ゴミ拾いに挑戦してて、休み中だったけど再開しました

いつの間にか浜がゴミの山に。自分自身の健康のためにもゴミ拾いを始めました。引っ越し先から戻ってきてゴミ拾い再開しました。

桜田門から泉岳寺へ

2012-03-31 15:23:35 | Weblog



桜田門から増上寺~泉岳寺~品川へ



3月21日

「大山街道を歩く」の番外編として
桜田門から増上寺、泉岳寺を経て品川駅まで歩きました。
約11.5キロの道のりでした。


増上寺には何度か行った事がありましたが、行っただけで何も考えた事もありませんでした。
が、今回、何で御成門や二天門がプリンスホテルの敷地にあるのか

プリンスホテルがある所は昔は増上寺の境内だったという事なのですね。
そんなの全然知りませんでした~~~



家に帰ってからネットでいろいろ見てまわりました。



つまり今プリンスホテルのある所は昔は徳川家の霊廟があった所なのですね。
んで、霊廟って何なの?
ただのお墓って事じゃないんですよね。


ウィキペディアによると


徳川家霊廟(とくがわけれいびょう)は、江戸幕府の将軍職を務めた徳川将軍家歴代の墓所のことで、江戸(現・東京)の寛永寺と増上寺、及び栃木県は日光の輪王寺にある。江戸時代の華麗な建築技術・意匠の粋を集めた建築群として日光東照宮と並び称されるが、このうち寛永寺と増上寺の霊廟は、大部分の建物が1945年(昭和20年)の戦災で焼失した。





日光東照宮は徳川家康の霊廟だそうです。
平たく言うと日光東照宮と同じくらいスゴイ豪華な建物あったという事で。
日光東照宮は世界遺産にもなっていますので
それに準ずる様な歴史的建築物が芝の増上寺にはあったという事なんですね。




その後、8代将軍吉宗が、享保5年(1720)に霊廟建立を禁じたそうです。
なので、これ以後、霊廟の建立はなくなりました。



増上寺には3人の将軍の霊廟がありました。
●台徳院霊廟 (2代秀忠)
●文昭院霊廟 (6代家宣)
●有章院霊廟 (7代家継)

他にも崇源院(お江)の霊廟や徳川家の人たちの宝塔がありました。



戦火で焼け残ったのは




台徳院霊廟 惣門(芝公園・ザ・プリンスパークタワー東京内)


台徳院霊廟 勅額門、丁字門、御成門(以上3棟はホテル建設に際し、埼玉県所沢市の不動寺(西武ドーム前)に移築されている)


有章院霊廟 二天門(芝公園・東京プリンスホテル内)




戦火で焼けた徳川家霊廟跡を、西武鉄道堤康次郎氏が買いプリンスホテルを建てたと言う事です。
将軍宝塔をはじめ大奥妻妾子女の墓は、立退きによる改葬で昭和33年に増上寺境内に合葬で移転されました。



今、増上寺の向かって右側の東京プリンスホテルになっている所と
ザ・プリンスパークタワー東京になっている増上寺向かって左側は
すべて徳川家の霊廟だったのですね~~~。
広い敷地だったのですね。
それが、増上寺の裏側のほんの狭い所に今は移転されているのですね・・・。



東京プリンスホテル内
有章院霊廟 二天門(7代家継)


傷みが激しい様に見受けられ、何だかホッタラカシぽいです。
保存にもお金がかかりそうなので仕方ないのかもです。






プリンスパークタワー東京内
台徳院霊廟惣門 (2代秀忠)




霊廟の建物は奥に行くほど豪華な装飾がなされていたそうなのです。
惣門は一番外側の門ですので、これ以上の日光東照宮並みの建物が
この奥に並んでいたと思われます。




現在の徳川家霊廟






何だか・・・・
立ち退きによる改葬って聞こえはいいけど
何だか墓を暴かれてるし気の毒で仕方ありませんょ



このウォーキングで一番の驚きは増上寺の徳川家霊廟でした。
「霊廟」というものさえ知らなかったので・・。






このあと、泉岳寺に向かい品川駅で解散となりました。


泉岳寺では47志にお線香をあげたら、47回もスクワットする事になり
(しゃがんで線香をあげ、立ってまたしゃがむ・・・・47回以上)
足が疲れてしまい、自分の足腰の衰えを実感しました。