『日本文学史序説』(ちくま文庫)上巻pp.260-272によれば、概要つぎのとおり。
(1)成立年代
12世紀前半。1120年頃という説が有力。
(2)著者
不明だが、大寺の僧が説教の材料として編集したらしい。
大衆に向かって話すため僧侶が読むことを期待して編まれたらしい。
文章には明らかな統一がある。
(2)舞台と登場人物
『源氏物語』や『大鏡』が京都を舞台とし、貴族社会を対象としたのに対し、『今昔物語』では日本六十余州のほとんどが舞台となり、皇族や貴族、僧侶や学者のみならず社会各層のあらゆる人物が登場している。
(4)仏教
『今昔物語』の仏教の功徳は、主に浄土、生命の危機脱出、蘇生、富の4カテゴリーに要約される。
『今昔物語』の仏教は、平安時代の二大宗派、天台と真言をふまえ、10世紀末から盛んになった浄土教の著しい影響を加えていた。
『今昔物語』の仏教は、来るべき鎌倉仏教と異なり、人生に対して否定的であるよりは肯定的、悲観的であるよりは楽天的である。
『今昔物語』の仏教の彼岸性は、『往生要集』以後の日本浄土教に負う。編者の意図は彼岸性にあったかもしれないが、話の大多数が此岸的であるのは、大衆の態度の忠実な反映と考えられる。
(5)脱仏教
仏教と関係ない話も少なくない。
それどころか、しばしば痛烈に偶像破壊的な調子さえも帯びることがある。
(6)性
『源氏物語』以後の宮廷文学は恋愛心理から性的倒錯に向かったが、『今昔物語』の性は直接的、即物的である。
編者の性的平等主義は、宮廷を例外としなかった。
『今昔物語』と『源氏物語』およびそれ以後の宮廷文学との著しい違いは、前者になんの禁忌もなく、後者に禁忌が多かった点にある。性的平安時代は、二面性をそなえ、その二面性は支配層と被支配層の社会構造と密接に結びついていた。
(7)人物世界
『今昔物語』の人物世界は、また行動の世界である。
行動の世界は、主として「巻25」にあつめられた武士の話に典型的である。ここでは、単に行動的であるのみならず、初期の武士層の価値体系を見事に体現している。
(8)先進性
「けだし『今昔物語』の偉大さは、現にあるものを直視して描き切ったということにだけあるのではない。やがて来るべきものさえも、見ぬいていたということにある。鎌倉時代、--あのおどろくべき転換期は、ただ12世紀前半のこの作者にとってだけは、すでに戸口まできていたのである」
(9)その他
短い説話をあつめ、説話をおおまかに分類しているが、その分類以外に全体をまとめるどのようなすじ立ても指導的な思想もない。(『序説』上巻p.22)
日本文学の社会学的特徴の一つは、作家がその属する集団によく組みこまれていたことだ。そして、その集団が外部に対して閉鎖的傾向をもっていたことだ。
それは、文学が支配階級の文化または支配体制の全体へ組みこまれていたことをしめす。
ただし、支配階級に組みこまれないで逃避する「隠者文学」もあった。「隠者」は文壇という集団に組みこまれた(五山の禅僧たちの詩壇、大衆社会の同人雑誌、ほか)。
文学者が集団へ組みこまれるこのような傾向は、日本文学の素材を限定した要因である。
『今昔物語』本朝篇は、偉大な例外であった。(『序説』上巻pp.29-32)
『今昔物語』(本朝篇世俗)の世界観的背景に「日本化」された外来思想のあらゆる段階があった。(『序説』上巻p.41)
「『今昔物語』(本朝篇世俗)の徹底した現実主義」(『序説』上巻p.78)。
「稀にみる散文家」(『序説』上巻p.134)。
9世紀末10世紀初(推定)には、まったく対照的な『竹取物語』と『伊勢物語』があり、前者はその緊密な構成において、後者は心理的に微妙な状況の多様性において『土佐日記』を抜いていた。両者が出会うとき、平安時代の散文の最高作品、『源氏物語』と『今昔物語』が成立した。(『序説』上巻p.170)
「実際的な厳正主義、此岸的な世界観」(『序説』上巻p.187)。
『今昔物語』の呪術的な奇蹟譚・・・・天台の浄土宗との共通点は「念仏」以外にない。これは「念仏宗」であるかもしれないが、「浄土宗」ではなかろう。大衆の関心は、死後浄土へ行くかどうかではなく、今此処で何がおこるか、という点に集中していた。(『序説』上巻p.196)
「『今昔物語』(本朝篇世俗)以来の土着世界観」(『序説』上巻p.403)。
【参考】『日本文学史序説』上巻(ちくま文庫、1999)
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(1)成立年代
