どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

久しぶりに泳ぎに行く

2015-01-13 04:14:42 | 日記

 

成人の日だ。子供の時からこの日の事を余りよく思っていない。実は兄弟3人とも祝日ニアピンなのだ。兄はクリスマス、姉はひな祭り。そして私は成人の日だ。クリスマスもひな祭りも祝日ではないが似たような物だ。なので24日をとるか25日をとるのかとなると25日だ。決して二日連続ケーキが食べられる訳ではない。そしてクリスマスプレゼントは当然ない。兄の誕生日だからだ。兄のみ。姉は自分の誕生日ではなくひな祭りを選択した。その方が都合がよかったのだ。多少のごちそうガ食べられたが、ひな祭りのお祝いと言うのがもらえる訳だ。ある意味2重取りだった。お菓子類は本人が独占。私にとっては意味の無い日だった。そして私だが、いつも曖昧にされた。自分の本当の誕生日を主張するのだが、明日祝日と言われてしまう。当時は15日が成人の日だったが、子供には関係ないと言われる。ケーキはある年父が抜いたシャンパンもどきが蛍光灯にぶつかって、全部がパーになって以降、何か記憶が無い。もしかするとこれは兄の誕生日だったかも知れない。私の誕生日は多少ごちそうだったような気がするが、姉よりは劣った。素材が安いのだ。

中学生になった頃には、次男坊ってこうゆう事なんだと解ったが、納得は出来なかった。あとこれは大きかったが、誕生会と言う物は我が家で開いた事が無い。理由は冬休みなのだ。姉は何回かやったような気がするが兄と私は無かった。おかげで誕生会に招かれる事も無かった。

 

 

バス停にジュニアの水着が落ちていた。男子用か。JSSか。しかし今の季節になんで落ちているんだ?

新成人はさすがの少子化、そしてさとり世代。あんまり暴れる話も出てこなかった。まあ暴れてもいいんだけど。

新成人に贈る言葉?まあ団塊の世代がやり散らかしたゴミの中に埋もれた時代に暮らしているのだ。そして地方の古さと新しさのカオスでもある。どうしようもなく立ち尽くして流されるままになるしかない。

オマケに2015年は世界情勢がキナ臭いまま進行している。日本は一応は景気は安泰と言われているが、マクロ経済とミクロ経済の乖離がある。マクロは悪くてミクロはいい。企業業績はよく倒産件数も減って求人も増えている。だが企業の投資が伸びなくて一般消費は落ち込んだままだ。ミクロもなんか怪しいのだ。世界情勢では、ウクライナ問題、これはロシアのルーブル下落問題と関係しているのだただ事ではない。ISIS問題、そして第2次世界大戦終結70周年で盛り上がるだろう中国と韓国の日本非難合戦、なお世界史に詳しい人は韓国がこれを言い出したら笑いましょう。更に世界近代史に詳しい人は、韓国が完全にアメリカより中国にすり寄ったと見ましょう。

ギリシャ問題も再燃しそうです。そして原油安でアメリカのシェールガス企業が倒産しましたが、後1年は大丈夫だと思うのですが、このシェール関連企業の倒産が相次げば、彼らが資金を調達して来たジャンクボンド市場(トリプルB以下の社債とかが取り扱われる投機的市場)が激動する可能性があります。シェール関連でジャンクボンドは安全と言う摩訶不思議な信用があった訳ですがそれが一気に崩れる可能性があります。ただありがたい事にサブプライムローンみたいにはならないと思いますので、限定的な地雷ですね。とはいえこれがなにに飛び火するのかは解りません。ベネゼエラの国債とか、ロシア国債とロスチネフの社債とか。

中国の景気減速も凄いですね。賄賂とか手抜き工事とかで7兆ドルが消えたんじゃないのかと言う報道がありました。とんでもない焦げ付きですね。それを隠したまま7%の経済成長出来るのだろうか、それも実質7%は難しいのではないのかと思われます。

