ帰れます。見えなくなると子取りに連れて行かれます。
 街が新しく変わっていくまでの、あちこちに出来る空き地は、子供たちにとっても冒険心をくすぐる探検の地であったのです。
 今回のタイトル、なんでサーカスのうたなの?

江戸時代大好き!

2005年06月10日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
 江戸時代が大好きです。十数年前、ブームになりました。それから好きです。
 新潮文庫から、杉浦日向子さんの「一日江戸人」が新刊で出ました。これどこかほかのところが出してました。新刊ではないみたい。
 なして江戸が好きになったのか?のんびりしたところが良かったのでしょう。人生に疲れていたのかも?
 昭和30年代までは昔の習性が色濃く残っていた、子供の頃の、その辺の懐古趣味が手伝ってかも知れまへん。低成長期に入って、癒し薬で古き良き昔を・・・・というあたりでしょうか?
 「一日江戸人」は、いわば江戸時代の雰囲気を日向子流にさらっと味わうにはもってこいです。漫画家でもある杉浦さんは、豊富な絵で江戸の町を散策させてくれます。漫画の中の文字が細かいので、老眼の域に進みつつあるおいらには読めへん!虫眼鏡持参をお勧めします。
 静かで、夜は真っ暗になる江戸の町。振り売りの声があちこちからかすかに聞こえてくるような、潮の匂いと、緑の香りがしてくるそんな町です。
 江戸の下町は、男が圧倒的に多く女性は貴重でした。10軒長屋でも2~3軒位しか所帯を持ってなくて、亭主が出張で1月でも居ない場合は、まわり近所の男性が、せっせと夜這いに押しかけたそうです。油断もすきもない。それだけセックスにはおおらかだったみたいです。
 ススム会長が来て、雑談ばかりしているのでふ、筆が進みませ~ん。
江戸の話はまた今度。

そろそろ夏のお祭り準備

2005年06月07日 | 四日市商店連合会です
 昨日、四日市商店連合会の事務所を恐る恐る覗いたら、コスモちゃんが居た。お祭りに配る甕破り山車のうちわを作ろうか?作るまいか?と悩んでいるところだった。
 昨年までは、夏の祭りと秋の祭りの2回にわたって山車をまわしていたが、今年からそれぞれの祭りに特色をつけることになった。
 夏は諏訪太鼓や、踊りフェスタなど市民のお祭り色を出し。秋は山車中心の祭りになるそうだ。昭和34年頃までは夏は港まつり、秋は四日市祭りとまったく違ったおまつりだったが、伊勢湾台風以後、夏の大四日市祭りに統合された。
 7~8年前、秋の諏訪神社大祭に合わせた祭りを復活させたいという動きが起こり、秋の四日市まつりとして今日に至っている。徐々に昔に戻したいという訳だ。
 夏、一気に山車をなくすと賑わいに影響があるので、毎年違ったテーマを決めて、一部の山車を披露する。今年は、鯨舟。来年はからくり山車か?
 ということで、悩んでいたコスモちゃん。夏は8月の第1土曜日しか甕破り山車を出さないので、団扇はやめとこうか?ということになった、らしい。決めてしまうと至って爽やかな顔だ。何か他の物を考えてください。
 今日は、病院へ、先日の糖尿の検査結果を聞きに行った。意外にも結果はよかった。「ずいぶん節制されていますね」と男先生に聞かれたが、「別にな~んも」と答えておいた。内心はうれしかった。受付で、こんなとき祝儀を出すもんでしょうか?と聞こうと思った、が、やめた。本日、女先生の検査はなかった。
 腹八分目に医者要らずというが、わたしゃ、腹六分目で医者通い、だ。
 石焼ビビンバの韓屋さんがオープンして3日目だ。食べに来て!おいしいよ!

