世界は日本の選挙を注目しているようだ。日本の右翼化が進むのかどうかだ。
ワシントンジャーナルやフィナンシャルタイムスが記事を載せている。それどころか電子板ではこれらの記事がかなり読まれているようだ。震災前まで日本に関する記事は縮小、それがヒットすることなぞ無かった。そして震災があっても、各外電は事務所を縮小し続けたのだ。それがここに来て日本の選挙を報道するようになっている。たしかに尖閣諸島の問題はあった。これだけでもかなりなものなのだが、私でも確実に言えるのは彼らの興味は、世界第3位の経済国家がどうなるのか、それが切っ掛けで世界の潮目が変わるかどうかだと思う。
今現在で確実に言えるのは、日本は国債比率をあと100年かけての長期目標でもいいから掲げて、明らかに実行できるように、しかも実行して実現化するメドをみせること。これが世界経済に対して重要な事になっているが、右傾向によってそれが失われるようだったら、混乱が起きる。
次が重要なのだが、日本の右傾向がはっきりした時点で、韓国・中国とのバランスが崩れかねないという状況が予想されるのだ。ただでさえ歴史問題には決着がついていない。正確に言おう。歴史問題は解決するタイミングを失っている。その間どんどん深刻化しているだけだ。これを再復するには相当の努力が必要だ。
なぜ日本の右傾向が注目されるのか。それは多分間違いなく全世界がそうだからだ。その上で、この日本でナゼ?という疑問がある。日本人はそこまで愚かではないだろう、そう思われていたのだと思う。
例えばアメリカのティーパーティーは、明らかに今までのアメリカを「実は」無視をしているからあり得る話しだ。モンロー主義のフーバー大統領に回帰したいのだろうが世界はそれを許さない。それを理解できない。
中東はもっと凄まじいだろう。確かに宗教が資本主義を否定している部分はある。でもそれ以上に、否定する動機がある。生活が破壊されていると彼らは感じている。宗教による互助精度が壊れていると、彼らは感じている。このため原理主義がはびこりやすい。
少し前のフランスやドイツでもかなり民族主義が吹き荒れた。今では北欧に飛び火しているようにも感じる。これらは移民排斥運動に表れている。
新興国ではどうなのか。明らかに中国と韓国はそれを国是にしているフシもあるのだが、解っているのは若年層の就職率の悪さだ。
そして新興国でも先進国でも解っているのは、貧富の差が拡大しつつある。いや拡大した結果だと言える。
資本主義の最も悪い点が出て来ているように思う。資本のある所は優秀な機械を揃えて、まではいい。それが世界を超えてグローバル化した結果、国家がスペックで語られるようになってしまった。ある国民の生産性はどの程度で、管理教育レベルはこの程度でそのコストはこの程度で。コスパがいいからこちらの国家。そういったニュアンスを感じる記事は多い。
この現実では、まあどうしようか。過去に回帰する右派の台頭は当然だろう。人として当然だ。こういった風潮は人の何かを否定している。だが、
国家が相対化されて来ている。問題は何に対して相対化しているのかだ。
多分答えは、お金だ。資本と言っても良いが、それでは話しが難しくなりすぎる。多国籍企業とかの話しになる。企業文化とか、その倫理となると難しい。
この中で、その国民は貧富の差が拡大し、若年層の失業率が上がり、右傾向化が進む。
さて日本の右傾向なのだが、ご多分に漏れず若年層に多い。ネットとかでも見ていてそうだ。だが同じ人物が執拗に主張を繰り返す例が多く、どの程度存在するのかわからなかった。だがニコ動のアンケート調査(一人一回が厳密に守られているのでネットとしてはかなり正確な数字になる)でも自民党支持者が多く見られる。このニコニコ動画の視聴者の多くは、40代から10代後半あたりなのだから若年層の支持率とも言える。一応は右に偏っている傾向にありそうだ。
これには別な事も考えられる。インターネット上での情報の多さが、逆に判断を単純にさせる傾向がある。それが新たな記事を生み、それを読んだ人がまたその方向で情報発信する。そういった循環がありそうだ。
ただ私の注目しているのは40代前半から30代だ。実はこの辺りの層が一番情報発信能力だある。信憑性のある記事やコメントを書く事が出来る年代だ。
なぜここに注目するのかと言えば、この年代ロストジェネレーション世代も含んでいるのだが、強烈な就職氷河期を経験しているのだ。良い企業に就職できても、時代の変化が速すぎていつどうなるのか解らない。その上でリストラの危機を常に感じ、グローバル化の進む経済下で、効率の高い仕事を求められ(日本社会は昔っから非効率で知られている。農業改革がなぜ進まないのかと言えば、関係者の調整だけで時間がかかりすぎるからだ)、実際どうしていいのか解らなくなる日々を送っている。
