水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
昭和33年に父方の祖母が亡くなる。
性格のキツイ姑だったが、母しか頼る人はいなかった。
また、実際に母しかメンドウをみられなかったろう。
晩年は寝たきりの状態を介護してきた。
私は五歳で、ほとんど憶えていない。
脳細胞は、小学3年生くらいまで働いていなかった。
母方のラテン系祖母は、昭和39年だった。
こちらは憶えている。
隣の地区の叔母の家から、歩いて来ていた。
明るい祖母だった。
私は小学6年生だった。
脳細胞は、結構働いていたようだった。
この頃の私は朝の牛乳配達をしていた。
子供時分に働いたせいか、今はナマケモノになった。
私はどうやら根性が無いようだ・・・
今の治療家は天職だから、働いている感覚が無い。
生きている存在理由みたいに、自然だからだ。
これじゃあ、雇われる仕事は出来ないなぁ・・・
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
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子供時の食べ物に不満が強かったのか。
次男、三男、姉は食べ物、飲み物にこだわる。
味にうるさいというか、ウンチクも披露する。
マトモに聞いていると、私などは疲労する・・・
美味しいモノに、人一倍敏感なようだ。
当然、料理もそれなりに美味しく作る。
私はどうやら兄姉達と少しズレているようだ。
味は結構判る舌を持っている。
珈琲店を開いたくらいだ。
(最近は珈琲の微妙な味を判る人が少ない。
舌はあっても経営能力は持っていなかった・・・)
美味しく食べるコツも知っている。
だが、兄姉のようにはこだわらない。
それには、私の二十歳過ぎからの体験が影響しているようだ。
特にこの「氣功」と出合ってから、モロモロから淡くなった。
食べ物にもこだわっているのですか?と質問される。
食べ物も女性にもこだわりはないです・・・
美味しく付き合うコツは知っているので・・・
あっ、女性の若いのは少し苦手で・・・
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長兄、次男は生まれた時は、まぁ裕福の部類だった。
だが、幼児、児童の頃は最悪だった。
食べるモノが無い時代だった。
田舎だから何も無いわけじゃないが、飢餓にならない程度だ。
美味しい、好き、という事がわかる歳だ。
それなのに、子供に食べさせてあげれない。
時代だし、環境が厳しいのだから仕方無いと思う。
母は、そう割り切れない。
ずっと悔やんでいたのだろう。
私と違って、マジメだから・・・
テンプラが好きでねぇ
腹一杯食べさせてあげたかったのに・・・
大丈夫だよ。
子供の時の事は、そんなの忘れてるから。
大人になって、好きなだけ食べたろうし。
そう言っても、母の心は忘れられない。
そして現在の兄達が来ると、山ほど料理を作る。
「こんなに食べたら病気なる」
と何度も怒られても、やはり多く出す。
兄達が何歳になろうが、母からは子供なのだ。
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今日の独善つぶやき・・・
千葉に治療。
何でこんなに混んでるのかなぁ?
と思ったら、世間では連休とか・・・
年中連休のワシは世間とズレが・・・
それにしても蒸し暑かった・・・
「母のこと・54」
忘れている頃に帰ってくる父。
その時以外は貧乏であっても平和な日々だ。
子供は勝手に成長する。
立派でなくても成長する。
どんな子供も成長する。
スゴイなぁ・・・
兄達は、中学を出ると自立していった。
自力で働いたり、夜学に進んでいった。
家にいる子供達が少なくなっても楽にはならない。
母の性格からして、子供と共に暮らす方が望みだったろう。
母は、子供達に人一倍の愛情深さがあったようだ。
蟹座生まれのせいかなぁ・・・
後に私は母の治療を16年間する。
その時に、何度も同じ話を聞かされる。
同じ話だが、特にボケているわけじゃない。
誰でも、同じ話をするものなのだ。
その一つが、子供達、特に兄達に対する事だ。
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私はアホではあったが、素直でもあった。
どうやら母に教わった事を、そのまま実行していた。
小学二年生くらいまでは、私は昼食時に椅子に正座していた。
木製の椅子の小さな座布団に靴を脱いで正座していた。
食事は正座して、いただくものだから。
他の子達は(当たり前だが)座ったまま食べていた。
私は同級生に指摘されるまで、その事に気づかなかった。
むしろ、足を下ろして食べる事に違和感があった。
我が家は椅子がなかったのだ。
食事は正座して、いただくものだ。
時は流れ・・・
今では片手にマンガを読みながら食べるオッサンになった。
この事から、キチンとした躾を子供時にしてはならない、と学ぶ。
反動で、堕落した大人になりやすい・・・
私は、子供達に箸の持ち方と綺麗に食べる事だけは言う。
美味しく食べれるように工夫できれば充分だと思っている。
その他は、エラソウに言えるわけがないからなぁ・・・
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一応小学生になれた私は、毎日学校に行った。
