「東京三洋社内新聞」が10号で改題して「東京サンヨー」へ。同紙は83号をもって、ひとまず終了し、引き続き「東京サンヨーグラフ」=写真=として再出発しています。
1号の発行日は1966年(昭和41年)5月30日。写真を中心とした編集方針から「グラフ」としたことが伺えます。当時としては斬新なスタイルだったと思います。新装の1号は14ページ建てと豪華。
最初の記事は「植木等のセリフじゃないが、世の中間違っているねェ~」と駐車禁止の標識とその横に停めてある小型トラックの写真。「せめて東京三洋だけでも、あたりまえがあたり前に見えるようにしよう」と警告型の企画、その名も「チャンネルゼロ」。編集した企画部企画課のスタッフの意気込みが感じられます。
次のページは、サンヨー酒自動販売機の置かれている山形駅前の「山形県産酒造コーナー」のリポート記事。この形は「当社製品が各地、意外な場所で活躍している」事例として、その後も社内報ではこれに類したシリーズものは長く続きました。
6ページには、ZDグループの紹介。目標を達成した優秀グループは半導体工場の製造一課結晶加工係厚み測定室。社員たちが若くてまじめな表情です。
11ページには、大宮市日進町に新設される東京三洋大宮共同住宅(鉄筋4階16世帯)の地鎮祭のことが、この共同住宅はその後、どうなったのでしょうか。
同じページに、ジュラン博士を招待しての第14回QCサークル全国大会(東京・第一生命ホールで開催)で、当社の掛川武之助班長(ステレオ工場)が「ハンダ付作業の不良対策」で栄えある体験発表を行ったとあります。(掛川さんは現在、洋友会群馬地区の幹事)
つづく「東京サンヨーグラフ」2号では、「鳥取に新工場」のニュース。鳥取三洋電機が旧鳥取大学跡地305,900平方メートル、資本金5億円でスタートするとあります。
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1号の発行日は1966年(昭和41年)5月30日。写真を中心とした編集方針から「グラフ」としたことが伺えます。当時としては斬新なスタイルだったと思います。新装の1号は14ページ建てと豪華。
最初の記事は「植木等のセリフじゃないが、世の中間違っているねェ~」と駐車禁止の標識とその横に停めてある小型トラックの写真。「せめて東京三洋だけでも、あたりまえがあたり前に見えるようにしよう」と警告型の企画、その名も「チャンネルゼロ」。編集した企画部企画課のスタッフの意気込みが感じられます。
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11ページには、大宮市日進町に新設される東京三洋大宮共同住宅(鉄筋4階16世帯)の地鎮祭のことが、この共同住宅はその後、どうなったのでしょうか。
同じページに、ジュラン博士を招待しての第14回QCサークル全国大会(東京・第一生命ホールで開催)で、当社の掛川武之助班長(ステレオ工場)が「ハンダ付作業の不良対策」で栄えある体験発表を行ったとあります。(掛川さんは現在、洋友会群馬地区の幹事)
つづく「東京サンヨーグラフ」2号では、「鳥取に新工場」のニュース。鳥取三洋電機が旧鳥取大学跡地305,900平方メートル、資本金5億円でスタートするとあります。
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