まあよくある話しだが、画期的プランを出せと言われて必死にまとめたが、それが上司に渡って戻って来たら凡庸なプランになっていたとかだ。
子育て、これが壮大なものになっている現在がある。それでいて今の自分の仕事がいつまであるのか解らない。それでいながら夫婦で話し合う時間も作れない。
この辺りの層が、一番困窮していると考えている。
少し前に30代半ばの営業と話しをしているうちに、若手社員教育の話しになった。オン・ザ・ジョブ・トレーニングをどうするのかと言う事だった。私はかなり困難だけど、自分の経験なりを伝えてゆかないと育たないし、そもそもそうして伝える事によって自分の‘気づき’が得られて、自分の成長にもなるのではと言った所、「それは解るが、自分で出来るのに、出来ないやつに任せる効率の悪さがどうしようもない」と言う返事が返って来た。そして「自分でも解っているが、あの就職氷河期の事を考えれば、今の若手は甘えている」と言い切った。
実はこういった考えが今一般的になっているのでは無いのだろうか。効率中心の世界。
韓国での従軍慰安婦問題では、日本には法的な責任は無い。ただ道義的な責任はあると考えているが、「法的責任」だけで切り捨てると、よくある右翼的な言動になる。
なお「口に出せない」ほどの表現が、当時の回顧録で書かれていたりするのだが。
ただ法的に正しい。そう切り捨てるのはどうなのかと、やはり思うのだが。
効率は単純を生む。
しかし人は単純でない。だから面白い。しかし右翼思想の面白い所は、その単純さなのだ。人は単純に引かれるようだ。効率を生活に求められている日本人として、その単純さの危うさに気づきつつも、多数が引かれてゆく状況にあらがえない何かを感じている。
このところ日本では違う動きもある。明らかに非効率的な動きだ。例えばシェアハウスだ。個人のみの方が最大の効率を得られる。プライベートが守られてコストが安いからシェアハウスと言う動きは、ちょっと違う。
そこまで貧窮しつつあるのかとも思われるが、実際はそんな事は無さそうだ。
最後に、日本の右傾向化で一番大きいのは、対中国と韓国のみだ。結局経済の問題になっている。20年間の経済の落ち込みが大きすぎたのだ。
だが一つだけ解っている事がある。日本人にとっても、まだあの戦争の問題は終わっていないと言う事だ。
日本人にとっても、だ。
ワシントンジャーナルやフィナンシャルタイムスが記事を載せている。それどころか電子板ではこれらの記事がかなり読まれているようだ。震災前まで日本に関する記事は縮小、それがヒットすることなぞ無かった。そして震災があっても、各外電は事務所を縮小し続けたのだ。それがここに来て日本の選挙を報道するようになっている。たしかに尖閣諸島の問題はあった。これだけでもかなりなものなのだが、私でも確実に言えるのは彼らの興味は、世界第3位の経済国家がどうなるのか、それが切っ掛けで世界の潮目が変わるかどうかだと思う。
今現在で確実に言えるのは、日本は国債比率をあと100年かけての長期目標でもいいから掲げて、明らかに実行できるように、しかも実行して実現化するメドをみせること。これが世界経済に対して重要な事になっているが、右傾向によってそれが失われるようだったら、混乱が起きる。
次が重要なのだが、日本の右傾向がはっきりした時点で、韓国・中国とのバランスが崩れかねないという状況が予想されるのだ。ただでさえ歴史問題には決着がついていない。正確に言おう。歴史問題は解決するタイミングを失っている。その間どんどん深刻化しているだけだ。これを再復するには相当の努力が必要だ。
なぜ日本の右傾向が注目されるのか。それは多分間違いなく全世界がそうだからだ。その上で、この日本でナゼ?という疑問がある。日本人はそこまで愚かではないだろう、そう思われていたのだと思う。
例えばアメリカのティーパーティーは、明らかに今までのアメリカを「実は」無視をしているからあり得る話しだ。モンロー主義のフーバー大統領に回帰したいのだろうが世界はそれを許さない。それを理解できない。
中東はもっと凄まじいだろう。確かに宗教が資本主義を否定している部分はある。でもそれ以上に、否定する動機がある。生活が破壊されていると彼らは感じている。宗教による互助精度が壊れていると、彼らは感じている。このため原理主義がはびこりやすい。
少し前のフランスやドイツでもかなり民族主義が吹き荒れた。今では北欧に飛び火しているようにも感じる。これらは移民排斥運動に表れている。
新興国ではどうなのか。明らかに中国と韓国はそれを国是にしているフシもあるのだが、解っているのは若年層の就職率の悪さだ。
