水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「好転・7」

2006-04-20 22:28:02 | Weblog


ワシは今の仕事(ライフワーク)に出会った。
数年間は現実社会とのズレの調整に手間取った。
何しろそれまでの商売(店)をたたんだ。
本妻一人と子供二人がいた。
現実社会は収入が無いと暮らし難いのだ。

ワシは自分の道と出会ったから幸せだった。
だから商売は辞めた。
ボランティアも辞めた。
我がままの生き方を選んだのだ。
我がままの道は幸せなのだ。

だが現実社会は窮屈だった。
メシを食うには金が必要だった。
生活する為の仕事(商売)をせっかく辞めたのだ。
我がままの道が見つかったのだ。

もう、道を歩き始めてしまったのだ。
今更生活の為の仕事には戻れなかった。
知ってしまったら、戻れない。
ワシの生きる道(ライフワーク)しか歩きたくない。
我がままの道はワガママなのだ。


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「好転・6」

2006-04-19 20:11:12 | Weblog


好転・落転を一つの事象で決める。
それが、間違いの第一歩だ。
間違いが何で起こるか?
それは・・・
正解を決めるからなのだ。

かの偉大なバカボンのパパも言った。
「それでいいのだぁ~」
全てに同じ言葉を言ったのだ。
さすがだ・・・間違いは無い。
間違いの無い人生。
人生の達人とは、こういう人をいう。

バカボンのパパは転ぶ。
とてもよく転ぶ。
好転、好転、好転・・・。
コツは明るさにある。
明日という字は、明るい人(日と)同じだ。


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「好転・5」

2006-04-18 22:17:57 | Weblog


「未来は不確定故にラッキーである」
イイカゲン道、師範代見習い補佐の言葉である。
決ってないのなら、どうにかなるだろう。
嘗て、植木等という偉人がおっしゃった。
「そのうち、何とかな~るだろう~♪」
真実の言葉は、こういうところに落ちている。

落転が好きなら、落転すればいい。
だが好転が好きなら、好転にすればいい。
全てはアナタ次第なのだ。
「落転」「好転」という転び方があるのではない。

転ぶ時は(ほぼ)一瞬なのだ。
神様が決めているのではない。
転びは、単なる「転び」でしかない。
その後次第で「好転」となり「落転」となる。
その後次第は自分次第なのだ。
神様次第ではないのだぞ。


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「好転・4」

2006-04-17 21:32:21 | Weblog


未来は判らない。
未来は不明なんだ。
これは人間なら誰でも同じだ。
どんなにエラソーにしている人も同じだ。
エラソーに占いや予言をする人も同じだ。
未来は不確定だからだ。

不明や不確定。
これは「ラッキー」という意味だぜ。
不明だから何とかなるかもしれん。
不確定なら、何とかなるだろう。
棚から和菓子と珈琲が・・・
棚から札束を抱えた美女(美男)が・・・

世の中、何が起こるかわからんぜ。
固定概念に縛られていてはツマラン。
ツマラン人生はツマラン(間違ってはないが、ヘン?)
不明や不確定や不正や不貞は面白いのだ。
(え~・・・一部、不適当な表現があったかもしれません)

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「好転・3」

2006-04-16 23:11:43 | Weblog


芸を意識しても転ぶ事はある。
転び方にも方法がある。
だが、それは人生の上級者用だ。
人生の達人など、それほどいない。
一般には参考にならないのだ。

転ぶのは仕方ない。
問題は転んだ後だ。
どう転ぶかは問題ではない。
転んだ後の歩き方が大切なのだ。

そこで「好転」と「落転」の違いになる。
転ばないように歩くのではない。
転んでから、どう歩くかだ。
難しい事ではない。
「好転」なんて、当たり前なんだぜ。

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「好転・2」

2006-04-15 22:30:49 | Weblog

アホだから人間なのだが、アホのままというのも芸が無い。
芸は大切なのだ。
芸は人も自分も助ける。
最近では、ハードゲイで儲けているヤツもいる。

芸は他を喜ばせるモノだ。
他を喜ばせるのが、生まれてきた役割だ。
他というのは利害関係の無い相手だぜ。
だから芸の無いヤツは人間失格なのだ。
今からでも遅くない。
他が喜んでいただける何かをしようぜ。

アホ(人間)は歩くように出来ている。
その歩き方が「芸」というものだ。
芸の無い歩き方はクズという。
自分だけが楽(得)をする歩き方がクズだ。
最近の日本はクズだらけになった。
政治家先生が見本だ。


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「好転・1」

2006-04-14 23:17:17 | Weblog


人は転がる。
二本の足しかないんだぜ。
安定が悪い。
オマケに立っているだけじゃない。
歩く、歩き続けるんだ。
だから・・・転がる。

転がる事を前提条件に歩く。
転がったくらいで、オタオタする必要は無い。
ガッカリしたり、悲しむ必要も無い。
転がるのは、赤ちゃんの頃からあった。
いいかげん、慣れてくれよ。

大人になるというのは固定概念が増えるという事だ。
「人は転がらないように歩くものだ」と思い込む。
だが、誰でも転がる。
そして、落ち込む。
自分で決めた概念が首を絞めるのだ。
概念なんて、仮の姿なんだぜ。
人はアホだから人として生まれている。


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「春の氣・12」

2006-04-13 22:33:59 | Weblog


「春の氣」で活性化された生命力。
コイツを活用しないテはないぜ。
生命力は回復力だ。
春は、上手く使えば、回復の季節だ。

刺激活性されるが、浮かれて(狂って)いる。
浮かれた氣は上部にあるのだ。
当たり前だ。
ならば、下げればいいではないか。
それができれば、春は回復の季節だ。

ワシはプロだ。
だから、優しいが、親切ではない。
だから、これ以上は教えない。
春は、回復のチャンスだぜ。


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「春の氣・11」

2006-04-12 20:52:50 | Weblog


花見で浮かれる。
酒で酔う。
判断力は狂う。
生命力は刺激される。
・・・妊娠しやすいのだ。
ネコも犬も蛙も人も・・・。

地球の生きとし生けるモノ達。
春の氣で続くのだ。
綿々と生命が連なるのだ。
春の氣を受ける、浴びる。
「狂い」はガイア(地球生命)を悦ばす。

(少しの)狂いが生命をつなぐ。
人生も、また、然り、かな。
生命も、また、然り。
この世の仕組みはヒネクレているのさ。


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「春の氣・10」

2006-04-11 22:53:12 | Weblog

桜を見ると人は狂う。
酒とゴザ(今はシート)を持ち出す。
歌う、踊る、笑う、騒ぐ。
そして、少し元気になる。

猫はフケる。
(発情期だぁ・・・何故、あんなに悪声なんだ?)
変質者もフケる。
(より発情する・・・困ったもんだぁ)
見境無しは狂った証拠だ。

大丈夫!
一般人も少しはフケているのだ。
目も耳も判断力も狂っているのだ。
ブサイクには恋のチャンスでもある。
ガンバレ!
(注: ワシは純粋に応援しています・・・
他意はありません・・・)



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