司馬遼太郎の『峠』上、中、下巻を読みました。
幕末の越後長岡藩の家老、河井継之助を主人公にした小説です。読み応えのある長編小説でした。
尊王論に関心を持ち諸国を遊歴したという点では太田(群馬)の高山彦九郎(1747-1793)とも共通しますが河井継之助(1827-1868)の方が高山彦九郎より後の人。
時の勢いが徳川の世の終わりを告げていることを河井継之助は早くから察知していました。しかし薩長の倒幕軍には与(くみ)しなかった。なぜなら薩長の指導者は、心底からは攘夷を信奉していない。しかしその難題を幕府に向けて迫り、倒幕後の新政府では開国に転換することを継之助は見抜いていました。これは巨大な陰謀とさえいえること。
長岡藩を中立国スイスに
河井継之助の理想は、武装中立だった。そう欧州のスイスのような国をモデルに描いていた。小さいとはいえ長岡藩支配地域は勤皇派、佐幕派どちらにも属さずに独立した中立国を目指そうと。会津藩を相手に東北人同士が戦うようなことは避けたい。それより会津藩と薩長勢力の和平の仲介役を長岡藩は担いたいと考えていた・・。
構想をもっと早く開示していれば
なぜか河井継之助は早々に独立・中立論を口外しませんでした。慎重を喫したとはいえ開示はなく、それだけに長岡藩内でも勤皇系、佐幕系の2論に分かれ家老、継之助の真意が伝わりきれなかった。その点、私は忍城の殿様、のぼうが家臣はもちろんのこと農民大衆にも窮地の真相を打ち明けたように、藩内のポポロ(人々)を信じて独立中立構想をオープンにした方が結束が増し強い信頼を勝ち得たように思えたのですが・・。
きわめて好色な継之助。妻おすが、吉原の太夫小稲をはじめとする遊女たちとのやり取りが粋で面白ろい。これも司馬遼太郎の美的文学なのでしょうか。
中立・中道の道は険しくとも
中立政策は、昔も今も難しい。左右から攻め立てられる。しかし中立政策は大切だと思います。両極端を鎮める役は、世のため絶対に必要と思われるからです。
太田の旧強戸村をわが国初の革新自治体“無産村強戸”にした須永好翁が、中道の大切さを説きながらも「中道はわかるようでわかりづらい道だ」(ポポロの広場2012年10月20日)と語っていたことを『峠』を読んでいても終始考えさせられました。
峠 (上巻) (新潮文庫) | |
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紙芝居「幕末の風雲児 河井継之助」
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