最近好きなマンガに、イブニングで連載中の「累」です。この話しのすごさは、楳図かずおの「洗礼」を下敷きにしているとは思いますが、天才的な演技力をもつが、顔があまりにもあまりにもな主人公が、顔を取り替えると言う行為で女優としてのし上がる話しです。顔を奪うと言うのはその人の人生を奪う事で、そこで不幸が巻き起こるのだが、主人公にはもう止める事が出来なくなっている。
「累」というタイトルから推測されるようにこの話しは、「怪談・累ヶ淵」でもあります。そこに深く人の業が絡むオドロオドロしさが描かれてゆきます。いずれ「累」はラストに、耐えられないほどの運命が待ち構えていると思います。まあそこは語れませんね。
さてようやっと「業」に繋がった。
さて「業」というのはもう手あかのついたタイトルです。そうなるとそれをどうみせるのかというのがキモになります。先の「累」ですがそれがとても斬新です。ただ大学生の卒業公演なので、ある程度の予想が出来ます。
「業」といっても意味が様々あります。「運命」「輪廻」「性」「わざ」などなどいろいろあります。ただここではそこまで長い話しに出来ない芝居ですから、それぞれが単純化してゆくはずで、「業」の二義性ということになるのかなと考えます。
そしてですな、これまた卒業公演の縛りでございましてハッピーエンドでなくてはいけません。そうするとどんどん選択肢が狭まってゆきます。そして「業」から抜け出すという事は無いので、「それでも生きる!」と宣言して終わるんだろうな~と考えるわけです。
そして盛岡劇場タウンホールの長い階段の壁に、今回のキメ台詞が書かれた紙が貼られています。もの凄いヒントですね。劇中劇の構成になっているのがすぐに解ります。
ということで牛崎君初のアングラなのか?と期待しますが、そうはなりません。
このお話を簡単に言えば、私は占い師の所にいます。目の前には4枚のタロットカードが伏せられて置かれています。その一枚をめくって画を見るのですが、私から見た絵と術者から見た絵は正反対の事をいっています。
めくっては伏せて、次の一枚をめくっては伏せて、4枚を見終わった後に劇中劇があり、今度は二枚づつめくったりをします。また劇中劇があったりして、舞台そのものもまためくったり伏せたりを繰り返します。
そして術者は、4枚のタロットをおもむろに破ってバラバラにして目の前に突き出します。
「運命を知る事で、運命は変わる。また占ったとしても、新たな運命が待ち受けるだけだ。」
術者はそう宣告して、消えます。
さあわけがわからないでしょう?構造だけを話すと、こんな話しなのです。2項対立が4組あって、その2項が出あう事でドラマが生まれますが、突然演出者が現れる事で劇が反転して、劇中劇にすべてがひっくり返ってしまいます。それでは2項の立場がひっくり返ると言う事はありません。「業」である限りひっくり返らないのですが、変化します。そして対立が融合する事で消滅してしまいます。さてそれがアウフーベンかと言えばそんな事は無く、新たな「業」が生まれただけです。
この本には最初に埋め込まれた、別テーマがあります。機械と人間です。最近また再び現れた、コンピューターが人の仕事を奪っていると言う議論がありますが、それです。
なので4枚のカードは、生きにくいこの時代の象徴として現れています。貧困と救済・没個性と個性・良い嘘と悪い嘘・夢と現実です。最後にリアルに収斂させてゆくのかと思えば、そこには機械が立ちはだかります。そこに生き残ったカードは貧困・没個性・嘘・破れた夢のみです。その中で生きて目標へと向かうのが我々の「業」と宣言して幕になります。
まるで宇野常寛の「ゼロ年代の想像力」そのままの戯曲だと思いました。
劇中劇3度目のひっくり返りのシーンです。演出家が現実と演劇中とを区別できなくなっている所ですね。
この作品は戯曲家大会(手の込んだ事にWCと言う略称にして、サッカーの南アフリカ大会と今年のブラジル大会とをくっつけています)で優勝した、「人間には不可能」な演劇の稽古中と言う設定もあります。その中でブブゼラが聞こえる、という台詞があります。そしてブブセラは祈りのための道具だったと言う台詞があります。これを最後に天使が吹くシーンがあったと思うのですが、そうゆうことで「黙示録」が引用されていますね。つまりこの話しは、人間の終末ということです。
ン!すると天使はウリエルか…
役者が舞台と現実を混同して混乱するのを、演出家が引き戻すという作業を3回行います。つまりこの舞台は4部構成になっていると言う事です。そして真ん中に劇中劇の中の劇と言うややこしいものが入りますが、アメリカンコメディドラマを引用してきます。ここはお客さんへのサービスシーンかと言えば全く違って、対比の構造を真ん中に入れたと言う事です。純粋でよく出来た「うすっぺらな」アメリカンコメディドラマの白々しさを通して、この本にあるリアルを伝えようとしています。ここを境に話しがどんどん進んでゆきます。
最初の45分が大変残念なものなのですが、1時間10分頃からドッカンドッカン来るのです。そこでの小物の使い方、もう解りやすいですよね。ペルソナ。リアルに耐えられなくなって勉強に逃避して仮面をかぶる事で暮らす没個性が、個性的な女の子と出会ってペルソナを脱ぐのですが、世の中の見にくさに耐えられなくなって彼女とともに仮面をかぶって世の中に反逆するのですが、これによって彼女が見つからなくなる。
夢破れたアイドルはこの仮面をかぶって逃げる、など仮面の使い方に妙があります。
アングラと違うのはこの辺りの手法で、象徴劇の手法が取り入れられています。炎のシーンでは赤い布とか出てきます。
ややもするとこういったメタファーの使い方は、単純に過ぎたり解りにくかったりするのですが、一般的なメタファーを使う事で効果を上げています。ただブブセラはわかりにくかったな~。
とはいえサッカーワールドカップ南アフリカ大会で、「肺が破れるまで吹き続ける。ブブセラは俺の魂、俺の叫びなのだ。誰が何を言っても俺はブブセラを吹き続ける。」と言った男の記事を思い出していました。
後半最初のハイライトです。機械に破れたアイドルと桜木町で仮面をかぶって消えた彼女を捜す男とのユニゾンです。そしてその後ろに流れるのはボーカロイドの曲、ウワーですね。
劇団かっぱ史上最も良く考えられて、作り抜かれたシーンです。装置がイマイチですが。
今回凄いのは、牛崎君が照れ笑いしながらの演技をしなかった事。鎌田君の滑舌がよくなった事、そうそうイントネーションの処理も直しましたね。そして吉田さんの歩き方が良くなっていた事ですね。というか全員が細かい所を全部直して舞台に立っているのですよ。これはなかなか出来ない事です。もう浅田真央か!というレベルす。よく直しましたね。
というか最後の最後で気がついたのを褒めるべきかどうか。もっと前にやっておけよ!