12世紀前半。1120年頃という説が有力。
(2)著者
不明だが、大寺の僧が説教の材料として編集したらしい。
大衆に向かって話すため僧侶が読むことを期待して編まれたらしい。
文章には明らかな統一がある。
(2)舞台と登場人物
『源氏物語』や『大鏡』が京都を舞台とし、貴族社会を対象としたのに対し、『今昔物語』では日本六十余州のほとんどが舞台となり、皇族や貴族、僧侶や学者のみならず社会各層のあらゆる人物が登場している。
(4)仏教
『今昔物語』の仏教の功徳は、主に浄土、生命の危機脱出、蘇生、富の4カテゴリーに要約される。
『今昔物語』の仏教は、平安時代の二大宗派、天台と真言をふまえ、10世紀末から盛んになった浄土教の著しい影響を加えていた。
『今昔物語』の仏教は、来るべき鎌倉仏教と異なり、人生に対して否定的であるよりは肯定的、悲観的であるよりは楽天的である。
『今昔物語』の仏教の彼岸性は、『往生要集』以後の日本浄土教に負う。編者の意図は彼岸性にあったかもしれないが、話の大多数が此岸的であるのは、大衆の態度の忠実な反映と考えられる。
(5)脱仏教
仏教と関係ない話も少なくない。
それどころか、しばしば痛烈に偶像破壊的な調子さえも帯びることがある。
(6)性
『源氏物語』以後の宮廷文学は恋愛心理から性的倒錯に向かったが、『今昔物語』の性は直接的、即物的である。
編者の性的平等主義は、宮廷を例外としなかった。
『今昔物語』と『源氏物語』およびそれ以後の宮廷文学との著しい違いは、前者になんの禁忌もなく、後者に禁忌が多かった点にある。性的平安時代は、二面性をそなえ、その二面性は支配層と被支配層の社会構造と密接に結びついていた。
(7)人物世界
『今昔物語』の人物世界は、また行動の世界である。
行動の世界は、主として「巻25」にあつめられた武士の話に典型的である。ここでは、単に行動的であるのみならず、初期の武士層の価値体系を見事に体現している。
(8)先進性
「けだし『今昔物語』の偉大さは、現にあるものを直視して描き切ったということにだけあるのではない。やがて来るべきものさえも、見ぬいていたということにある。鎌倉時代、--あのおどろくべき転換期は、ただ12世紀前半のこの作者にとってだけは、すでに戸口まできていたのである」
(9)その他
短い説話をあつめ、説話をおおまかに分類しているが、その分類以外に全体をまとめるどのようなすじ立ても指導的な思想もない。(『序説』上巻p.22)
日本文学の社会学的特徴の一つは、作家がその属する集団によく組みこまれていたことだ。そして、その集団が外部に対して閉鎖的傾向をもっていたことだ。
それは、文学が支配階級の文化または支配体制の全体へ組みこまれていたことをしめす。
ただし、支配階級に組みこまれないで逃避する「隠者文学」もあった。「隠者」は文壇という集団に組みこまれた(五山の禅僧たちの詩壇、大衆社会の同人雑誌、ほか)。
文学者が集団へ組みこまれるこのような傾向は、日本文学の素材を限定した要因である。
『今昔物語』本朝篇は、偉大な例外であった。(『序説』上巻pp.29-32)
『今昔物語』(本朝篇世俗)の世界観的背景に「日本化」された外来思想のあらゆる段階があった。(『序説』上巻p.41)
「『今昔物語』(本朝篇世俗)の徹底した現実主義」(『序説』上巻p.78)。
「稀にみる散文家」(『序説』上巻p.134)。
9世紀末10世紀初(推定)には、まったく対照的な『竹取物語』と『伊勢物語』があり、前者はその緊密な構成において、後者は心理的に微妙な状況の多様性において『土佐日記』を抜いていた。両者が出会うとき、平安時代の散文の最高作品、『源氏物語』と『今昔物語』が成立した。(『序説』上巻p.170)
「実際的な厳正主義、此岸的な世界観」(『序説』上巻p.187)。
『今昔物語』の呪術的な奇蹟譚・・・・天台の浄土宗との共通点は「念仏」以外にない。これは「念仏宗」であるかもしれないが、「浄土宗」ではなかろう。大衆の関心は、死後浄土へ行くかどうかではなく、今此処で何がおこるか、という点に集中していた。(『序説』上巻p.196)
「『今昔物語』(本朝篇世俗)以来の土着世界観」(『序説』上巻p.403)。
【参考】『日本文学史序説』上巻(ちくま文庫、1999)
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