どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

明日は選挙

2012-12-15 23:38:30 | インポート
どうしよう。
ただ解っているのは、岩手選挙区1区では全く盛り上がっていない事だ。もの凄い異常事態だと思う。

確実に言えるのは、民主と未来が組織戦で戦っている事。選挙カーは最低限で動かしている。
このドンズまりの今日の夕方の時点で、盛岡市内を動いている選挙カーは自民党と民主のみと思える。

ここまで選択肢の無い選挙は滅多に無い。以前だったら共産党に入れる手はあった。だが中国や北朝鮮との関係改善を望むとしても、現在の日本共産党は共産党つながりでも彼らと渡り合える実力が無い。それこそ歴史的経緯がありすぎる。
政権を移すにしても、今回民主党の12歳(自民党の12歳もどうかと思うが)で不味いと誰もが思っている所に、共産党や社民党は、ムリ。老獪な12歳に取り込まれる3歳児になるだろう。


もちろんその方がいい可能性はある。3歳児の暴れっぷりは見てみたい。だが暴れさせるほどの余裕は、国内には無い。それは誰もが解っている。

私が解っている事は、錦の御旗の下にはペンペン草も生えないと言う現実だ。


カエサルやアウグスト級の独裁者が表れないのかと思う時がある。ただこれはだめだ。今のアジアには古代ローマの倫理が無い。




今日はマリオスで

2012-12-15 22:59:09 | インポート
Dsc_8757


盛岡大学の吹奏楽部の定期演奏会があったので聞きに行きました。
とてもよかったです。演奏レベルは低いんですが、なんというか全員が一つの方向にしっかり向いていると言うのが、音から伝わってきます。

写真はマリオス前のイルミネーション。




Dsc_8761


こういった言い方は失礼なのかもしれないですが、ドラッカー風に例えます。
全体の人数と技量、そして演奏会に向けた時間、全体で集まれる時間が制限される中、そういったリソースをどう扱うのか。このリソースを分散させないために選択と集中を行い、楽曲の選択もリソースにあわせつつもすべての楽曲で高い目標を持ち、易しい曲では表現を考え、実力より難易度の高い曲に時間を割きつつ音楽に向かい合うためにディスカッション等をし、意図的に難易度のとても高い曲を挿入し、実力の超えるギリギリの中で感性を磨いてゆく。
演出は最小限にとどめ、逆に合唱を自分たちで歌うなど、新たな方向性を開拓した。




Dsc_8762



選択と集中により陥りがちな、安易さを徹底的に排除し、可能な限り一体化してゆく前向さを、全体で共有できるようにコントロールした。
これらのさまざまなオペレーションから、音楽に対する真摯な態度と、自分たちが音楽に載せて語るメッセージを深く共有しそれを演奏会で披露した。
それが音からまっすぐに伝わってくる。これはうまい下手ではないし、感動とかそういったものではない。彼らの時間を共有してしまったのだ。音楽の本当の力を見てしまった。

写真は盛岡駅構内。



Dsc_8767


実はこういった演奏は、学生の演奏では滅多に無い。かならず何らかの見栄が入るのだが、それが無い。謙虚すぎるほどだ。
真摯なのだ。ひたすら真摯に音楽と向き合っているのだ。失敗したくない緊張感ではなく、気持ちが伝わってくるのだ。


写真は盛岡駅前。

Dsc_8769


甲子園野球でもそのあたりはよく言われているが、スポーツだとどうしても感情移入した結果だ。これは彼らが音に乗せてしまったものだ。
第二部の最後の曲(曲名は忘れてしまった)は、震災の思いを伝える曲だった。かなり難しい曲なのだが、もの凄い真摯さで演奏していた。
まっすぐ。本当にまっすぐな音でした。
演奏団体としての彼らの実力がどの程度かと言えば、岩手大学に負けるレベルだ。だがこの演奏会に関しては、真摯さで日本一位だろう。


Dsc_8771


さてここまで言う限りは、一応ウラはとった。少し話しを聞いた結果、選択と集中、これだったようだ。だがそこから安易に流されなかった。
ホント凄かった。


衆議院選挙・たった一つの民意の出し方

2012-12-15 01:47:40 | インポート
とにかく良く解らない選挙になっています。左派は確実にいません。正直な所旧社会党系から共産党系まで含めて、日本には中道政権しかいません。しかし今現在右派が圧倒的に強くなっており、自民党の極右っぷりがもうたまらないのです。
候補を選ぶと言う状態ではないのです。明らかに民意を逸脱した一そんな人が目立ちます。民意は明らかなのです。20年後の日本が明るい事になっている、そういった未来です。もちろん実質経済成長率が1%程度であっててもです。


この選びようも無い選挙に、尊敬するコラムニストの・小田島隆さんが、日経BPに記事を寄せています。
最大与党を代表して一言
ようは投票したくない人たちの気持ちを代弁しているのだが、一番大きいのは賛成票を入れる投票であって、反対票を入れる選挙ではないと言う事だと思う。出来れば賛成票と反対票をあわせてプラスに来た候補が当選する、そういったほうが自然ではないのかと、考えているようだ。もちろん小田島隆先生のあの文体は、私が理解できる表層を切りさせておいて、あとでジワジワ浸食してやろうと言う感じなのだが、それがすばらしい。
自分では全く出来ない技だ。


なので「小田島さん。バツを付けれる選挙がありますよ!」と書こうと思ったら、先を越された。しかも最高のジャーナリストだ。江川 紹子さんだ。
記事はこちら。
内容は裁判所は三権分立の要なのだが、その最高裁が法令主義に硬直していて検察庁から警察まで何か硬直させていないのか、そのために最高裁はよく見られるべきなのだが、情報開示が甘い。そういった論旨だと思う。
全くその通り。法の専門家たちのための組織に成り下がっているフシはある。


まあ議員立法の数の少なさとその曖昧さから、法の番人たる最高裁の出番が無いのだろう。そういった意味で最高裁と言うのは、本質的な意味を失って来たのだろう。


その意味では、最高裁判事の任命にすべてダメを出すのは正しい。今まで大丈夫だと彼らは思って来た訳で、それがひっくり返る事が重要だ。
三権分立が正しく動くためには、みんなで最高裁判事のところはすべて×がいいでしょう。そもそも彼らがしっかりしていれば、公務員なんだけど自由度は最高なはずなのだが、なんでこうなるの?みたいな事をし続けていた。

さて、だれもが最高裁の判事に×をつけたらどうなるのだろうか。実は議員も否定する事になる。いままで裁判権は行政権に従属して来たのだ。そして、首相を出すのが議会だ。三権分立の、実は最大の民意が反映されるシステムだ。
分立しているから立法府と裁判所は関係ないのだが、公務員である限り影響は大きい。だがそのトップだけは民意で変えられる。


一度でいいから、最高裁判事のうち一人でも罷免されたら、日本の司法は変わると思う。


小田島さん、×が付けれる選挙なのですが、やっぱり丸も付けれるシステムも欲しいですね。