どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

初泳ぎ

2015-01-04 00:58:19 | 日記

 

今日3日は真冬日だった。日中の最高気温は−1度だった。とはいえ記録上の最低気温は23時59分の−0.3度だが、日中は大体ー2度。小雪がちらついていた。

総合プールが初泳ぎ無料開放というのをやる。そこで泳ぎに行く。なぜか餅つきもあるらしい。とはいえ泳いでいれば持ちにはありつけない訳で。あとネットとかでも告知が無かった。なので適当な時間に出かけてみる。

 

 

1時10分にはついたのだが、餅つきは終わっていた。あのイケメンインストラクター達がつくと思うと見物なのだ。残念だ。

さて総合プールは公益財団法人盛岡市体育協会が運営をになっている。その中で水泳部門は下部組織のNPO法人盛岡水泳協会となるのだが、NPOなのは総合プールの行事運営とゆぴあすの運営を持っているからだろう。

さてイケメンインストラクターと言ったが、例外はいる。古い人たちだ。これはしょうがない。しかし大体の所はそう言った人たちは前線に出てこないので、イケメンが目立つ訳だ。女性インストラクターは普通だ。しかし20年前にはこんなにイケメンを揃えてはいなかった。もちろん規模が違った。20年前は肴町のプールしか無かった訳でインストラクターの人数もいらなかった。総合プールになってから拡充したのだろう。

ただ実際民間スポーツ施設、フィットネスクラブなんか顕著だが、若くイケメンを揃える傾向にある。事業だから仕方が無いのだが「若い」を維持するのは相当困難だ。そのためアルバイト募集の段階で体力測定をして、教育・訓練してインストラクターに仕立てて行く訳です。高校の時にスポーツをやっていてそれなりの資質はある訳ですが、最新スポーツ理論やメソッドまで叩き込まれる訳でなかなか出来るバイトではありません。なので細マッチョを目指すとかそれこそビルダーを目指すとかそう言った子が趣味と実益をかねて集まる訳です。とはいえ知り合いのイケメン大学院生が合格したので、これはやっぱりイケメン狙いか、そうおもいましたがギッチョンそれどころではありません。インストラクター同士の競争もある訳です。しかも全国区の企業だったら全国区での戦いまで用意されています。ええ、その大学院生がんばって自分の部門を全国四位にまで集客しました。声かけが大切だと彼は言っていますが、体育会系馬鹿では無理な世界が広がっています。

俺の背中についてこい!と言う流儀は無い訳です。

水泳の世界は、水に溺れる事故と言うのがある訳で、そのために監視員にも資格が必要です。その条件が泳げる事なのですが、実は結構厳しいです。高校まで競泳やっていたレベルです。とはいっても小学校までにそれを求めるのは苦しいので、資格は緩和されていたともいますが、総合プールクラスになると厳密なのかもしれません。

さらに指導員になるとタイムがハイレベルになります。ということで現実に指導員になれるのは国体出場レベルが最低限になるようです。で、人柄がよくて指導力があってイケメンでとなれば限られてくるようにも感じます。それでもここまでいると言うのは、競技人口の多さでしょう。

昔成熟したスポーツ競技は、美男美女ばかりになるという珍説を披露した事がありますが、やっぱり現実なのかもしれません。身体能力や頭脳が同等レベルなら美男美女が選抜されやすいと言うものです。個人競技では顕著に出やすいと考えています。そしてその上に、コーチなどに生き残るためにはコミュニケーション能力やコーチングのためのテクニックを理解するための頭脳と感性が必要となれば、昔の名声だけでは生き残れない訳です。

水泳のコーチは一定の保証があります。ただフィットネス当たりだと、アルバイトのイケメンでコミュニケーション能力が高い方が選択されているとすれば、どの競技に置いてもプロのコーチと言う選択が極めて狭くなっている、元々狭いのだが、そう言った状態になっていると考えた方がいいのかもしれません。

実はこれに似た事が我々写真業界にはありました。結婚式の写真です。親族とかの集合写真はプロなのですが披露宴は全部アルバイトです。オートフォーカス以降なのですがサービスとしての写真だったら誰でも出来るようになった訳です。そこから先を作る事が出来るかどうかがプロなのですが、実はそこから先はコミュニケーション能力だったりする訳です。先を読みすぎても行けないし、全く読まない上に自己中心は御法度ですが、ここが難しい所です。ニッチな需要はあるからです。

