どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

ブラックスワン今日もいた

2014-03-04 02:38:29 | インポート
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通常こういった迷い鳥は長居しないものですが、高松の池が気に入ったのか今日もいました。これで三日目でしょうか。




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ちょっと愛着がわいてきました。




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ただなんかどこか、よくわからない鳥です。おっとりしているというか、なんというか。




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ちょっとがんばりました。黒鳥の羽の下には白い羽があります。完全に黒ではありません。翼を広げたらきれいなのにと思うのですが、なかなかそうしてくれません。




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知らない土地に来て緊張しているのかとも思えますが、人から餌を貰っている様子を見れば、何か違います。




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近づいてきました。なにしとんや!ワレェと言った具合でしょうか。




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ただ単に目つきが悪いようです。




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そしてすぐに寝ます。




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仲間が来てウエイクアップ!とはいってもおっとりしています。

どうも黒鳥はそう言った鳥のようです。なにしろオーストラリア原産です。あのカンガルーやコアラの土地です。天敵が少ない土地の生まれです。




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白鳥が豪快に水浴びをしています。こういった動作は黒鳥には滅多に無さそうです。

いつも鳥の名前を呼びながら餌を与えている方がいるのですが、黒鳥に対して「こいつらトロイ」と言っていました。多分そうなのでしょう。


毛繕いなどはいつでも逃げられるように備えている本能です。どうも鈍いのはそんな事かと。




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この写真で変だと思う人がいたらありがたいのですが。足の位置がもの凄く変なのですよ。翼の下に格納できるほど上に上がっています。白鳥でもここまで上にあるのは毛繕いとかそう言った作業の時なのですが、ポヤ~ンと浮かんでいるだけなのに足がこの位置?なのです。どうも片足はしっかり水中にありそうです。股関節がよっぽど柔らかいのでしょうか。


昔にニュージーランドにも生息していたようなのですが、マオリ族が入って以降絶滅したと言う話しがありました。オーストラリアでも人の少ない西海岸に生息していると言う事は、とても捕まえやすかったと言う事なのでしょうか。




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水鳥は、水面から離陸するために陸上や樹上から飛び立つより大きなエネルギーを必要とします。水の摩擦と言うか粘着と言おうか、とても重いわけです。そのために翼と足を使ってスピードを上げてゆきます。なので危機に対しては足が出来るだけ水中に近いか入っている方が有利なのです。なのですぐに飛び立つカモの類いはほとんど水中に足があります。敵が少ない場所で毛繕いをしたりするのは、彼らなりの危機管理です。


どうも黒鳥にはそれが無いようです。


さてこの写真ですが、手前の黒鳥の首に注目して頂きたいのです。もの凄く柔らかい首の関節のようです。正直な所ヘビみたいに曲がります。




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仲良き事は美しきかな。




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と言う事で、白鳥のように首がスッキリとなった黒鳥を狙ってみました。するとこれはこれで面白くないわけです。あのヨーロッパのお菓子の白鳥のように、きれいな円弧を描いた首ではないわけです。


そこでなんとなく気がつきました。日本の白鳥はシベリア原産だったと言う事です。ヨーロッパやオーストラリアだとそんなにピリっとしなくて済んだのでしょう。


と言う事でウクライナが円満に進む事を祈念しますが、かなり難しいと考えています。ロシア革命の発端地のクリミヤ半島をロシアが手放せるかと言えば、相当難しいからです。あそこからの反乱と言うのは、地政学上致命的だったのは確かです。その過去が今の状態を生んでいます。
真面目にシリアとウクライナとなれば、トルコが不安定になるのでは?そう考えられます。周辺ではイラクとアフガニスタン、そして遠く離れますがリビア情勢もあります。エジプトだって確実とは言えない状況です。


そして円の真ん中にイスラエルがあります。


世界大戦が起こる可能性がわずかですが、ある、そう言った状況です。


佐村河内守のヒロシマを聞いて

2014-03-04 01:28:37 | インポート
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今更ながらようやく聞き終えたと思う。4・5回は聞いただろうか。


ここから書く事には予断がある。というのは佐村河内守はゴーストライターに新垣隆氏を使っていたのが判明しているからだ。そしてその本当の作者も判明している。なので私は偏った事を言うと思う。それでもこの曲で感動した人を傷つけないようにしたい。



まずこの曲で感動する事は可能だ。これは間違いが無い。知らなかったらそうなる。
私だけだと思うが、この曲はショスタコービッチの後期の交響曲を参照しつつ、マーラーとブルックナーを入れたりエモーショナルに訴える方法はいくらでも出てくる。野口剛夫氏による指摘は正しいと思う。


