水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「春の氣・9」

2006-04-10 22:42:31 | Weblog


マジメな人は狂いやすい。
この「少し」が出来ないのだ。
足るを知らないのだ。
「いいかげん」は、とても深い知恵なのだ。
(と、自画自賛、独善独尊)

病(闇)になりやすいタイプがいる。
マジメな人達だ。
何でもマトモに受ける。
「春の氣」もマトモに受ける。
心の病も同じだ。
不マジメは心の病にならない。
(体の病にはなるけど・・・)

桜の花には狂気が混じっている。
多くの先達が見抜いていた。
春の氣は、狂気を伴っている。
文学は物語ではない。
そこには深い観察がある。



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「春の氣・8」

2006-04-09 23:32:40 | Weblog



マトモに狂うと生命は破滅に向かう。
だが、少しの狂いは活性する。
少しはナニかに狂うのが、元気のコツでもある。
少し色香に狂うのは、若返りの秘訣でもある。

「狂い」は使い方で活用できるのだ。
昔から諺にもある。
バカと鋏は使い方・・・。
政治家だって役人だって、使い方で役にたつのだ。
ほとんどは正誤や善悪や優劣ではない。
使い方なのだよ。

コツは「少し」にある。
「足るを知る」というのは深い意味があるのだ。
小さく満足することではないぞ。
大きな満足に役にたつのだ。
それは、狂い、も同じだ。


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「春の氣・7」

2006-04-08 22:10:18 | Weblog


「春の氣」は生命力を活性する。
生命を刺激して活性する。
調和が追いつかないまま刺激する。
否応なしに活性する。
元気というよりも・・・少し狂うのだ。
狂いは生命の刺激でもある。

春は狂いの時と空間なのだ。

調和力が不足している人達がいる。
その人達に「春の氣」は刺激が強すぎる。
だから・・・少し辛いかもしれない。
生命の低下の辛さではない。
生命の刺激で活性するのだ。
だが、それは不調和をまねくのだ。

いいような、迷惑のような・・・。
色っぽさの微妙な人妻に惚れられるようなものかなぁ・・・。
(全く例えになってない・・・)


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「春の氣・6」

2006-04-07 22:49:03 | Weblog


相似象の多重構造。
この世の仕組みだ。
自然の仕組みだ。
生命の仕組みでもある。
神の仕組みでもある。
だから、人の仕組みでもある。

「ゆらぎ」も相似象の多重構造だ。
「ゆらぎ」の内に「ゆらぎ」がある。
「ゆらぎ」の外に「ゆらぎ」がある。
更にその外側にも「ゆらぎ」がある。
更に更にその外側にも・・・・
(こ、これ・・・前の文章と同じだ・・・
あ、あぁ、ボケと疲れがらんでぶぅ・・・古っ!)

「春の氣」は変化度が強い。
「小さなゆらぎ」から外れている。
「大きなゆらぎ」の範囲ではある。
外れてしまった分が微妙な影響を与える。
ある人達には、影響が出てしまうのだ。


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「春の氣・5」

2006-04-06 22:59:12 | Weblog


「ゆらぎ」は多重構造になっている。
この世の仕組みも同じだ。
自然の仕組みも同じだ。
体(生命)の仕組みも同じだ。
だから神の仕組みも同じだ。

何も難しい事はない。
とても・・・ワンパターン。
グレちゃん(創造主)は何も考えてない。
とても・・・メンドウクサガリ屋だ。

自然は「ゆらぎ」だ。
だが「小さなゆらぎ」と「大きなゆらぎ」がある。
更に「もっと大きなゆらぎ」がある。
更に更に「もっともっと大きなゆらぎ」がある。
更に更に更に・・・あぁ、つ、疲れた・・・。


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「春の氣・4」

2006-04-05 21:42:38 | Weblog

変化と安定がスムーズに変換される時、
それを「調和」という。
安定だけだと「停滞」になる。
「濁り」は安定から生まれる。
安定だけの人生は濁るのだよ。

変化の連続は「狂い」となる。
狂いは「破滅」を生む。
刺激(変化)だけの人生は破滅する。
片寄った人生は苦労するぞ。
ブッちゃん(仏陀)は2500年前にそう言った。
中道という言葉で。

「調和」は安定でも変化でもない。
ゆらり、ゆらりと揺れ動く様だ。
「ゆらぎ」は自然(神・生命)の性質だ。
ワシはそれを「いいかげん」と名づけた。
賛同する人は・・・少数だ・・・。


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「春の氣・3」

2006-04-04 23:17:49 | Weblog


全ては生命だが、活性は「波」である。
その波紋を作る一つに「春」がある。
春という時間と空間がある。
春という「氣」がある。
生命を刺激する波動となる。

刺激は反応を呼ぶ。
反応とは「狂い」の事だ。
「狂い」は「恒常」を呼ぶ。
「狂い」と「恒常」の動きが「やわらぎ」となる。
生命は「やわらぎ」で大きくなれるのだ。

生命は自然であり存在であり神である。
自然は変化と安定を常に繰り返す。
一時の休みもなしに・・・。
諸行無常とはそういうことだ。
万物流転とはそういうことだ。

それは生命の姿でもある。


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「春の氣・2」

2006-04-03 20:13:45 | Weblog


春の氣。
一定の時間であり、一定の空間に限定される。
その時間内だけ刺激がある。
その空間内だけ刺激がある。
生命と存在に刺激をする。

物質を存在させるモノ。
それを「生命」という。
単純に生きているだけじゃない。
「生命」は「存在」である。
そして・・・「神」ともいう。

「生命即神」
浅い意味ではない。
全てが存在であり、
全てが神である。
そして、全てが「いのち」でもある。


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「春の氣・1」

2006-04-02 21:03:21 | Weblog


何度か書いた事がある。
春は生命力を刺激する。
それは生物に限らない。
というか・・・通常の生物の概念は狭い。

生物は「存在」だ。
存在するモノ、全て生物。
だから春は全てに刺激する。
ただし、春のエリア内に限ってだ。

春の海は途中で変わる。
春の雲も途中で変わる。
春の空気も途中で変わる。
春は一定の空間なのだ。
それは一定の時間でもある。


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「R・2・6」

2006-04-01 19:55:51 | Weblog


口から飛び出たパスタは短い草の生えた土に転がった。
キ:「おっとっと。ゴメン、ゴメン」
キリストはパスタに謝ってからフッと息で土を弾き、愛しそうに口に入れた。
それを見ていたゲシュナムは少し真顔になった。
ゲ:「こうして食事をしているだけで、深い学びが出来ます」
キ:「ゲシュはん、学びなんてしなくていいんだぴょ~ん」
ブ:「ゲシュはんは、まだ人間社会の癖が抜けてねぇから仕方ねぇよ」
ゲ:「はぁ・・・解ってまんが、一応、ワイの役目があるようやし・・・」

理解されきれなかった超二大偉人の引出し。
どうやらゲシュナムはその紹介役でもあるようだ。
そもそも偉人が簡単に理解されるはずもない。
偉人も異人も変人も似たようなものらしい。
偉人の理解は未来で開かれる。
それは仕方が無いものだ。

ゲ:「料理する。いただく。生きていく。生き方。同じやなぁ・・・」
ブ:「何も難しい事ぁねぇぜ」
キ:「そうさ~♪愛こそ全て~♪」
ゲ:「キリちゃん、ずぅ~と同じ言葉を言ってたんやねぇ」
キ:「それしか~♪ないじゃん~♪」
それにしても・・・酷い声と酷い音程と酷い歌詞だった。


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