水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「R・2・12」

2006-07-11 21:31:57 | Weblog


ブ:「ワシもキリちゃんも同じだから気が合うのさ」
ゲ:「ワイは?」
キ:「人は誰でも気が合うようにできてるっぴ~」
ブ:「ただし・・・笑顔の時だぜ」

確かに仏陀もキリストもここでは笑ってばかりだ。
何も無い笑顔だ。
何も無い笑顔同士、気が合わないわけがない。
解放や平和なんて、とても簡単だと知る。
ここは
楽園なのだ。

笑顔と愉しい会話で会食が終わる。
仏陀のイタリアン料理は美味しかった。
それは「命をいただく」事を充分理解した者達への御褒美だ。
笑顔と愉しい交流は全てを宝に変える。
ここは楽園なのだ。


(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「R・2・11」

2006-07-10 21:22:32 | Weblog


キリストは一般世間のイメージが肌に合わないらしい。
自由人で生きてきたのに、厳格な聖者にされた。
他の犠牲に生きたと勘違いされた。
自分の好きなように生きてきたのに。

キ:「無責任を目指していたのににゃ~・・・」
ブ:「大丈夫、キリちゃんの無責任は成功だぜ」
キ:「ブッちゃんにそう言ってもらえると、うれぴ~だっちゃ」
ゲ:「無責任の自由人やから、モンクなしの優しさなんやね」
ブ:「真の自由人だから責任からも自由なのさ」
ゲ:「真の優しさは自由でないと生まれないわけやね」
キ:「遠慮はいいから、もっと褒めて、なのだぁ」

ブ:「キマジメや苦悩の顔じゃ幸せになれんぜ」
ゲ:「まして人を解放なんてできへんねん」
キ:「チッチッチ!ゲシュはん、それが勘違いだっちゃ。
ボクちゃん、世のため人の為なんて思った事あらへんや」
ゲ:「キリちゃん・・・言葉使い、ワイの関西弁やで」



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「R・2・10」

2006-07-09 20:59:02 | Weblog


どうやら超二大偉人の言葉は誤解されたらしい。
あるいは、意図して誤解して使われたようだ。
まぁ、しょうがない。
偉人の言葉を簡単に理解できようはずがない。
偉人は変人や奇人の仲間だ。
超偉人は異(特別変わった)人でもある。

ブ:「何だって使い方なんだぜ」
ゲ:「活かす、それだけでんな」
キ:「アホと鋏は使い様なのだ」
ブ:「そういう事だ。アホも賢者も大差無ぇさ」
ゲ:「後生大事に言葉を持ち出しているだけじゃあきまへん」
ブ:「言葉にとらわれたら先は観えねぇさ」

キ:「ボクちゃん、この世で一番、無責任と言われたオトコ♪」
ゲ:「キリちゃん、残念だけど、一番責任感の強いオトコと言われてまんねん」
キ:「そ、それは、誰かの陰毛やぁ・・・間違い、陰謀だぁ~」
ゲ:「今更ダメかも・・・信者は固定概念で身動きとれんわ」
キ:「ク、クソォ~・・・グレてやる」



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「R・2・9」

2006-07-08 21:47:38 | Weblog


言葉はモノを表す。
そしてモノを現す。
それはモノを縛っているからだ。
同じ言葉を発し続ける。
モノは言葉で呼び寄せられる。

キ:「ボクちゃん、愛のみ。あとは何も要らないっぴ~」
ブ:「愛は最初から最後まである。それ以外はいらんな」
キ:「だから、言葉も要らないっぴ~」
ゲ:「ぴ~、の使い方が、ようわからんわ?」

ブ:「道を伝えるのは言葉じゃないぜ」
キ:「だから言葉は活かさなきゃ~、と言ったのりぴ~」
ゲ:「ますます、いいかげんな言葉使いやねぇ・・・」
ブ:「言葉は、方便か例え話程度で使うもんだ」
キ:「言葉に縛られたら、道は伝わらないっちゃ」


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「R・2・8」

2006-07-07 22:35:48 | Weblog


キ:「伝道は言葉じゃないだっちゃ」
ゲ:「キリちゃん、『だっちゃ』って、どこの方言?」
キ:「ラムちゃんだっちゃ」
キリストは日本に降りた時、ゴミ捨て場からマンガを拾ってきたのだ。
高橋留美子氏の「うる星やつら」にハマったらしい。