そんな不安定な感じの世の中で新成人、大変ですね。でも一つだけいい事があります。日本社会が今激動しています。この理由はなんと団塊の世代です。彼らが18歳を超える前までは日本では自営業率が高かった様です。でも丁度景気が良かった時代で、悪くともそこそこ就職先はあった訳です。結果日本のサラリーマンが就業実態で70%を超えた訳です。その彼らがいなくなるのが今年です。急激にサラリーマンの増えた時代ではカオスのように古い物と新しい物が混じりあって、結果古い物も生き延びました。それが今無くなりつつあります。私にとっても、あの上が消えつつあると言うのは、青空が広がったような気にさせられます。それがそういったしがらみなど無い状態で世の中に出る訳です。不安定な時代とはいえ、チャンスしか無い時代とも言える訳です。

そして実はなんとでも生きる事は出来るのが日本です。でもそのためには目が開いていないと難しい訳です。高校や大学までの人生経験では何ともならない訳で、それだけに拘泥していては先が見えなくなります。読書とか新聞とかを読むのはいい事でしょう。その前に人の変化や歴史を学ぶのが簡単です。あなた方の先輩達はおだてると割としゃべってくれるはずです。中にはとんでもない言葉が出て来たりします。

「人は見たい物しか見ない」かっこいいでしょう?これって玉山の農家のおばちゃんの台詞です。元はローマのカエサルでしょう。そしてそれを実際に使ったのはアウグストですが、玉山のおばちゃんの人生経験からもこの言葉の真理がある訳です

どんな人でも、馬鹿にしてはいけない。かといって自分を卑下し続けてもいけない。実際人生勉強ばかりです。本だけではなく人だけでもなく、森羅万象すべてから知恵をつかみ取り続けなければいけません。

カメラマンなんて本当にそうだよ。だから止めとけって!感性があって技術もあって機材もあって、人柄も良く誰からも愛されて、出来れば多少の資産もあり、アイディア豊富で度胸と度量があるのだったら、とめないけど。

人の名前を覚えられない人は止めた方がいい職業です。

そして最後に、世間と言う言葉がいかに狭いかと言うのを知ってください。世間ではこういっているんだ!というのはかなり狭いです。世間は恐ろしく多様で信じがたいほど複雑です。なので行政はミクロ経済指標を使いたがりません。

一般化と言うのがどれほど怪しい物なのか、それは昨年の経済学者とジャーナリストを見れば解る通りです。

最も重要なのは目の前にいる人とのコミュニケーションです。世間と常識に従ったままではいけません。

 

 

落ちていたパンツから、訳の解らない所に着地した。松園営業所のトイレ前の訳の解らないアスファルトの刻みです。どうも水が溜まりやすくて溝を切った様です。どうも近くに穴が空いて、そこを埋めたら排水が悪くなって溝を切ったと言う流れの様です。

喫茶米山もcafe302もそうですが、最近こういった自営業と言う流れがあります。cafe302にはそう言った人が集まるのでちょっとこのムーブメントは面白いと考えています。つい最近まではそのサラリーマンが70%と言う時代があって、それがロールモデルだったのです。終身雇用制の崩壊と言われていますが、もとに戻りつつあるのかと思う所があります。

ただ私の失敗もそうですが、やはり情熱だけではだめです。片目は開いていないといけません。

とまた元に戻ったか。やはり養老孟司の「バカの壁」は名著です。新成人にはオススメします。

 

 

ゆぴあすがんばっているな。切ない感じまでしてきます。インクジエットプリンターの不具合も見えます。

このところの気温で、総合プールでも良かったのですが、完璧インターバル以外出来ないと思ったのでゆぴあすです。この水温の微妙な高さと客層の不真面目感がいいのですが、今日はなんとマジが両脇に。なので辛い事になりました。