そして新興国でも先進国でも解っているのは、貧富の差が拡大しつつある。いや拡大した結果だと言える。
資本主義の最も悪い点が出て来ているように思う。資本のある所は優秀な機械を揃えて、まではいい。それが世界を超えてグローバル化した結果、国家がスペックで語られるようになってしまった。ある国民の生産性はどの程度で、管理教育レベルはこの程度でそのコストはこの程度で。コスパがいいからこちらの国家。そういったニュアンスを感じる記事は多い。
この現実では、まあどうしようか。過去に回帰する右派の台頭は当然だろう。人として当然だ。こういった風潮は人の何かを否定している。だが、
国家が相対化されて来ている。問題は何に対して相対化しているのかだ。
多分答えは、お金だ。資本と言っても良いが、それでは話しが難しくなりすぎる。多国籍企業とかの話しになる。企業文化とか、その倫理となると難しい。
この中で、その国民は貧富の差が拡大し、若年層の失業率が上がり、右傾向化が進む。
さて日本の右傾向なのだが、ご多分に漏れず若年層に多い。ネットとかでも見ていてそうだ。だが同じ人物が執拗に主張を繰り返す例が多く、どの程度存在するのかわからなかった。だがニコ動のアンケート調査(一人一回が厳密に守られているのでネットとしてはかなり正確な数字になる)でも自民党支持者が多く見られる。このニコニコ動画の視聴者の多くは、40代から10代後半あたりなのだから若年層の支持率とも言える。一応は右に偏っている傾向にありそうだ。
これには別な事も考えられる。インターネット上での情報の多さが、逆に判断を単純にさせる傾向がある。それが新たな記事を生み、それを読んだ人がまたその方向で情報発信する。そういった循環がありそうだ。
ただ私の注目しているのは40代前半から30代だ。実はこの辺りの層が一番情報発信能力だある。信憑性のある記事やコメントを書く事が出来る年代だ。
なぜここに注目するのかと言えば、この年代ロストジェネレーション世代も含んでいるのだが、強烈な就職氷河期を経験しているのだ。良い企業に就職できても、時代の変化が速すぎていつどうなるのか解らない。その上でリストラの危機を常に感じ、グローバル化の進む経済下で、効率の高い仕事を求められ(日本社会は昔っから非効率で知られている。農業改革がなぜ進まないのかと言えば、関係者の調整だけで時間がかかりすぎるからだ)、実際どうしていいのか解らなくなる日々を送っている。
まあよくある話しだが、画期的プランを出せと言われて必死にまとめたが、それが上司に渡って戻って来たら凡庸なプランになっていたとかだ。
子育て、これが壮大なものになっている現在がある。それでいて今の自分の仕事がいつまであるのか解らない。それでいながら夫婦で話し合う時間も作れない。
この辺りの層が、一番困窮していると考えている。
少し前に30代半ばの営業と話しをしているうちに、若手社員教育の話しになった。オン・ザ・ジョブ・トレーニングをどうするのかと言う事だった。私はかなり困難だけど、自分の経験なりを伝えてゆかないと育たないし、そもそもそうして伝える事によって自分の‘気づき’が得られて、自分の成長にもなるのではと言った所、「それは解るが、自分で出来るのに、出来ないやつに任せる効率の悪さがどうしようもない」と言う返事が返って来た。そして「自分でも解っているが、あの就職氷河期の事を考えれば、今の若手は甘えている」と言い切った。
実はこういった考えが今一般的になっているのでは無いのだろうか。効率中心の世界。
韓国での従軍慰安婦問題では、日本には法的な責任は無い。ただ道義的な責任はあると考えているが、「法的責任」だけで切り捨てると、よくある右翼的な言動になる。
なお「口に出せない」ほどの表現が、当時の回顧録で書かれていたりするのだが。
ただ法的に正しい。そう切り捨てるのはどうなのかと、やはり思うのだが。
効率は単純を生む。
しかし人は単純でない。だから面白い。しかし右翼思想の面白い所は、その単純さなのだ。人は単純に引かれるようだ。効率を生活に求められている日本人として、その単純さの危うさに気づきつつも、多数が引かれてゆく状況にあらがえない何かを感じている。
このところ日本では違う動きもある。明らかに非効率的な動きだ。例えばシェアハウスだ。個人のみの方が最大の効率を得られる。プライベートが守られてコストが安いからシェアハウスと言う動きは、ちょっと違う。
そこまで貧窮しつつあるのかとも思われるが、実際はそんな事は無さそうだ。
最後に、日本の右傾向化で一番大きいのは、対中国と韓国のみだ。結局経済の問題になっている。20年間の経済の落ち込みが大きすぎたのだ。
だが一つだけ解っている事がある。日本人にとっても、まだあの戦争の問題は終わっていないと言う事だ。
日本人にとっても、だ。