つまり2極化だと思います。私のように隙間であればなんとか出来ますが、それでも雑学をいっぱい仕込むとかあります。だから生き延びて来たのかと思います。

 

 

隣のアイスアリーナで書き文字の「謹賀新年」です。総合プールでは印刷でした。なのでこの努力は認めましょう。というか味わいのある字になっています。

スポーツ、特に武道と書道は深い関係性があります。多分江戸時代まで遡るものだと思います。そもそも武道は武家のものだった訳です。武道で鍛錬し儒教を学ぶ事が推奨された時代です。儒教を学ぶと言うのは、読むばかりではなく書き写したりする作業もあります。そして討論もありましたが、その論述も書いた訳です。

支配階級は書く事が統治の基本です。記録無くして統治無し。基本だと思いますが、曖昧なのが日本のいい所です

武道馬鹿はだめだとなったのではないのかと思います。現実に突出した腕前が無ければ尊敬されない訳で、その前に突出しても御前に出るとかそう言った時に粗相するような粗野な振る舞いはタブーです。それなりの教養が強さに求められていた時代があったのだと思います。相撲は少し違う可能性があります。興行だったと思います。粗野な方がかっこ良かったりします。

多分中国の科挙制度からだと思いますが、エリートは字が美しいという考えもあります。そして一流の人の字は霊験新たかと言う事もあったかもしれません。今でもそうかもしれません。書き文字には何かそう言った作用があります。有名人のサインがまだあると言うのはそう言った事かもしれません。

仮定ばかり書き連ねましたが、確実なのは書が精神修養と言われていた時代があったと言う事です。江戸期より明治維新以降の武家の崩壊以降だと思います。先が無くなった訳です。武家が支えていたものが廃れてしまったものは多いです。園芸植物なんてたった30年で消え去ります。ただ武道は富国強兵もあり生き残るのですが、修養の概念をまとう事になったと思います。

これは現在でもそうだと思うのですが、武道が近代化してスポーツになる段階で特に強調されたものだと思います。なので修養ということで書道を習う武道家は多かったのではないのかと思います。

ここには少し違う需要もある訳です。政治家の色紙のように武道家も一定以上の実績があれば揮毫を求められたりします。その際あんまりもの字だと、ということで勉強するのでしょうが、けっこうはまってしまう人も多い訳です。

元空手とか剣道の書家の多い事。キレキレの線筆とかドガッガッギ~ッガガと言った線筆でしょうか。とはいえ味わいの深さは書家より上と言われています。うますぎると嫌われる訳ですね。

ということで、この字ですがこうやって解説を重ねると、味わいが深くなるでしょう?

多分書いたのがアイスホッケーかスピードスケート関連の人ですから。

 

 

ウ~ンと思ったのは、水泳人口が減っています。間違いが無いでしょう。

餅つきは全く意味がないにしても、タダと言う日にこの程度かと思いました。現実的に競技指向の若年層はJSSのプールに行きますし、それ以上はセントラルフィットネスなどのクラブに行きます。公営プールはそんなにレベルが高い人が集まる訳ではありません。だから逆に減っているのが目に見える訳です。

現実的に同じコースを多人数で泳ぐ際には、イロイロストレスがある訳です。その時の共通ルールがなにか消えてしまったようにも感じます。とはいえプールで泳ぐ際の「時計回りルール」はどう考えても水底からみたルールで現実的ではないです。

コミュニケーションしなくなったな、と言うのが大きいです。

 

 

今日少し嬉しかったのは、隣の女性がエスニックな美しさだった事。そして右となりのレーンのお母さんと兄妹の組み合わせなのですが、こんなに顔の整った兄妹は滅多にいませんね。何だろう。中央アジア的な美しさです。

お母さんもかなり綺麗ですが、日本的なニュアンスからすれば多分アレなのでしょうが、顔が小さい。この親だとすぐに分るくらいに特徴的です。

ということで、判断出来る材料を与えずにこういうのもなんですが、結構いい思いをさせて頂きました。

気になったのはお母さんが妹に平泳ぎを教えるのに夢中で、お兄ちゃんがアピールするべくがんばっていたことです。

 

 

氷は溶けつつまた凍って、そんな盛岡の路上です。

雪が降らないのはいい事なのですが、氷だけが残る寒さです。