ジャスコ跡

2005年06月06日 | おいらの商店街
 四日市の駅を降りると、広大な空き地が目に付く。ジャスコA館とB館の跡地だ。街の空洞化の象徴みたいだった。だった、というのは今日A館跡地の前を通りかかったら、どうやらボーリングをしている模様。地質調査のためらしい。帰りにB館跡地に来たら、そこでも同じようにやっている。
 愈々マンションとホテル建設にかかるのか?辻さんに立ち寄って聞いてみた。
「そろそろ始めるのと違うか?いつまでも空き地のままでは困るもの」
 建設へ向けて動き出したか?以前はいろいろうわさが乱れ飛んでいたが、うわさも疲れてしまった様子で、一向に聞こえてこない。
 1日も早い建設へ向けての動きに、期待したい。
 今、会長のススム君が来て話すのに、土地の持ち主であるジェックさんに「よさこいソーラン」のための会場に使わして欲しいと申し入れに行ったら、10月30日段階では、建設のための鉄骨の資材置き場になっているので、とお断りをされたらしい。イベントに使えないのは残念だが、どうやら本格的に始動する模様。
 ススム君、あれほどあちこちに顔を出すなと忠告したのに、あんたも好きねえ。
6月11日一部内容に誤りがあったため、訂正いたしました。ススムくん分かった?

映画「続 ミリオンダラー・ベイビー」

2005年06月05日 | わたくしごと、つまり個人的なこと
 映画「ミリオンダラー・ベイビー」のプロローグは一昨日書いた。映画に興味のない方も読んでみて欲しい。何とか街づくりにこじつけようと思っています。
 DVDと違い、シネマズ109で見る映画は、ドルビーサウンドとか言ってすごい音響である。予告編ですっかりくたびれてしまった。そして心地よい熟睡。
 ふと目を覚ました。ロスアンゼルスで小さなジムを経営するフランキー(クリント・イーストウッド)のところへ、マギー(ヒラリー・スワンク)と名乗る30歳代の女性がボクシングを教えて欲しいと頼みに来る。女性のコーチは嫌だと断るフランキーだが、ジムのスクラップ(モーガン・フリーマン)の勧めもあり、練習をみることになる。
 ハングリー精神旺盛なマギーの上達ぶりは目覚しかった。1ラウンド、ノックアウトの試合を次々にこなして行く。このシーンは迫力がある。ボクシングの頂点を目指して突き進んでいく二人なのだが・・・。
 これは、ボクシングの映画であるが、訴えかけるテーマはもっと重い。人の生き様みたいなものを問いかけてくる。己の人生に、剥がれるほどの力で爪あとを残していくマギー。
 フランキーとスクラップの話の掛け合いも面白い。机に足を投げ出して座っているスクラップの靴下を見て、フランキーは、「穴が開いているぞ。金をやるから靴下を買ってこい」「風通しがいいんだ。夜寝るときにはくよ」「だから、買ってこい」「昼はく靴下はもっと穴が開いている。金を手にしても、どうせ競馬に使っちまうんだ」。
 そして、あの日のあの事件?の後、肩を落としているフランキーに雑用係のスクラップは語る「人生なんて便所掃除をして、そして死んでいく。マギーは幸せさ」と。
 年老いたスクラップの含蓄あることば。なぜスクラップと呼ばれているのか。そしてマギーの人生。
最後に「モ・クシュラ」の意味をフランキーから聞かされた時、泣けてしまった。武兵衛は泣き虫なのです。
 人は人生に先が見えてくると、何か足跡を残したいと考えるものではないだろうか。衰退しつつある街に、小さな旗の一本でも立てようと思う。ささやかな引っかき傷を、この四日市の商店街に残して行きたい、と、お断りしておきますが、武兵衛は思っただけです。
 いかがですか?「ミリオンダラー・ベイビー」観る気になりましたか?DVDのレンタルを待たずに、是非、映画館でゆっくりと、お金を払って、観てくらはい。1,000円で観られる日があります。
追伸
 内容を、出来るだけ伏せて書くのに苦労しました。