水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷想中・迷走中・1358」

2024-09-21 21:06:38 | Weblog


ある気功師・969

    「傷と病」

それでも言おう。
親が、泳げなくても飛び込む。
自分の方に飛び込んで来る。
それを子供は見て、感じる。

子供はその姿に生命力が上がる。
そして子供は自力で泳げるようになる事もある。
理屈を超えて親が一直線に飛び込む。
すると、そこに「道」ができる。

タノムよ、親さん。
もう少ししっかりしてくれ。
親次第で、助かる子供は多いのだ
(今回はこの最後のフレーズが言いたくて書いた)


(本館は、HP「気の空間・気功療法院」検索
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「迷想中・迷走中・1357」

2024-09-20 21:05:28 | Weblog


ある気功師・968

    「傷と病」

「病」は計算で回復する部分と、
計算できない部分がある事を知って欲しい。
少なくても、最初の一歩は計算では進まない。
計算をしていては、川に飛び込めない。

頭の良い親ほど計算をする。
頭が良いのは長所でも短所でもないが、
計算をして飛び込まないのなら卑怯というものだ。
今、溺れているのだ。

「必ず助けてくれる人を探している」
「助ける保証があれば、どんな謝礼もする」
こういうセリフを平気で言う親さえいる。
溺れている子供にとっては不運な親だが、
大声で助けを求めれば、親以外でも飛び込む人はいる。
親から離れるチャンスでもあるのだ。


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「迷想中・迷走中・1356」

2024-09-19 21:23:33 | Weblog


ある気功師・967

    「傷と病」

溺れている我が子を見ているだけの親もいる。
「心配しているのだけどねぇ」
「私も苦しいです」
こんな言葉は意味が無い。

すぐ飛び込む以外は意味が無いのだが、
「病」を進行させる自由もある、と思う。
哀しいけれど、不幸になる自由もある。
私は子供を不幸にする親なんて納得できないけど。

特に「閉じこもり系の病」に行動しない親が多い。
「心の病」は観ようとしないと見えない。
行動しない親は「わからない」と言い訳をするが、
溺れている姿から目をそむけ、逃げている。
飛び込むには不安もリスクもあるが、
助けたいのなら飛び込む以外の選択肢は無い。


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「迷想中・迷走中・1355」

2024-09-18 20:48:02 | Weblog


ある気功師・966

    「傷と病」

泳げない親なんていないのだ。
飛び込む事が「泳ぐ」という意味だ。
飛び込む事が「助ける」という意味なのだ。
そんな事さえ知らない親が増えている。

子供達からの「助けて~」の声を聞かない。
いや、聞こえない。
聞こうとしていないから、聞こえない。
最近、そういう親と出会った。
(私は少し怒っているぞ!)

治る保障がなければ治療を頼まない。
治る根拠を示してくれ。
子供が苦しんでいる隣でそう言う。
そんな親でも親であるから、勝手に治療はできない・・・


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「迷想中・迷走中・1354」

2024-09-17 20:37:39 | Weblog


ある気功師・965

    「傷と病」

自分の人生に責任を負う「大人」ならいい。
そういう生き方もあると思う。
「短くとも太く」「苦しくても濃い人生」
好きにしてくれ、それも勘違いだけど・・・。
(長短と太い、濃いは別モノだ。
つまり太く、濃く長い人生にすればいいのに)

だが「子供の病」に関して親の無理解がある。
溺れている最中なのに「困った」と思うだけ。
「誰か助けてくれる人がいないかなぁ」と言うだけ。
「助け方を知らないから出来ない」と言い訳をする。
溺れている最中に「助け方」ウンヌンもあるものか!
子供が溺れていれば、すぐ、飛び込め!


