1月9日の日曜日、前から光が丘公園には行ってみたいと思ってた光が丘公園に行ってきました。
そこのバードサンクチュアリでオオタカを見ることができました。
オオタカを見るのは初めてです。
遠くの木にとまっていましたし、枯葉の色と似ているので普通なら分らないところですが
(多分)ボランティアさんが教えてくださったのです。
「オオタカがいるよ」
と声をかけて下さりあらかじめオオタカを捉えていた備え付けの望遠鏡を覗かせてくれました。
オオタカって何だか、もっと山奥に住んでいるみたいに思ってましたが
皇居にもオオタカがいると聞きましたし、意外と人の近くにいるのですね。
オオタカだか何だかわかんない写真なのですが・・・
赤い丸の中にオオタカがいます。

トリミングしてみました。
ボケボケですが何だか鳥のようなものが見えます。

オオタカって聞くと「オオ」がつくんだからもっと大きいのかと思っていましたが
カラスと違わないくらいの大きさなのですね。
大きさだけで言うとトンビの方が大きいのですね。
し、知らなかった~~~恥かも。
そして、鴨池のカモには驚きました。
池のほとりに立つと、カモがこちらに突進してくるのです。
カモですよ、多分野生のカモ。
自然教育園に行った時も、カメが寄ってくるのを見ましたが
それと同じ感じでした。
ここのカモは餌付けされているのみたいです。
カモはエサをくれないとわかると、違う人たちの所に行きました。
そっか~~、都会のカモは人慣れしてるんですね。
カモと言い、カメと言い、コイと言い、
都会に住むものは皆、人に寄ってくるのですね。
びっくりしてウロタエタので、写真ナシです。
光が丘公園
煙突は清掃工場の煙突です。

屋敷森跡地

光が丘公園から成増駅まで歩き、高島平方面行きのバスに乗ったのですが
そのバスで地元の奥さんが話しかけてきました。
都会の人は知らない人に話しかけられても知らんふりを決め込む人が多いのですが
私は、ほら、根っからの田舎者ですので、ついつい話にのってしまいます。
それで、とうとう、その奥さんがバスを降りるまで話してしまいました。
と言うか、奥さんが主に話したのですが。
その奥さんは79歳で、地元で生まれ育った人でした。
昔とはすっかり様子が変わってどこがどこだか分らなくなったそうです。
「小さい頃は、ここらは畑しかなかったのよ
小さな川が流れていて、その川で泳いだものよ」
バス通りにある今でも畑の残る農家を指して、
「ここはね、昔は桶屋だったのよ」
桶って何の桶です?漬物桶ですか?と聞くと
「違うよ、下肥を運ぶ桶よ」と言います。
農家には必需品だったのでしょう。
ちょっとビックリしました。
60年、70年前は、ここら辺は農村地帯だったのですね。
今の様子からは想像もつきません。
光が丘公園の屋敷森跡にあったであろう様な農家が点在する喉かな風景だったのでしょう。
思えば、東京の街ほど昔と変わった所もないのではと思います。
私の故郷などは変わった事は変わりましたが
山はそこにあり、田んぼも畑も川もそこにあります。
川も田んぼも畑も埋められ、どこがどこだか分らなくなったふるさと。
何だか寂しいなぁと思いました。
もう再び会う事もない奥さん、どうかお元気で。
そこのバードサンクチュアリでオオタカを見ることができました。
オオタカを見るのは初めてです。
遠くの木にとまっていましたし、枯葉の色と似ているので普通なら分らないところですが
(多分)ボランティアさんが教えてくださったのです。
「オオタカがいるよ」
と声をかけて下さりあらかじめオオタカを捉えていた備え付けの望遠鏡を覗かせてくれました。
オオタカって何だか、もっと山奥に住んでいるみたいに思ってましたが
皇居にもオオタカがいると聞きましたし、意外と人の近くにいるのですね。
オオタカだか何だかわかんない写真なのですが・・・
赤い丸の中にオオタカがいます。

トリミングしてみました。
ボケボケですが何だか鳥のようなものが見えます。

オオタカって聞くと「オオ」がつくんだからもっと大きいのかと思っていましたが
カラスと違わないくらいの大きさなのですね。
大きさだけで言うとトンビの方が大きいのですね。
し、知らなかった~~~恥かも。
そして、鴨池のカモには驚きました。
池のほとりに立つと、カモがこちらに突進してくるのです。
カモですよ、多分野生のカモ。
自然教育園に行った時も、カメが寄ってくるのを見ましたが
それと同じ感じでした。
ここのカモは餌付けされているのみたいです。
カモはエサをくれないとわかると、違う人たちの所に行きました。
そっか~~、都会のカモは人慣れしてるんですね。
カモと言い、カメと言い、コイと言い、
都会に住むものは皆、人に寄ってくるのですね。
びっくりしてウロタエタので、写真ナシです。
光が丘公園
煙突は清掃工場の煙突です。

屋敷森跡地

光が丘公園から成増駅まで歩き、高島平方面行きのバスに乗ったのですが
そのバスで地元の奥さんが話しかけてきました。
都会の人は知らない人に話しかけられても知らんふりを決め込む人が多いのですが
私は、ほら、根っからの田舎者ですので、ついつい話にのってしまいます。
それで、とうとう、その奥さんがバスを降りるまで話してしまいました。
と言うか、奥さんが主に話したのですが。
その奥さんは79歳で、地元で生まれ育った人でした。
昔とはすっかり様子が変わってどこがどこだか分らなくなったそうです。
「小さい頃は、ここらは畑しかなかったのよ
小さな川が流れていて、その川で泳いだものよ」
バス通りにある今でも畑の残る農家を指して、
「ここはね、昔は桶屋だったのよ」
桶って何の桶です?漬物桶ですか?と聞くと
「違うよ、下肥を運ぶ桶よ」と言います。
農家には必需品だったのでしょう。
ちょっとビックリしました。
60年、70年前は、ここら辺は農村地帯だったのですね。
今の様子からは想像もつきません。
光が丘公園の屋敷森跡にあったであろう様な農家が点在する喉かな風景だったのでしょう。
思えば、東京の街ほど昔と変わった所もないのではと思います。
私の故郷などは変わった事は変わりましたが
山はそこにあり、田んぼも畑も川もそこにあります。
川も田んぼも畑も埋められ、どこがどこだか分らなくなったふるさと。
何だか寂しいなぁと思いました。
もう再び会う事もない奥さん、どうかお元気で。