これは脅威の早書き作家、牛崎君がなんと夏前に本を書き上げたということで、練習時間をたっぷり取れた事が理由なようです。フツー卒公と言えば良くて十月、へたすりゃ二月に本が出来上がるものですが、それが無かったということ。特に最初にある意味ダンスと言えるシーンがあるので、そこで歩きがバラバラで汚ければ台無しと言う事で、かなり練習した跡が見られます。
完成度の高い舞台でした。
これまた後半ですね。貧困の罪を消そうと贖罪は、もっと大きな犯罪を犯す事で貧困の犯罪を相対的に小さくしてみせると言う所。
ここでは通り魔事件などを思い起こさせます。そして自爆テロなどの行為、そしてアラブの春からシリア・ウクライナまで思い起こさせるものがあります。そう、通り魔は生きたいがために死ぬ道を選びます。テロには複雑な理由がありますが、生きるために行います。
そしてこのシーンは、オウムの事件を想起させます。カルト教団の信者である贖罪は、導師からの指示で行っているからです。
貧困と贖罪は、表裏一体の関係のようですがわずかに隙間があります。貧困は純粋なのですが贖罪はそうでもありません。自分が救われるために貧困を利用しているからです。この二人の関係は、共存関係にある。貧困が犯す犯罪を贖罪がすかさず自首する事で、貧困が逃げる時間を作ります。そして贖罪は明らかに嘘なのですぐに追い出されます。互いに利用しあう関係にあるわけです。それでは隙間とは何なのでしょうか。
偽善です。しかしその矛盾故に、贖罪は彼の罪をあがなうはずだった共存関係から、大きな犯罪を犯す事で真の許しを得られ貧困を救うという、異常な方向に進むわけです。
「生き延びるんだ」そう言うセリフはどこかで聞いた事があるような。
この本は完全オリジナルかと言えばそんな事も無く、引用だらけなのではないのかと。だいたい次のセリフが解ってしまいます。後半のカッチョエエ~台詞も大体予測できます。それほどどっかで聞いたような台詞だらけなのですが、逆にこの分かりにくい話しでは、ストンストンと胸に落ちてきます。これが引用のいい所です。
もう最初45分以外はかなりいい話しです。
最高の引用は、双子の姉妹のリアルとフェイクです。姉のリアルの死に対してフェイクは「リアルなんて大嫌い、死ねばいいんだ」といいながら登場します。よくある台詞です。姉の死を受け入れられない妹が言う台詞です。お約束で「お姉ちゃん大好き」となるはずです。
所が、この妹は虚言癖、それも両親の死に対して姉が教えた事「思っている事と反対の事を言ってごらん」、これで彼女は救われたわけです。そしてそれが逆に彼女を苦しめるわけです。嘘を言って自分が救われても、現実は変わらないわけです。
その彼女の苦しみを解って見ている観客には、この台詞は二重にかぶさってきます。彼女の台詞と反対の事を観客は読み取ります。そしてフェイクが苦しそうに話す演技は、更に二重にかぶせてゆきます。
ところが、ここのお約束の間に貧困を追い払うシーンが入ります。そこでは本音しかしゃべらないわけです。そして「お姉ちゃんは化粧が下手」とか悪態を愛情こめて語るのですが、そこで更にひっくり返してゆきます。どんどんフェイクの嘘と本当の境目が見えなくなってゆきます。そして最後に「大好き」の台詞に繋がってゆきます。
この舞台で最も美しいシーンです。
この本、あてがきをしているように見えるのですが、多分他の劇団でも再演可能でしょう。ただ前半とラストに手を入れる必要があります。再演希望なのですが、現実的に27人登場する舞台です。再演は劇団かっぱでもあと数年は不可能でしょう。ましてや他の劇団では全く無理。幻の名作になりそうです。
欠点はいくらでもあるのですが、それを上回るものがありました。やっぱり学生演劇は、熱ですよ。大体最後に「それでも生きる」ですから、もう熱をかけるしか無いのです。
久しぶりにいい学生演劇だったと思います。
PS
3/17午前二時に追記しました。
現代ビジネスの記事ですが、最近カジノで大人気のポーカーゲームがあるそうです。学習型の人工知能を3つ搭載して、入れ替わる事で予測不可能なゲームになっています。そして、はったりをかける事もします。そして、わざと負ける事も出来ます。
この最後のわざと負ける事が出来ると言うのは、人間にしか出来なかったこととされていましたが、現実には可能になっています。
この劇にある危機感と言うのは、そう言ったものです。