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「迷想中・迷走中・1353」

2024-09-16 20:40:33 | Weblog


ある気功師・964

    「傷と病」

「病」は自然回復しないだけではない。
日々の暮らしだけでは進行してしまうのだ。
何も対策をしなければ、毎日「病」は深く広がる。
だから、手遅れになりやすい。

「病」は、今、川で溺れている最中なのだ。
「傷」と違い、ガマンすれば乗り切れる事ではない。
溺れている最中に「じっくり考える」ヒマはない。
溺れているのに「そのうち対策します」もない。
「病」は「進行形」だという認識が足りない。

「傷」からも「病」へと進行するが、
それは日々の暮らしがデタラメすぎるからだ。
このことは本人達が自覚している。
「そのうち生活習慣を直さなくちゃ」
「傷」の段階なら、この余裕がある。
だが「病」まで進んでいるのに
意識は相変わらず「傷」だと思っている。
「病」と「傷」の違いが解っていない・・・。


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「迷想中・迷走中・1352」

2024-09-15 22:53:52 | Weblog


ある気功師・963

    「傷と病」

日々の暮らしだけでは回復しない「病」。
だから自然に回復する「傷」と違って、
「病」には意志が必要になる。
「意思」ではなく「意志」が必要なのだ。

本気で治す、絶対治そう。
「強く思う」だけでは何にもならない。
具体的行動が必要になるのだ。
治す為の行動を生活に加える必要がある。

生活を整えれば自然に回復する「傷」と違い、
「病」は積極的に生活を変え、
積極的に「治療」する行動をとらなければ、
とても苦しい結果を体験しなければならない。


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「迷想中・迷走中・1351」

2024-09-14 20:46:53 | Weblog


ある気功師・962

    「傷と病」

だから「傷」付くのは活動帯に限る。
「回復」は必ずしも休息帯に限らないが、
自己治癒力としては休息帯としておこう。
(ここの説明は複雑なのだ)

「傷」は日々の暮らしで塞がるのだから、
「傷」付く事を恐がらなくてもいい。
「傷」は「痕」が残っても恐くないが、
「恐れる心」は新たな「傷」を作り、
日々の暮らしでは治らない。

日々の暮らしで治らない「傷」。
それを「病」という。
「回復」が「傷」の上で空回りをする。
「回復」よりも「傷」が深く進行する。
日々同じ状態が続くか、悪化するのは「病」。


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「迷想中・迷走中・1350」

2024-09-13 20:54:12 | Weblog


ある気功師・961

    「傷と病」

自然治癒力を高めるのは「暮らしの中」であり、
特別な方法や食品やグッズは補助的役割なのだ。
この基本が理解されていないから、
(開発した人や会社も理解していない)
優れた補助のモノ達が充分、活かされてない。
開発に力を入れても、総合的に観ないと活用は出来ない

その自然治癒力の範囲内だけで解決できる「不調和」
その不調和を「傷」と定義してみよう。
自然の暮らしのリズムで回復する「不調和」だ。
通常は、日々良好になっていくレベルだ。
「不調和」を日々の回復力が上まわる範囲だ。

一日は活動帯と休息帯の時間で成り立つ。
活動帯は主として交感神経が受け持ち、
体や心を傷つけ、疲れさせながら何かを生産する。
休息帯は副交感神経が受け持ち、
傷つき疲れた体や心を回復させるが生産をしない。
大きく分ければ、この二つでワンセットだ。
(もちろん、どちらにも属さない部分もある)


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「迷想中・迷走中・1349」

2024-09-12 21:02:40 | Weblog


ある気功師・960

    「傷と病」

回復する力。
それは「自然治癒力」。
療法でも、薬でもない。
療法や薬がどんなに優れていても、
死んだら回復できないのだ。
こんな当たり前の意味を忘れている。

「自然治癒力」を高めないで、
薬や医者や治療法に頼ろうとする。
西洋医学や東洋医学から離れた人も同じだ。
自然志向や民間療法好きであっても同じだ。
○○セラピー・驚異の○○健康食・波動グッズ。
自分を高めないで、他に頼ろうとする。

「自然治癒力」が何処から沸くのか理解しないから、
「自然治癒力を高める」というセリフに踊らされる。
(騙しているとは限らないが、勘違いはある)
「自然治癒力」は「自己治癒力」だ。
それは日々の暮らしや生き方で左右する力だ。


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