語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『心で見る世界』

2016年03月20日 | 心理
 刊行年次はいささか古いし、新書という手軽な仕立ての本だが、見かけに騙されてはならない。精神医学的人間学の佳作である。

 人間の心は、本書刊行から半世紀へた今もさほど大きくは変わってない、と思う。
 たとえば、空間と心の関係。
 駅のプラットホームで親族や友人を見送った後、出口へ向かって歩いていく方向が、列車の進行方向か逆かによって別れの実感が違ってくる。出口が列車の進行方向なら、見送ってやったのだ、という思いがしみじみと湧くに違いない。ところが、逆方向だと、彼/彼女との間が引き離されたというやりきれなさを感じたりする。

 あるいは、時間と心の関係。
 アウシュビッツ収容所におけるV・フランクルの体験によれば、常にぶつけられる悪意のこもった難癖のせいで、囚人は時間がほとんど限りなく続くように思われた。ところが、もっと大きな時間単位、たとえば1週間というものは気味の悪いほど速く過ぎ去っていった。「収容所では1日の長さは1週間よりも長い、というと、仲間はいつも賛成してくれた」
 似た体験は、私たちの日常にもある。
 忙しすぎる1日はあっという間に過ぎ去るが、後で振り返るとたいへん濃密な、長い時間だったと思われるのに対して、のんびりと寝ころんで過ごした休日は、後日振り返ると一瞬のうちに過ぎていったような気がする(内的時間意識)。

 第1部「心で見ること」は、感情を体系的に分析した『感情の世界』(岩波新書、1962)で、第2部「人間の世界」は精神医学的人生論『生きるとは何か』(岩波新書、1974)で、第3部「孤独」は、孤独の諸相を整理した『孤独の世界』(中公新書、1970)でさらに詳しく論じられる。第4部「現代に生きる人間」は、『現代人の心』(中公新書、1965)で展開されている。

 要するに、本書及びその後書き継がれた島崎敏樹のエッセイ群は、繊細にしてするどい観察と、論理的にして豊かな学識がとけあって、今なお読ませる人間学である。と同時に先鋭な文明批評となっている。ヤスパースの現象学と文明批評が背後にある。
 文明批評の側面を展開させたのが『心の風物誌』(岩波新書、1963)及び『幻想の現代』(岩波新書、1969)だ。とりあげた素材は、さすがに時代の変化を感じさせるが、時評の底を流れる慎ましくも古風な日本人の心は、小泉八雲の怪談のように、今もって新鮮だ。

□島崎敏樹『心で見る世界』(岩波新書、1960)


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