水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
強い事が良いと思い込む。
勝つ事が良いと思い込む。
自然界に強弱など無い。
勝負など無い。
時間やその他の条件内ではある。
ある条件の武道の勝負。
だが、それでさえも一時的なものだ。
ある条件下の強さも一時的なものだ。
例えば、ボクシングは強くても頭は弱い・・・
マラソンは強くてもギャンブルは弱い・・・
そのマラソンも一生強いわけじゃない。
諸々の条件下の一時に限定される。
強弱や勝負なんてそんなものだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
祈り、願うのは弱いからだ。
自分は弱いという認識。
他も個々は弱いという認識。
だから助け合わずには存在できないという事実。
弱さ、はとても大切なのだ。
強弱に沿って勝ち負けがある。
いつの頃からか、勝ちが良いと思ってしまった。
当然、強いのが良い。
更に、勝てば正義、強ければ正しい・・・。
もう・・・メチャクチャ。
未だに、こんな事を平気で言う輩がいる。
本気で信じている人達もいる。
しかも、大勢・・・
人類の未来は暗いかも・・・
アホだけならいいけど、強さは弱さを犠牲にする。
困った人達だなぁ・・・
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
人間社会の常識や道徳や倫理。
それは人間社会の意図に沿っている。
決してミミズやケモノや妖怪に当てはまらない。
努力や精進は自然界に当てはまらないのだ。
人間社会より優先する意識。
それは「調和」だ。
調和の基礎。
「一人では生きられない」という認識だ。
誰かに、何かに頼って生きる。
そして、僅かに他の為に生きる。
生きるのに受けたモノや事。
それに対して、他に役にたったモノや事。
圧倒的に、自分が為す事など僅かなのだ。
圧倒的に、他から生かされているのだ。
その認識が大切だと思う。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
社会的というのは人間の組織的な考えだ。
「努力は裏切らない」
「本人次第で道は開ける」
その部分も確かにあるだろう。
だが、もっと大切な事がある。
自は他に頼って生きさせてもらっている。
生かされている。
他は、何も高級な存在だけじゃない。
隣の人や見も知らない人。
ありとあらゆる動物植物微生物。
空気、水、土、その他モロモロ。
自は情けないほど小さな存在なのだ。
他に頼らなければ、一秒も生きていられない。
本人の努力で何でも出来るというのは傲慢だぜ。
そんな傲慢を「祈り」や「願い」が気づかせてくれる。
(努力や精進が無駄とはいってないぜ)
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
社会的というのは人間の組織的な考えだ。
「努力は裏切らない」
「本人次第で道は開ける」
その部分も確かにあるだろう。
だが、もっと大切な事がある。
自は他に頼って生きさせてもらっている。
生かされている。
他は、何も高級な存在だけじゃない。
隣の人や見も知らない人。
ありとあらゆる動物植物微生物。
空気、水、土、その他モロモロ。
自は情けないほど小さな存在なのだ。
他に頼らなければ、一秒も生きていられない。
本人の努力で何でも出来るというのは傲慢だぜ。
そんな傲慢を「祈り」や「願い」が気づかせてくれる。
(努力や精進が無駄とはいってないぜ)
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
神や神様は人だけを贔屓にしない。
まして個人の望みを叶えたりしない。
崇め奉られたりする事を期待もしない。
尊敬されたいなんて思うはずもない。
基本的には一生物に関わらない。
神に祈っても願っても成就はしない。
成就するのは、その人の力と運だ。
力はほとんど大した事はない。
努力や精進や修行しても、微々たるものだ。
運の影響は大きい。
運は縁により左右するようだ。
縁はその人に関わる全ての人や人以外のモノだ。
身内や友人はもちろん、社会的に親密でなくても影響する。
誰が、何が大きく影響するかは判らない。
運や縁は、人間では理解できない範囲なのだろう。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
祈り、願う。
もう、如何し様も無い。
如何していいか判らない。
思わず神に祈る。
これが祈りの本道だろうなぁ。
「思わず」祈る。
下手な期待もしない。
祈るより方法が無い。
自然と祈る。
自分に都合のいい成就を求めて祈るとは違う。
思えば叶う、と信じて願うわけじゃない。
「思わず」祈り、願う。
それは自分の願いじゃないのだ。
そういうのが、神に祈るという事なんだろうなぁ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
心が弱くない人はいない。
誰でも例外なく弱い。
だから人として存在している。
人なら弱いのは当たり前なのだ。
何かの組織の代表。
弱みを見せられない立場。
見せられないことはないのだけど・・・
そう思い込んでしまっている。
例えば教祖の類・・・
大勢に説教したがる人達・・・
ちょっと可哀想な人達なのだ。
弱さやクダラナイ心を認める。
その時が気づきのチャンスなのになぁ。
素晴しい出来事が気づきじゃない。
その時に、自分の未熟さを認めた時が気づきとなる。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
一見、何も生産しない行為。
祈りや願い。
心はオロオロしているだけ。
それでも、大切な時となる。
オロオロしている弱さを自覚できる機会だ。
心の強い人。
いや、心が強い人などいない。
心が強い時があるだけだ。
その時は周りが観えない。
自分が中心だと思ってしまう。
各種の成果はあがるだろう。
だが、成長したわけじゃない。
そこを勘違いしてしまう。
いわゆる「成功者」達。
つい、調子に乗って言う。
「人生とは、成功とは、心とは、法則が・・・」
でもねぇ・・・その人もつまづくんだよなぁ。
その時に、大切な気づきがある。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
例えば戦争時。
今現在、世界中で幾つもの戦時がある。
一般国民は不安や恐怖の毎日だ。
自分の力で即座に戦争が止む訳じゃない。
平穏な日々が来るのを、祈り、願うしかないのだ。
祈り、願う時のほとんどが厳しい状況下だ。
真剣に生きている時だ。
真剣に生きざるをえない時だ。
それは、幸せではない時が多い。
良悪や正誤で判断できない。
厳しいのは間違いない。
そして、時間が濃密なのも間違いない。
心が不安定で空回りでを続けていても、大切な時だ。
後に大きく活かす事の出来る「時」となる。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)