語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【池大雅】浅間山から望む富士と筑波 ~旅する画家(2)~

2018年04月26日 | 批評・思想
作品番号108 浅間山真景図 池大雅筆 自賛
     紙本墨画淡彩 一幅 57.3×102.9cm 江戸時代 18世紀

★浅間山から望む富士と筑波
 宝暦十年(1760)、大雅は友人の高芙蓉、韓天寿とともに白山・立山・富士山の三霊山を踏破する旅に出た。本作は、その旅の途次、信州・浅間山に登った際のスケッチをもとに制作されたと考えられている。構想のもとになったと見られるスケッチは「三岳紀行図屏風」(作品番号111)に残されており、浅間山を描く複数の図を合成することで本作が成立していることがわかる。
 画面右前景に大きく描かれるのが浅間山で、大雅一行が登り風景を眺望した場所である。したがって、ここに描かれているのは彼らが現実に見た視覚の再現ではなく、あくまでもそれに基づき構想された絵だということになる。山裾には軽井沢などふもとの集落が描かれており、画面空間はこの辺りから左上、右上の二方向に広がりを見せる。左上には利根川が蛇行し、その先に筑波山が描かれている。一方、右上には荒々しい山肌を見せる妙義山などの山々が連なり、視線を導くその先には小さく富士山が見える。大雅は浅間山から見えた富士山の様子を何度もスケッチしており、その感動が本作の制作動機だったとも考えられる。
 細かな筆致を重ねて描き出された地形の起伏、西洋銅版画から学んだと推測されている自然な遠近表現は、大雅の真景図のなかでも傑出した出来栄えを示し、江戸時代の風景表現としても極めて重要な作品である。宝暦12年(1762)の「比叡山真景図」(作品番号109)と共通する画面構成や色感等から30歳代末頃の作と考えられており、同13年(1763)の「富岳・終南山・早發白帝城図」(作品番号118)の左端に本作と類似する川の描写が見られることからも首肯できる。
 自賛は鶴亭筆「浅間山真景図」(作品番号16)と基本的に同じ「雲簇東西南北嶺、烟披十萬八千嵒」(雲は簇(むら)がる東西南北の嶺、烟(もや)は披(し)十萬八千の嵒(いわお))で、「奉以龍門祇園先生」(龍門祇園先生に以(しめ)し奉る)とある。大雅が本作を贈ったという「龍門祇園先生」については、いまのところ祇園南海の息子尚濂を指すという見方が主流となっている。ただ、これには確たる根拠があってのことではなく、紀州藩医だった宮瀬龍門(1719~71)である可能性も否定しきれないように思われる。

□京都国立博物館、読売新聞社『池大雅 天衣無縫の旅の画家』(読売新聞社、2018)の「第5章 旅する画家--日本の風景を描く」の「作品番号108 浅間山真景図」を引用

 【参考】
【池大雅】旅する画家--日本の風景を描く

 池大雅「浅間山真景図」 
 

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