水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
正式参拝。
階段の上り方。
宮司様より玉串の受け取り方。
御神体前までの移動の仕方。
二拝二拍手一拝(と軽く一礼)。
御神体前からの移動の仕方。
階段の下り方。
等々の作法を一通り教わる。
上下白の服に着替えて神殿に。
通常は階段下の胡床(折りたたみ椅子)に座る。
ところが、階段のやや広くなっている中段に席が用意されていた。
龍村グループは特別扱いされているのだ。
神様は贔屓する。
当たり前だ。
そんな事をゴチャゴチャ言うのは心の狭い人間だけだ。
自然界では、当たり前だ。
贔屓は特殊な出来事じゃないぜ。
当たり前に気づく。
すると贔屓されるように仕組まれている。
でもなぁ・・・
当たり前が出来そうで・・・
中々出来ないんだなぁ・・・。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
奉仕という言葉がある。
ほとんど誤解されている。
酷いのは「タダでする事」という意味など・・・。
奉仕はそんなに浅くない。
自と他の区別をしない行い。
自の全てと他の全ての境がない。
そして、それは喜びの行い。
奉仕する、奉仕されるの区別は出来ない。
この世の理に沿う。
するとグレちゃん(創造主)は御褒美をくれる。
喜びだ。
法悦という別次元の喜び。
それが奉仕という事なのだ。
それを水は性質で教えてくれる。
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この世にあるモノ、何一つ分けられない。
表面では分けられる。
一見、分けられる。
一応、分けられる。
だが、全ては繋がっている。
個と全体は同じ。
水はそれを教えてくれる。
一粒の水と大海の水。
水蒸気の一部と身体の水。
アナタの潤いとワタシの潤い。
全ては繋がっているのだ。
そう
この世は
節操が無い・・・・。
ワシの性格はこの世を表している・・・。
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天河大弁才天神宮。
そのすぐ裏手にある民宿にお世話になる。
参集殿という集会場でセミナー顔合わせ。
総勢22名。
そのほとんどはヨガ関係者だ。
師匠の龍村修先生とは1年半ぶりだ。
和子・ヒリヤー・龍村先生とは9年ぶりだ。
柿坂神酒之祐宮司とは7年ぶりだ。
天河ボランティアの矢島さんも7年ぶりくらいだ。
参加者の中にも数年ぶりの人達が数人いた。
各自いろいろな思いを抱いて天河に来ている。
それは偶然であり、必然でもある。
ワシも流れるように来られたと思っている。
自然でもあり、たぶん・・・必然であるだろう。
運命を左右する要素の濃い場所だ。
眠っている何かを揺り動かす要素の濃い場所なのだ。
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役の行者こと役小角によって開山された大峯。
時は飛鳥時代。
大峯の鎮守として天河大弁才天神社。
現在地には天武天皇の英断により社が建立。
日本国最高の超能力者、役の行者。
その後、役の行者の生まれ変わりとウワサの空海が来る。
空海、またの名を弘法大師。
生まれ変わりではなく、時を超えた役小角本人とも。
二人の時の差は400年だ。
空海はいつでも役の行者の修行場や開山に来ている。
ワシが氣功師となった、生駒山もそうだった。
宝山寺の奥の院の奥、空海のこもった岩窟がある。
役小角は生駒で啓示を受けたのだった。
超能力者といえばカッコイイが、
パワーあふれる変わり者・・・。
そして、時と空間を超えるほどの自由人。
二人が好むのは、「氣」の清浄な場だ。
そういう「場」は、楽で愉しいんだぜ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
ワシは日常生活を書かない。
恥は日常でかく・・・。
時事ネタも書かない。
だけどぉ、こころわぁ、すぐかわるぅ♪
ワシの信念は陽炎でできているのだ。
16日朝、5時半起床。
5時50分、本妻の運転で上毛高原駅。
途中のコンビニでオニギリ一個購入。
6時18分、上越新幹線で東京へ。
7時50分、東海道新幹線で京都へ。
10時45分、近鉄特急で橿原神宮駅へ。
11時46分、下市口駅へ。
中型バスは人数が乗り切れなった。
急遽臨時バスを出してくれた。
ワークツアーのみで一台になった。
細い山道を上って下る。
連休などで車が多く、すれ違えない箇所が幾つかあった。
おおよそ、80分、天川地区に入る。
そして、ワシは初めての天河(川と河の字が違うぞ)神宮に辿り着いた。
やっと、天河に呼んでいただいたのだ。
7月17日の例大祭に合わせてのセミナーだった。
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話は横道にそれるが・・・
人魚(もちろん美女タイプ)を上下に分けた場合。
上半分を持ち去るヤツは色気優先。
下半分を持ち去るヤツは食い気優先。
どちらも不幸な道を歩くのだ。
高橋留美子氏の「人魚シリーズ」を読みなさい。
そこには、人生を見つめ直す、何かが描かれている。
生きる事。
そして、死ぬ事。
誰にでも必ずある二つの出来事。
その間の「時」というもの。
この世にあるモノ、何一つ分ける事は出来ない。
(最初から分けるなんて設定しなければいいのに・・・)
そうだ!
次のテーマは「時」にしよう。
ワシのような「行き当たりバッタリ」は反省が必要だ。
い、いや・・・
ワシのような「行き当たりバッタリ」でも哀しさも悦びもある。
なんだろうね・・・人生って・・・。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
水は節操が無い。
相手が誰であろうと相手をする。
好き嫌いが無いのだ。
アタシ・・・アナタ好みに染まるわ・・・。
(今や貴重な心意気といえる)
「水と油」というが、嫌いなわけじゃない。
時には(条件さえ合えば)馴染む場合もある。
乳化作用で混ざってしまう。
オッパイは水と脂でできている・・・。
水は半分にしても、百に分けても同じだ。
人間だったら、こうはいかない。
上下に半分にするか、縦に半分にするかでモメる。
どちらにしても・・・気持ち悪い・・・。
だが、水は気持ち悪くならない。
エライ!!!
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
最近「水」は研究されている。
その特殊性を書いている本が幾つかある。
「地球上の生命の元は、他の天体からの水」
「水は情報を転写し伝える」
「水は生きている」
ワシが同じような事を言ってもしょうがない。
ワシは独自の視線から勝手に決め付けたい。
ワシは独善家のプロになりたいのだ。
そ、そんなヤツは腐るほどいる?
そ、そうだね・・・
ならば、ワシは(腐るほどいても)独善家のアマチャアになりたい。
「水は向こう見ず」なヤツだ!
どうだ!
誰も言ってなかっただろう。
しかも、駄洒落付きだぜ。
(ほとんど、意味ねぇ・・・)
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
ワシは不思議なモノに魅かれる。
不思議なモノに「水」がある。
とても、とっても不思議な性質なのだ。
だが地球では普遍的な物質だ。
物質かどうかもアヤシイくらいヘンなヤツなのだ。
だが・・・地球上では普遍的にあった。
とても特殊なことなのだ。
普遍的に「水」のある特殊な星。
その為に「水」の特殊性が見過ごされてきた。
誰も不思議だと思わなくなっていた。
だが、その特殊性は未だに解明できないままだ。
「水」は不思議なヤツなのだ。
不思議は多くの可能性を秘めている。
生きとし生けるモノ達を応援する力だ。
理由の解明など、どうでもいい。
「水」は生命を積極的に応援するモノだ。
素直に付き合えば、地球は楽になる。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)