水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷想中・迷走中・100」

2021-04-10 22:24:24 | Weblog




山・14

格好つけても意味が無い。
むしろ惨め。
自分のアピールなど恥ずかしい。
承認欲求などアホみたい。
そんなことは、くだらない事だと気づく。

認めてもらいたい、などと言えない。
なにしろ浮かび上がってくるのは情けない部分だ。
自分の弱さ、甘さ、根性の無さ・・・
休みたい。
歩きたくない。
帰りたい・・・

山登りの魅力。
普段隠す自分の恥ずかしい部分。
それと向き合う、向き合わざるをえない事。
登る度に、世間用に重ねた服が脱げ落ちる。

(本館は、HP「気の空間・氣功療法院検索
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「迷想中・迷走中・99」

2021-04-09 21:59:11 | Weblog




山・13

社会の中では甘さや弱さは逆評価となる。
ネガティブな感情も不都合が生じる。
だから隠す。
見ない事にする。
無い事にする。
それでモロモロの仕事が出来る。
やる事はいろいろあるし。

だが山登り中は日常の様々が薄れる。
消えていく。
日常の人間関係など、どうでもよくなる。
他人からの評価など何の役にも立たない、と知る。
自分の足、自分の体力だけが必用なのだ。
やる事は、ただ登るだけ。
評価も金も役に立たない。

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「迷想中・迷走中・98」

2021-04-08 21:55:53 | Weblog




山・12

山登りは自分探しではない。
だが非日常ではある。
そして肉体を酷使する。
すると普段隠れていた部分に気づく。
自分の弱さ、甘さ、ネイティブな感情。

いや、日常でも気づいていた。
本当は知っていた。
知っていても、日常では隠せる。
見ぬふりもできる。

日常は社会として他人と関わる。
いい顔をして暮らす。
会社などの組織では当然だ。
そして家庭でも同じだ。
お互いが上手く付き合うのはマナーでもある。

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「迷想中・迷走中・97」

2021-04-07 21:51:25 | Weblog



山・11

以前、自分探しの旅、とかが流行った。
本当の自分を探す、探せる、と勘違いして流行った。
本当の自分が普段見えない心の底とか芯とかと勘違いしていた。
非日常なら本当の自分に会えると勘違いしていた。
そういう勘違いを利用して宗教の勧誘は微笑む。
怪しい自己開発セミナーは繁盛する。
今でも・・・・

非日常は日常の為にある。
というのが私の考えだ。
非日常で生命が活性する事がある。
非日常で気づく事があり、心が広がる。
それらは、日常に活かす為にあるのだ。
それなのに
非日常にはまり込むのは本末転倒、というヤツだぜ。
宗教や開発セミナーなどにはまり込むのは自分の見失いなのだ。

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「迷想中・迷走中・96」

2021-04-06 22:05:42 | Weblog




山・10

山を登り続けると次第に現れる。
自分の弱さ。
肉体の弱さにも直面するが、精神の弱さ。
心の弱さ、甘さに直面する。

自分の弱さが現れるには条件がある。
日常の様々が小さくなる。
薄くなる。
日常の人間関係や仕事関係。
時には家族関係や自分の目標。

日常が薄くなると、自分の内面が現れる。
山登りだけではない。
海も砂漠も森林も同じ作用はある。
そういう自然だけでもない。
都会への旅でも同じような作用がある。
非日常と日常。

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「迷想中・迷走中・95」

2021-04-05 21:53:19 | Weblog




山・9

山登りの魅力。
よく言われるのが頂上からの景色。
だが、それは登らない人の想像だ。
あるいは、とても軽い登山。
天候に恵まれ、疲労も少なめ。
頂上からの眺めが素敵な場合。

やっとたどり着いた頂上。
天候は雨、曇り、霧、その他。
もう、これ以上登らなくてすむ。
それだけが救い、という心情。
それでも自力で下がらなくてはならない。
気分は重いままなのだ。

山の魅力は場所ではない。
景色でもない。
達成感でも征服感でもない。
そんなのは、付録だ。
オマケだ。

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「迷想中・迷走中・94」

2021-04-04 23:44:42 | Weblog




山・8

山での遭難は通常の事故よりも大変だ。
とても多くの人が手助けしないと家族の元に帰れない。
本人だけの責任などとはいえない事由もいろいろある。
それでも、遭難しない工夫と準備は必要だ。

山の中だ。
岩の上だ。
沢の中だ。
獣も多い。
遺体はとても酷い状態になる。
知り合いになど見せられない状態になる。

山は甘くない。
山の優しさはほんの一部。
そして、登山は山が相手ではない。
自分の甘い心が相手なのだ。

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「迷想中・迷走中・93」

2021-04-03 22:42:45 | Weblog




山・7

私は一般登山と縦走をした。
一応の経験としてザイルの結び方。
ザイルを身体に結び付けるゼルブストというバンドを付ける。
1人が上で確保しながら練習岩での岩登りもした。

春先の雪上での滑落防止練習。
アイゼンという爪付きの雪用の靴とピッケル。
滑落する人を止める確保練習。
一応したが、どうも自分には合わなかった。
冬山は・・・遠慮しよう・・・

ちょっと特殊なのは、遭難者が多い地域だ。
いざという時に遭難救助の手伝いも。
という理由で、秘密の記録用ビデオを見せられた。
遭難者の映像だ。
かなり・・・凄い。

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「迷想中・迷走中・92」

2021-04-02 22:27:27 | Weblog




山・6

登山は幾つかの種類がある。
すでに作られた道を登る。
やがて尾根に出る。
そして目指す頂上に至る。
一番多い一般登山だ。

その尾根を頂上から頂上に向かう。
当然時間がかかる。
幾泊かして行く場合もある。
それを縦走という。
ほとんどは道がある。

道の無い登山も幾つかある。
岩を登るロッククライミング。
沢を登る沢登り。
氷の壁を登るアイスクライミング。
藪をかき分け登る、藪漕ぎ等。

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「迷想中・迷走中・91」

2021-04-01 22:35:35 | Weblog



山・5

世界八千メートル級の山、14座の総遭難者数が640名。
谷川岳だけ(谷川連峰)の遭難者数は800名を超える。
圧倒的に危ない山なのだ。
もちろん、世界ギネス・・・
魔の山、死の山といわれる所以だ。

その山を抱える地元山岳会。
青年部に入部した。
私が最年少だった。
他のメンバーは5歳以上年上のベテランだった。
登山素人の私は学ぶ事ばかりだった。

特に厳しい訓練などはなかった。
厳しくはないが、一応の練習はあった。
私も自主的にランニングをしてスタミナを増やしていた。
なにしろ、お荷物になるのは絶対に嫌だった。

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