誰に期待できるのか、全く解らない選挙だった。岩手県はその点解りやすかったかもしれない。現職有利の法則が変わっていなかったからだ。強いて二区の自民党・鈴木俊一が当選した理由は簡単だ。震災後ずっと被災地にいたからだ。
金曜に一関に行った時も感じたのだが、選挙カーが全然目立たなかった選挙だ。とても狭い岩手1区では土曜日に多少多く走り回っていたが、自民党の髙橋議員の車と社民党候補の車が目立っただけだ。
多分なのだが、投票率の低さが予想されたため、組織票固めに動き、立会演説会を増やしたのが理由だろう。そこに時間を取られて多く動き回る事はなかった、そう感じている。
なお比例区で入った髙橋議員だが、彼女が岩手1区から出た事を、盛岡に住む人間としてとても恥ずかしく思う。彼女はEM菌の信者だ。それは盛岡市議会時代に知っている。今はどうかと思うが、合理性を欠いた人物だと思う。そういった人物は、国政に関わってはいけないだろう。
岩手一区では、小選挙区で民主党に入れて、比例区で自民党に入れた人が多いのだろう。私もそう考えた。だが何かが違うと思った。自民党で比例区をお茶を濁すのは何か許せなかった。そして共産党でもないのだ。選べれないのに選ぶためには、逃げのように感じた。
変な話しなのだが、この選挙はある意味、投票する事の意味すらも無い可能性がある。投票してもしなくても来年度の混乱が予想される。結果自民党が圧勝したが、もの凄い混乱を、民主党の鳩山・管時代よりも酷いものになりそうだ。
もの凄い圧勝で、自民党が勝った。これも変な話しなのだ。今の所自民党にいい所は無いのだ。憲法改正案からしてもうダメな政党に成り下がっている。そして3年間の内に、どの程度彼らが誇る優秀な政策秘書が消えたか、それは憲法改正案でも解る。かなりいなくなっているのだろう。ここが気がかりだ。
今回の選挙の最大の問題は、民主党がどうのとか自民党がどうのとか言う話しではない。倫理が破綻した上での選挙なのだ。政治倫理ではないのだ、倫理だ。
最重要ポイントを優先的に考えられない政治。誰もが解っているポイントを解決しようとしない議会対立。
ワシントンポストだと思うが、アナーキストだと言われた。これは民主党を指して行っている言葉ではない。全政党に対して「アナーキスト」と言い切ったのだ。これには同意する。
今現在政治でおきている事は、倫理の相対化だ。これは絶対あってはいけない。根本の人権に立ち返る必要があるのだ。特に低成長で高齢化社会では、社会の再復といった議論の中で、人権の制限と言う話しになりがちだが、それが何をもたらしたのかは歴史が見せてくれているのではないのか。
今の自民党が嫌いだから言うのではない。絶対守らなければいけない人権や生存権まで、アヤフヤな事ばかり言う政党ばかりの、アナーキーな選挙ではあった。
さて最後だが、効率の良い社会がいまの世界のトレンドだ。だがそれでいいのだろうか。あと10年もかからずビックデーターを解析できるパソコンが登場するだろう。これがもたらすインパクトはどの程度なのだろうか。
歴史から行くと、印刷業がいいだろう。グーテンベルクの印刷術以降、華麗な木版を掘る職人はかなり減った。多くは挿絵に使う木口木版の作成に変わった。ただ違う職人を生み出した。それは組版職人だ。活字を組み立てる職人だ。だが木口木版職人は、写真製版で消えてしまった。
組版職人はしばらく生き延びた。この間フォントデザイナーと言う職業を生み出した。それは活版印刷から写真製版へ変わる過程でおきた。印刷物の多様化からその需要がおきたのだ。
それが90年代以降、DTPという概念に置き換わった。デジタルで直接製版しようと言う概念だ。だがここで活字の概念が変わったのだ。コンピューター上で文字の拡大縮小が自由になり変形が簡単になったのだ。
これによりフォントデザイナーの地位が下がった。そして組版をする職人は消え、写真製版で文字を巧みに並べる職人も激減した。
私が警告したいのは、今の就職状況と言うのはこの印刷業会の話しに似ている。トップエリートしかいらない社会になりつつある。コンピューターがあとは大体やってくれる時代になる。大衆はいらないし、大衆に支持された政治家の判断はいらなくなる可能性がある。いまはその過渡期だから、もの凄い困難があると思う。だが次世代に向かって変化しないと、政治そのものが絶滅する可能性がある。
それを全く理解していない自民党はどうなのか。多分その中でも石破は解っているし、民主の野田も解っているはずなのだが。
今の日本の政治は、圧倒的に認識が甘い。