ただあまりにもちぐはぐな所が問題です。



一つ指摘したいのですが、佐村河内守は映画音楽やゲーム音楽(鬼武者の音楽ならすごい!)から出て来た人です。なのでどこか曖昧さがあってもまあそうかと許される所があります。ゲーム音楽やドラマの音楽は断片的で統一性を保てない所があります。エンニオ・モリコーネのような存在の凄さは、その統一感にあるわけですし、日本でもクレジットの出る作曲家はそこに留意します。
ゲームからの音楽を否定する気はありません。でも交響曲に仕上げるにはかなりな問題が起きます。


問題は古典的な交響曲の枠組みです。形式はイロイロありますが基本メロディラインがある所で統一されていないといけないのです。AメロBメロをどうするのかと言うのが交響曲です。でもそこがどう変化するとかと言う、ドラマティックな展開をするわけで、まあそこは今でも変わっていない概念と思います。
メロディがいっぱいあると、作れないのが交響曲です。


だからアニメやゲーム音楽のシンフォニー版は交響組曲と言う言葉にするのですよ。交響詩と言う言い方もあります。



そこは交響曲だから、どうしようかという工夫が聞き取れます。だがどうしても統一感が無い。そう後期ロマン派としてもない。例えるなら、ハインツ・シューベルトの「賛歌的協奏曲」のほうが圧倒的な統一感がある。


そう統一感と言う言い方より作者の意思と言った方がいいかもしれません。そう言ったものが希薄なのです。継ぎ接ぎだらけと言うのが、効いているようです。




とはいっても良く出来ています。どの程度よく出来ているかと言えば、現代音楽の音色の使い方とか引用の仕方です。そう引用です。過去の名作からの形式を引用しています。現代音楽からはクラスターな音の使い方が出て来たりします。



ショスタコービッチの救われなさをマーラーで継ぐ三楽章後半は圧巻です。




ということで、この曲は悪くない。悪いとすれば、途中にあるポルタメントの指定だけだろう。これがどうしてこうなるのかはわかりません。




この曲を聴いてクラシックファンになった人もいると思います。そしていまでは悔やんでいるかもしれません。でもそんな事はありません。逆にこの曲には後期ロマン派交響曲のエッセンスが詰まっています。そして現代音楽への誘いがあります。ここがあまりにも面白い曲です。



なのでだまされたと思う方は、是非ともショスタコービッチの11番とかマーラーの3番とか4番とかブルックナーの4番とか、リヒャルト・シュトラウスとか、クラスター(すいません。この作曲技法を作った作者がおもいだせません)、もしかするとあなたがいつか聞いた音がここに並んでいます。



そして、ここが私の想像なのですが、この曲は市民オーケストラの練習曲として書かれたのではないのかと思う。
そう考えると、なんでここでコレ?みたいな演奏法が出てくるのか説明が着くと思います。まあ素人の言う事ではないですがね。ハープが2台かな?この時点でアマオケには辛いものがあります。


さて佐村河内守氏が楽譜を書いている写真があります。で、この楽譜が汚いのです。
クラシック畑の人間は奇麗に楽譜を書きます。理由は演奏者が、汚い楽譜を嫌がるからです。そこで間違えたらどうするんだ!と言う事です。汚い楽譜しか書けない人の場合は、アシスタントを雇うか清書屋に頼むしかありません。しかし清書屋は高いですし、彼らも汚い楽譜を嫌うんです。間違って清書したらどうするんだ!と言う事です。間違いが見つかった場合は、そのまま作業を中断して作者に差し戻されるわけです。そうすると、作者が直している時間待たされるわけで効率が悪くなります。仕事にならないのです。

なので作者はある程度きれいに書いて、書き間違いが無いかを確かめないといけません。アシスタントのほうが近くにいるからすぐに修正できていいように感じますが、将来の面倒を見るとかもっといっぱい大変な事があるわけです。



もちろん過去の大作曲家の自筆譜で汚いものもあるかもしれません。でもロマン派以降はオケが複雑になってかなり厳しくなっていると言う事のようです。おまけに現代音楽のように複雑奇怪になると、もう自筆譜の段階で完璧でないと誰も手を付けられない事になります。


彼が素人なのは、この点からも明らかだと思うのですがどうなのでしょうか。



最後にこの曲が百年後まで生き残れるかどうかと言えば、生き残る可能性があります。もちろん後20年は滅多に演奏されなくなると思いますが、50年後や100年後だと、話題になった曲ですから誰かが再演と言う事を企画する可能性が高いと思います。おまけに本当の作者が著作権を放棄していますから、意外とYouTubeとかで生き残るのではないのかと考えます。