水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
ブ:「ワシもキリちゃんも同じだから気が合うのさ」
ゲ:「ワイは?」
キ:「人は誰でも気が合うようにできてるっぴ~」
ブ:「ただし・・・笑顔の時だぜ」
確かに仏陀もキリストもここでは笑ってばかりだ。
何も無い笑顔だ。
何も無い笑顔同士、気が合わないわけがない。
解放や平和なんて、とても簡単だと知る。
ここは
楽園なのだ。
笑顔と愉しい会話で会食が終わる。
仏陀のイタリアン料理は美味しかった。
それは「命をいただく」事を充分理解した者達への御褒美だ。
笑顔と愉しい交流は全てを宝に変える。
ここは楽園なのだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
キリストは一般世間のイメージが肌に合わないらしい。
自由人で生きてきたのに、厳格な聖者にされた。
他の犠牲に生きたと勘違いされた。
自分の好きなように生きてきたのに。
キ:「無責任を目指していたのににゃ~・・・」
ブ:「大丈夫、キリちゃんの無責任は成功だぜ」
キ:「ブッちゃんにそう言ってもらえると、うれぴ~だっちゃ」
ゲ:「無責任の自由人やから、モンクなしの優しさなんやね」
ブ:「真の自由人だから責任からも自由なのさ」
ゲ:「真の優しさは自由でないと生まれないわけやね」
キ:「遠慮はいいから、もっと褒めて、なのだぁ」
ブ:「キマジメや苦悩の顔じゃ幸せになれんぜ」
ゲ:「まして人を解放なんてできへんねん」
キ:「チッチッチ!ゲシュはん、それが勘違いだっちゃ。
ボクちゃん、世のため人の為なんて思った事あらへんや」
ゲ:「キリちゃん・・・言葉使い、ワイの関西弁やで」
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
どうやら超二大偉人の言葉は誤解されたらしい。
あるいは、意図して誤解して使われたようだ。
まぁ、しょうがない。
偉人の言葉を簡単に理解できようはずがない。
偉人は変人や奇人の仲間だ。
超偉人は異(特別変わった)人でもある。
ブ:「何だって使い方なんだぜ」
ゲ:「活かす、それだけでんな」
キ:「アホと鋏は使い様なのだ」
ブ:「そういう事だ。アホも賢者も大差無ぇさ」
ゲ:「後生大事に言葉を持ち出しているだけじゃあきまへん」
ブ:「言葉にとらわれたら先は観えねぇさ」
キ:「ボクちゃん、この世で一番、無責任と言われたオトコ♪」
ゲ:「キリちゃん、残念だけど、一番責任感の強いオトコと言われてまんねん」
キ:「そ、それは、誰かの陰毛やぁ・・・間違い、陰謀だぁ~」
ゲ:「今更ダメかも・・・信者は固定概念で身動きとれんわ」
キ:「ク、クソォ~・・・グレてやる」
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
言葉はモノを表す。
そしてモノを現す。
それはモノを縛っているからだ。
同じ言葉を発し続ける。
モノは言葉で呼び寄せられる。
キ:「ボクちゃん、愛のみ。あとは何も要らないっぴ~」
ブ:「愛は最初から最後まである。それ以外はいらんな」
キ:「だから、言葉も要らないっぴ~」
ゲ:「ぴ~、の使い方が、ようわからんわ?」
ブ:「道を伝えるのは言葉じゃないぜ」
キ:「だから言葉は活かさなきゃ~、と言ったのりぴ~」
ゲ:「ますます、いいかげんな言葉使いやねぇ・・・」
ブ:「言葉は、方便か例え話程度で使うもんだ」
キ:「言葉に縛られたら、道は伝わらないっちゃ」
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
キ:「伝道は言葉じゃないだっちゃ」
ゲ:「キリちゃん、『だっちゃ』って、どこの方言?」
キ:「ラムちゃんだっちゃ」
キリストは日本に降りた時、ゴミ捨て場からマンガを拾ってきたのだ。
高橋留美子氏の「うる星やつら」にハマったらしい。
ゲ:「キリスト教は特に言葉を強調しはってますやろ?」
キ:「言葉を強調するのは制圧時の手段だっちゃ」
ブ:「ワシ等の言葉だけを利用し、組織の拡大や維持に使ったのさ」
キ:「自由人のボクちゃんが、言葉を強調するはずがないっちゃ」
ブ:「違げぇ無ぇ。ハッハッハ」
言葉は力がある。
だが、真実を伝える力ではない。
何かを縛る力だ。
何かを捕まえる力だ。
仏陀やキリストは自由とやわらぎを伝えたかったのだ。
言葉を伝えるのは意に反していたようだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
次第にキャラクターが出来上がってくる。
勝手にキャラクターが動き出す。
だがワシの表現能力は低い。
書き続ける根性は微少。
まぁ、いいかぁ。
実験段階だ。
四月一日頃からの続きだ。
時々、気まぐれで書き出す。
ブ:「メシはよぉ、殺生しねぇと食えねぇんだ」
仏陀は伝法な口調だが静かな声だ。
パスタの食べ方もキリストと違い上品だ。
キ:「そうだっちゃ。う、美味い!
