活かされている。
活かされていた。
ここに気づくと何も言えなくなる。
手を合わせるのみになる。
ギリギリで生命と付き合うと、
理屈は消えてしまう。
理屈で理解できないのだ。
何が起こるかわからなくなる。
経験も体験も役に立たない。
生命は人間を超えた管轄だ。
それだけは感じる。
だから、いつも、未来はわからない。
だから、いつも、希望が持てるのだ。
絶望を宣言するドクターがいたら、
そのドクターは愚かだ。
生命を理解できると思い上がった愚か者だ。
立場からの意見と絶望宣言は違うだろ。
ケンカをするつもりはない。
(トラブルは苦手だしドクターは権威がある。
権威が威張ると、メンドウだ・・・。
簡単に謝ります。ゴメンなさい・・・)
ワシは生命は理解できぬが、
愚かな人間は判断できるぜ(と独り言)
ワシも人一倍愚かな人間だ。
だから予想もしてしまう。
だが、予想が外れる事も知っている。
ワシは愚か者だと知っている。
正しさを判断できるとは思っていない。
ワシの仕事は正しさを知らせる事じゃない。
生命力の活性化だ。
未来は判らないが、今すべき事は判る。
活性化の手段も持っている。
理屈は解らなくても、使えるのだ。
ここにきて、何となく納得する事がある。
何で、ワシだったのかと。
「いいかげん」で根性無しのワシが、
何で、今の仕事が天職なのかと。
立派な人では・・・向いていないのかも。
生命を応援するのは、根性無しが向いているのかも。
理解する事をアキラメるタイプが向いているのかも。
マジメだと生命力が抜けてしまうのかもね。
何だかなぁ・・・
いいのだか、けなされているのだか判らんが、
兎に角、しょうがない。
何時、どうになっても、嫌じゃない。
これに関してなら、辛い事が嫌じゃない。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
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