同じ幸知区内に保育園、小学校、中学校があった。
家から見える距離にあった。
私が毎日通えるか、という母の心配は無用となった。
今は、その全てが無い。
私よりずっとアホな政治行政に携わっている人達によって廃校となった。
どんなに人数が少なくても、保育園や学校があれば地域は活きる。
だが、無くなればたちまち地域は過疎化する。
こんな当たり前がわからない連中が決めているのだ。
町が無人化になって、財政困難もへったくれもない。
経費節減したいなら、税金を貰うのは辞めればいいのに。
毎日通うだけでなく、私は学校での一日を母に報告していたらしい。
それにより、学校の様子、先生の様子が手に取るようにわかった。
どうやら、この子(私)はまるっきりアホでもないらしい・・・
忙しい中、母は子供の話をキチンと聞いていた。
私は自分の子供達や本妻や愛人達の話しさえ、マトモに聞いてない。
残念ながら、こういうマトモは受け継がなかったようだ。
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私はアホ、で思い出した。
私の兄達も多少は変わっていたようだ。
授業中に一人で校庭のブランコで遊ぶ。
授業中イキナリ立ち上がり、教壇で遊ぶ。
その頃は先生の度量によって許されていた。
いい先生に当たっていたようだ。
私もかなり幼いままだったらしい。
母は、この子(私)は小学生になれるのだろうか?と思った。
子供が幾人もいれば、そういう子もいるから。
だからなのか、厳しいことを言われた事が無かったようだ。
ある意味、諦めていたのか、優しかったのか・・・
小学低学年時の写真。
私は斜頚だったのか、いつも顔が傾いていた。
蓄膿症(副鼻腔炎)ぎみで、洟をたらしていた。
私の尊敬する赤塚不二夫師の「天才バカボン」に近いかも。
話はズレるが・・・
私が理想としているのは、バカボンのパパだ。
これで、いいのだ。
それで、いいのだ。
この歳になっても、その境地には未だ到っていない。
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子供時は、結構残酷なものだ。
虫でも魚でも蛇でも殺す事が平気だった。
子供達は、生命に鈍感なのかもしれない。
水の中の魚を獲ることが面白かった。
今は私も生き物を殺すのは苦手になってしまった。
虫も出来るだけ殺さぬように除けている。
一年中夏休みでもよかった。
毎日、裸で暮らしてもいいと思っていた。
今になって、自分がラテン系裸族だと自覚している。
私は、生まれた国を間違えたのかもしれない・・・
来世は椰子の木の下で、裸で一生を送りたい・・・
しかし、この地区の夏は短い。
八月後半は、夕方が涼しいより寒い時もある。
母が一所懸命働いているのに、私は遊び呆けていた。
母は、子供達に厳しく家事手伝いをさせなかった。
兄姉達は、結構手伝ったのかもしれないが、私はアホだった。
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子供時の特徴。
どんなに貧乏で窮屈であっても、すぐ忘れる。
私は夏休みが大好きだった。
毎日、すぐ前の川に魚獲りに出かけた。
今の学校では川遊び禁止になっているようだ。
だが、私の頃は注意しながら元気に過ごせばよかった。
何しろプールなんてないのだから、川が普通だった。
家は湯檜曽川と利根川の合流する近くだった。
利根川には堰堤があり、発電所用の取水取入れ口があった。
その為かなりの幅の水量があり、泳ぐには充分だった。
だが取り入れ口は危険なので、一応中学生でないと・・・
堰堤の下に丁度適度な溜まりがあり、天然プールだった。
ここには幼児から小学生、時には中学生が来ていた。
ほとんどはヤスと水中メガネを持って、魚突きだ。
その魚はオカズになる。
特に好きではなかったが、腹が減れば何でも食べる。
何でも出来る母だったが、生き物をさばくのは少し苦手のようだった。
お嬢様扱いで育ったきたからなぁ・・・
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今日の独善つぶやき・・・
桐生で一日治療。
桐生は暑かった。
みなかみに近づくと、クーラーを切って窓を開ける。
やはり、気候が違うなぁ・・・
「母のこと・48」
食べる米が足りなかった。
母は手打ちうどんをよく作った。
鉄製の鍋で自家製野菜たっぷりの煮込みだ。
群馬県では「おきりこみ」ともいうが、ほうとううどんだ。
打ちたてを、そのまま鍋に入れてしまう方法だ。
結構好きだったが、煮干がそのまま入っている。
秋に天然のキノコ類が入ると、とても美味しかった。
オカズのたんぱく質系は、めったに無かった。
基本、野菜か野草か山菜。
お陰で、母も私も血液はとても良好だった。
「じりやき」も食事の足しにした。
うどん粉を溶かして、フライパンなどで焼くだけだ。
味噌や醤油砂糖などで味付けした、実に素朴なものだ。
膨らむように重曹を入れるのだが、塊があり苦かった。
大人になってから、似て非なるものにホットケーキがあった。
初めて溶けたバターの上から蜂蜜たっぷりで食べて感激した。
じりやき、とは違うなぁ・・・・
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