ボクぁ、それを、ゴクン、原罪と言ったけどね、む、むせたぁ」
キリストは相変らず節操無く頬張りながら話す。
ゲ:「キリちゃん・・・。話すか、食べるか、どちらかにしなはれ」
ブ:「殺生は殺しじゃねぇんだ。生命の輪廻だぜ」
ゲ:「殺生の禁止じゃなく、殺しの禁止を話されたのやね」
ブ:「殺生と殺しの区別を話したんだけどなぁ・・・」
ゲ:「いつでも活かす、生きる、が基本でんなぁ」
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
誰でも我田引水している。
だが、ほとんどは遠慮しながらだ。
あるいは、隠している。
「我田引水は悪い」という思い込みのせいだ。
そして、水を引く事をキチンと出来ない。
アヤフヤな善悪を基準にするからだ。
固定概念をやわらげようとしないからだ。
自と他を別々なモノをしすぎているからだ。
自と他なんて、交じり合っているんだぜ。
まして身体(生命)は自分のモノじゃない。
自分が管理しているだけだ。
管理人(自分)が田に水をキチンと引けない。
それは管理人として低能力という意味だ。
結果として病み(闇)がある。
身体は全てに繋がっている。
身体を愛すると、それが判る。
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心はアヤフヤなヤツだぜ。
自分の心に都合よくしても無駄だ。
コイツは感謝を知らない。
ウソだと思うなら自分の心を観てごらん。
(心を観る事も忘れてたりして・・・)
可愛くないだろう?
感謝を知っているのは身体だ。
確かなヤツは身体だ。
何故なら、身体は神様(グレちゃん)が用意したからだ。
だから身体には水を引こう。
優先して水をあげようね。
すると、身体は感謝する。
フッ、可愛いヤツだぜ・・・。
不安と不満と不幸な道を歩いている人。
自分(の身体)を優先して愛してみたらいいよ。
身体は感謝する。
不安と不満と不幸は消えていく。
我田引水は難しい作業じゃないぜ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
水を入れるのは出るからだ。
出なければ、すぐ満杯になってしまう。
水は染み込む。
水は気体に変化する。
水を「思いやり」と訳せばいい。
思いやりを「愛」とか「慈悲」とか訳せばいい。
決して「重い槍」と訳してはならない・・・。
まして「利益」などと訳すのは下衆だぜ。
「自分に都合のいいように引用する」
ほとんどこんな訳になっているはず。
それでいいのだ。
「自分」の指すモノを間違わなければ・・・。
「自分」は「自分の心」ではない。
「自分が管理する身体」だ。
これは、とても勘違いしやすいのだ。
「身体に優しくね」
ワシは独善家として、こう訳した。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
田に水を引く。
田が喜ぶのなら上等の行いだ。
田は大地で繋がっている。
自他の区別なんてしなくていい。
水を引けば上等だぜ。
田は体。
水は思いやり。
そう訳せば解りやすい。
体は借り物。
神様からの借り物。
そう訳せば解りやすい。
ツキは田に水を引く事から始まる。
ツキの女神は大地の女神だ。
月と地球は共鳴しあっているんだ。
幸せなんて、そんなに難しくないぜ。
ラッキーなんて、いつも輝いているもんだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)