ゲ:「キリスト教は特に言葉を強調しはってますやろ?」
キ:「言葉を強調するのは制圧時の手段だっちゃ」
ブ:「ワシ等の言葉だけを利用し、組織の拡大や維持に使ったのさ」
キ:「自由人のボクちゃんが、言葉を強調するはずがないっちゃ」
ブ:「違げぇ無ぇ。ハッハッハ」

言葉は力がある。
だが、真実を伝える力ではない。
何かを縛る力だ。
何かを捕まえる力だ。
仏陀やキリストは自由とやわらぎを伝えたかったのだ。
言葉を伝えるのは意に反していたようだ。


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「R・2・7」

2006-07-06 22:18:38 | Weblog


次第にキャラクターが出来上がってくる。
勝手にキャラクターが動き出す。
だがワシの表現能力は低い。
書き続ける根性は微少。
まぁ、いいかぁ。
実験段階だ。

四月一日頃からの続きだ。
時々、気まぐれで書き出す。


ブ:「メシはよぉ、殺生しねぇと食えねぇんだ」
仏陀は伝法な口調だが静かな声だ。
パスタの食べ方もキリストと違い上品だ。
キ:「そうだっちゃ。う、美味い!
ボクぁ、それを、ゴクン、原罪と言ったけどね、む、むせたぁ」
キリストは相変らず節操無く頬張りながら話す。
ゲ:「キリちゃん・・・。話すか、食べるか、どちらかにしなはれ」

ブ:「殺生は殺しじゃねぇんだ。生命の輪廻だぜ」
ゲ:「殺生の禁止じゃなく、殺しの禁止を話されたのやね」
ブ:「殺生と殺しの区別を話したんだけどなぁ・・・」
ゲ:「いつでも活かす、生きる、が基本でんなぁ」


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「我田引水・7」

2006-07-05 21:41:09 | Weblog


誰でも我田引水している。
だが、ほとんどは遠慮しながらだ。
あるいは、隠している。
「我田引水は悪い」という思い込みのせいだ。
そして、水を引く事をキチンと出来ない。

アヤフヤな善悪を基準にするからだ。
固定概念をやわらげようとしないからだ。
自と他を別々なモノをしすぎているからだ。
自と他なんて、交じり合っているんだぜ。
まして身体(生命)は自分のモノじゃない。
自分が管理しているだけだ。

管理人(自分)が田に水をキチンと引けない。
それは管理人として低能力という意味だ。
結果として病み(闇)がある。
身体は全てに繋がっている。
身体を愛すると、それが判る。


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「我田引水・6」

2006-07-04 19:45:11 | Weblog

心はアヤフヤなヤツだぜ。
自分の心に都合よくしても無駄だ。
コイツは感謝を知らない。
ウソだと思うなら自分の心を観てごらん。
(心を観る事も忘れてたりして・・・)
可愛くないだろう?

感謝を知っているのは身体だ。
確かなヤツは身体だ。
何故なら、身体は神様(グレちゃん)が用意したからだ。
だから身体には水を引こう。
優先して水をあげようね。
すると、身体は感謝する。
フッ、可愛いヤツだぜ・・・。

不安と不満と不幸な道を歩いている人。
自分(の身体)を優先して愛してみたらいいよ。
身体は感謝する。
不安と不満と不幸は消えていく。
我田引水は難しい作業じゃないぜ。

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「我田引水・5」

2006-07-03 22:44:23 | Weblog

水を入れるのは出るからだ。
出なければ、すぐ満杯になってしまう。
水は染み込む。
水は気体に変化する。

水を「思いやり」と訳せばいい。
思いやりを「愛」とか「慈悲」とか訳せばいい。
決して「重い槍」と訳してはならない・・・。
まして「利益」などと訳すのは下衆だぜ。

「自分に都合のいいように引用する」
ほとんどこんな訳になっているはず。
それでいいのだ。
「自分」の指すモノを間違わなければ・・・。

「自分」は「自分の心」ではない。
「自分が管理する身体」だ。
これは、とても勘違いしやすいのだ。
「身体に優しくね」
ワシは独善家として、こう訳した。


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「我田引水・4」

2006-07-02 22:38:46 | Weblog

田に水を引く。
田が喜ぶのなら上等の行いだ。
田は大地で繋がっている。
自他の区別なんてしなくていい。
水を引けば上等だぜ。

田は体。
水は思いやり。
そう訳せば解りやすい。
体は借り物。
神様からの借り物。
そう訳せば解りやすい。

ツキは田に水を引く事から始まる。
ツキの女神は大地の女神だ。
月と地球は共鳴しあっているんだ。
幸せなんて、そんなに難しくないぜ。
ラッキーなんて、いつも輝いているもんだ。


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