どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

口に出してはダメ

2015-01-30 03:20:36 | 日記

 

後藤さんの救出なるか、という時間帯になった。ISISが求めているリシャウィ死刑囚はまだヨルダンにいると見られている。どちらにしても二人の同時解放はいわない訳で、ヨルダンのカサスベ中尉が先に殺されると言うのが解っているだけ。もしかすると二人とも解放されるかも知れないという望みはあるし、日本もヨルダンもその方向で交渉していると思われる。

日本とヨルダンの間にくさびを打ちたいからこうしているのだと思うが、ヨルダンの世論を考えると、カサスベ中尉が殺されると後藤さんは絶望的になる。ヨルダンは国家の命令で中尉を送った立場にあり、後藤さんは自由意志で入ったと言う違いは大きい。ヨルダンから見れば守る意義は少ない訳だ。強いていえばパレスチナに産業を興す資金を出すと言う日本の立場程度だろう。

まあそれにしてもイスラエルであの重要談話をしたのは失敗だったかも知れない。中身はかなりいいものだったが、日本国旗とイスラエル国旗がバックに並ぶ状況ではなにを言ってもアラブ社会には通じない。

 

 

南スーダンで、政府軍と反武装勢力の一部に和解が成立し、政府軍と合流する事になった。その際少年兵が解放されるのだが、その数3000人。一部だけでもこれだけいる。11歳から17歳、そして中には4年も戦闘を続けた子もいる。その彼らを社会復帰させるためにはなみなみならぬ努力が必要だ。3000人のためにどれほどの大人が必要になるだろうか。まず解らない数字だ。

そうしたらポゴ・ハラムが少年兵を訓練する映像を出して来た。ISISのメディア戦略を模倣しはじめたとして注目されているが、こうして解放された少年兵を取り込むための手段だと考えると、腑に落ちる。

今までも少年兵の解放はあった。だがその組織の中に染まってしまって、更に手厚い保護を受けられなかった子もいるだろう。そう言った子を引き寄せようとしているのだろう。

 

 

以前アメリカの不動産を買いあさる中国人についての記事を読んだ。中でもの凄く気になったのはアメリカの不動産屋が「超個人主義のお客さん」と言っていた。言い換えればワガママなのだが、なぜ超個人主義と言う言い方をしたのだろうか。

多分なのだが儒教国家圏にある「ホンネと建前」のホンネが、アメリカ人相手だと炸裂するのだろう。日本人は割とこの二つを柔軟に使うが、韓国や中国ではもの凄いギャップとして存在しているように感じている。例えば大戦中の日本軍の所行について、それは建前として悪と徹底的に叩いてくる。所が親しくなれば、ホンネで話すようになる。するとなんと言う事も無くフレンドリーな関係になれる。それでも同じ文化圏であるからそれなりのお作法はある訳で、ホンネが炸裂する事は少ない。ビジネス上だとあるのだろうが。

日本人は関係性を特に重んじると思う。その関係性は狭い島国ならではの緻密なもので非常に曖昧でありながらはっきりしているものだ。その中でのホンネと言うのはなかなか言いにくいものがある。

 

 

実は今回の人質事件で、昔の自己責任論は出てこない。だがやはり、「迷惑」と感じている人は多い。その緻密な人間関係の均衡の難しさから、こういった事件が起きると簡単に関係が怪しくなったりする訳だ。だから意見を言わない人が多いと言うのはある。そして日本人の安寧を求める摩訶不思議な心持ちがある。心が少しでもかき乱されるような事があってはいけない。そう言った意味ではこの事件は非常に取り扱いの難しいものだ。

だがやはりツイッターで、かなり過激な発言があるようだ。togetterだが「後藤は日本人なら潔く自害しろ」というまとめがあった。だがこれは日本人の一部だと思うが、本音でもある。政治利用や身代金ビジネスに使われるなら恥を忍べと言っているのだ。

とにかくこの話が終わって欲しいのだ。話が短気な日本人としては長くなって来た影響もある。

気持ちは痛いほど良くわかる。だが日本人らしく自害しろの言葉の意味が分かっているのだろうか。それは日本史の上で最悪と言われたあの特攻隊や、アッツ島や硫黄島、沖縄で言われた言葉なのだ。そして先日天皇陛下が訪れたパラオでなにがおきたのか。みんな日本人らしく死んだのだ。その意味を解っているのかどうか。自由意志で入ったからこそ、自由意志で自害しろと言うのか!

そして彼が生きて帰っても、その意味で第2の死が待ち構えているのだ。彼の今までの業績を全部ゴミ箱に捨てて、村八分にする日本人がいる訳だ。彼らが殺さなくとも、自分たちで殺すのだ。それが当然と思うから話すのか?

よくよく考えてもらいたい。彼はあの地で経験豊かなジャーナリストだ。そして現地の子供に焦点を当てた報道をしている。そう、子供を取材出来ると言う事はかなり信頼されているジャーナリストだと言う事だ。その彼が、袖振る縁で湯川さんを救出しようとコネクションを駆使したのだ。ジャーナリストは以外と無謀な事はしない。交渉出来るのが確実だったのだろう。だが彼は裏切られて売られたのだ。

もう一度言う。同胞を救おうとして、裏切られて売られたから今の境遇にいるのだ。これは何度でも言いたい。

湯川さん救済は失敗したが、彼を救う努力をするのは当然だ。

 

 

この超個人主義のツイッターを見て、嫉妬の深さを感じる。

嫉妬しているとしか思えないのだ。だからこそ逆転した剥き出しの言葉が出るのだろう。そして冷静さの欠いた剥き出しの本音が出ているのだろう。そもそも監視下で舌かんで自殺しようとしても処置出来る。自害するためには15分は誰にも見つからないのが前提だ。その上彼らの服を見れば、自殺出来るような紐なり何なりが出来ないようになっている。マグレブ収容所の囚人服を模したと言われているが、その通りになっているだろう。死ねるのだったら死んでいたと思う。死ぬ事が出来ないのが捕虜なのだ。

後藤さんを叩いて何になるのか。彼が戻って来て英雄まではいかないが、そう言った扱いになるのが嫌なだけか。目立つ奴は叩くだけか。

私は湯川さんと後藤さんが捕虜になって以降、この二人は殺されると考えて来た。だからもしかするとと言う思いはある。そして殺される事を前提に考えて来た私は、実はこのツイッターと大して変わらない。人としてはゲスだと思う。

でも口が裂けてもいわない。絶対いわない。言外に臭ってもいわない。

人が人に死ねって言えるのは、やってはいけない事なのだ。もしも日本人なら言霊と言うのを感じているだろう。それがテキストだから無いとは思っていないだろう。呪いは跳ね返るから注意しましょう。そうとしか言えない。

死ね言うのは、その死を受け取る覚悟が無い限り決して口に出してはいけない言葉です。軽く今の状況がなくなればいいのにという時に使う言葉ではありません。それが超個人主義的なのですよ。

生きて帰っても後藤さんは海外に移住するだろう。それでいいのか?

日本の死は余りにも軽い。