どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

始終苦しむ

2015-01-16 02:48:55 | 日記

 

昭和90年です。ハイ。昭和生まれの人は昭和年足す年齢が、今年の昭和年になります。ということで49歳になりました。昨日は米山にいってクダを巻いておりました。

正月はメイドへの一里塚 めでたくもありめでたくもなし

冥土をメイドにしただけで気分が明るくなりました。

 

 

このところの暖かさでずいぶんと高松の池の氷も溶けました。

 

 

キンクロハジロ♡

そういえばシャルリ・エブドが結局200万部増刷で、合計500万部発行になった。これで逆にシャルリ・エブドは毎週イスラム批判をしなければいけなくなるのではないのか?世界中にはもっと一杯問題はある。そこ当たりも挑発して欲しいものなのだが。

最近ではイスラエルのユダヤ教超正統派新聞が、シャルリ・エブド事件のパレードの先頭を歩くメルケル首相の姿を削除したと言う。宗教上好ましくないそうだ。これなんていいネタだよね。

セム教系は根本的に女性蔑視です。ところでユダヤ教超正統派ってなんだ?保守ではないのか?聖教新聞みたいなものか?

アメリカで女性の同性愛者の葬儀で、故人を偲ぶためのビデオにキスシーンがあり、それを教会がやんわりと上映拒否をしたという事もあった。

ポゴ・ハラムの2000人虐殺はムハンマドを絡めなくともいくらでも揶揄出来るだろう。

一番描かなくてはいけないのは、この騒動で喜んでいるヨーロッパの人種差別者達を描くことだ。最も不愉快な方法は、チョビ髭の親父を描けばいい。バカボンのパパでいい。

 

 

無神論者だから解る事がある。宗教と言うのはもの凄く人を縛るものなのだと言う事だ。そしてそこには宗教の名を借りた、人が人を縛る構造がある訳だ。

企業がなぜ業績を開示しなければいけないのか、そこに粉飾があってはいけないのか、これは株主対策でよく言われている事だ。なぜ透明性が必要なのか。じつは従業員対策だ。企業はそこも考えているのだ。企業と言う合目的の集団ではそうだといわれるかもしれない。だが宗教もそうだ。そこの地方なりにある宗教はそれなりの透明性を求められている。そうでないと人は参加したくないと思うようになっている。

それではそれ以外の方法はあるのかと言えば、実はある。神秘主義への方向だ。私は今後のイスラム過激派は神秘主義に向かうのではないのかと思う。そうして穏健に見えるように変わるのだろうと考えているが、ただ後最低50年はかかるだろうか。

そこまでは私は生きていないな。

 

 

今現在サウジアラビアの王の病状が問題になっている。これが吉と出るか凶と出るかは誰も解らない。

凶と出た場合、イスラム過激派が今より活発になるのだろう。メッカの太守の座が空きそうになるからだ。

神は人の願望だと、なぜ解らないのだろうか。