左手が覚えたキャッチの感覚を右手に覚えさせるという作業をずっとしています。更にプル、最大出力のポイントは右手が良くわかっている訳で、それを左手に覚えさせると言う作業もします。で、右手は背中も全部含めて筋肉の連動がうまくいっているようなのですが、左手はそれがうまく言っていないので背中をどう使うのかと言うのもやっています。

すると変な感覚が起きる訳です。左は素直に動くのだけど不器用です。右は頑固なんです。でも器用なんですよ。左は癖が無いと言った方が解りやすいかもしれません。右は手首で全部誤摩化している感じがしています。

こういった右左問題ですが、写真でもずいぶんやってきました。左目でファインダーをのぞくとか。蛇腹のカメラとか中判カメラでは操作に時間があるので見比べるとか散々やってきました。スポーツなんかだと左目でシャッターチャンスを選ぶとかやっているんですが、それで結果が劇的に改善される事はありません。ただ新しい発想を得るためだけにやっているのですが、私の左目はコダック調の色彩であり、右目はフジ的な色彩感覚だとか、左目の反応速度はやたら遅いのだが右目と合わせて使うと、右目単体より早い反応スピードがあるとかそう言った結果が私ではあります。

養老孟司の「バカの壁」ですが、大脳支配の身体感覚と言うのを批判している所があります。それでは身体を取り戻すためにはといって、例えば自転車ですが高級車を買ってそして合わないとかいって部品を交換しまくったりする人もいますが、やっぱり大脳支配に戻る訳です。ウエイトトレーニングをやりすぎて失敗する人も同じ事なのかもしれません。

身体に関しては、本当に捕われてはいけないというのが良くわかる訳です。自分と自分の肉体にあったスタイルをどう作るか、そして自分を本質的に理解するために、スポーツと言うのはあるのだなと思う訳です。

ということでスポーツに関して言えば、ダメだったらダメでいいんです。いやもっと言えば自分の才能の無さと運のなさをわきまえればいい話です。そこから先は、素直になればいい話なのです。

とはいえオーバーワークをやらかした昨年は、まさに「バカの壁」でした。

 

 

夕方に雪が降りました。

帰りのバスでは、室内の温度が下がらないようにドアを締めて待っていました。前に行くとドアが空くのですが、私が乗ったら閉まった訳で、それを見たおばあさんが出発すると思って手振り身振りでアピールするのですがそれが良くわからない。なにしろバス停と違う方向に歩き出したからです。それでもバスが止まり続けるのをみて、方向を変えました。おばあさんはバスのドアまで来ると当然ドアが空く訳です。それからおばあさんの運転手への罵倒が延々続いた訳です。一応ロジックとしては「ドアが閉まったから出発するものと思った。そこから先は手を挙げれば止まってくれるフリー区間になるからそこまでがんばってあるこうと思ったが、バスが止まったままなので乗れた訳だが、それにしても不親切だ。なぜ乗れるかどうかも解らないままにしてこの若いのが乗ったらドアを閉じたのか、年寄りをいじめているのか、年寄りってそこまでだめなのか。運転手さんもイロイロあるけど、だからそうなのかも知れないけど酷い人だね全く」みたいな事をいい募っています。だんだんおとなしくなるだろうなと思っていたら、バス停で乗客が乗った訳でそこで再燃。ウワー!ループ再燃。乗って来たお客さんもがんばっていたが、さすがに声をかけた。「お客さんが寒くないように、室内の温度を一定にする用にドアの開け閉めをしていただけなんですよ。」と言ってしまった。ループはそれで途切れた。

年寄りはめんどくさい。めんどくさくないように年を取るのが今後の目標かも知れない。

なおこの運転手だが、かなり気を使って運転していたのだが。振動が出来るだけ無いように細かく操作してアクセルやブレーキもスムーズになるようにいい運転していたのだが。

 

 

人生寝るのが一番。真面目にそう思うぞ。

ブログ書いている暇があれば、寝た方がいい。