春の地震で十五夜さんの部屋で崩れ落ちてきたものの中から、昔かじっていた納経帳が出てきました。ああ懐かしい。
画像上は坂東三十三ヶ所観音札所用の帳面。下は江戸三十三ヶ所観音札所用の帳面です。思い出すと高校生の頃同じアトリエの友達とどういうわけか札所めぐりにハマったことがあり、その頃休みの日とかに一緒に周って歩いていたのでした。
ご存じでしょうが、三十三ヶ所の観音霊場というのは西国三十三ヶ所がそもそもあって、それを倣って坂東三十三ヶ所ができ、江戸の西方(西方浄土というわけ?)にある秩父に三十四か所の霊場ができ、西国・坂東・秩父の札所を合わせて百観音霊場になるのです。
画像とは別に西国三十三ヶ所用の帳面もどこかにありますが、関西はやっぱり遠いのでなかなかお参りする機会に恵まれません。第一番の那智の青岸渡寺と第三十三番の美濃・谷汲山へは行っており、その途中の奈良興福寺の南円堂とか京都の六角堂、革堂はお参りしていますが他のところはまだです。
画像の坂東札所は高校の時第一番の鎌倉杉本寺から十四番の横浜・弘明寺までは巡りました。これらの札所は神奈川、東京、埼玉に集中しているので割と巡りやすいですが、そのあとは群馬、栃木、茨城、千葉に点在するので遠くなります。特に茨城の日輪寺というところは最大の難所で、水郡線の駅からかなり離れた山の中にあると聞いています。
画像下の江戸三十三観音札所は第一番が浅草の観音様に始まって、三十三番が目黒のお不動様で東京の区部に集中しているので、その気になって集中すれば全部巡るのも難しくはないのですが、じっくりゆっくり巡ってみたいです。それにしても、やりかけて達成しないというのも気持ちよくないので、出かけられる時に少しづつお参りしようと思います。
お宅から湯島まで歩かれたのですか?歩けない距離ではないですが、きついことはきついですね。それ以降は文京区内にあるのでお宅からは余計遠いということですね。わが家は反対の方向ですので文京区内くらいだったら遠くはないですが、港区とか世田谷区とか遠く感じます。歩いて廻られるということに心意気を感じます。でも根性がないので真似できない。すごいと思います。私の場合、江戸札所で最後にお参りしたのが昭和57年頃で随分昔です。一番から7番は通して踏破。13番・14番・17番・19番・21番・33番もお参りしました。文京区内は遠くないし、用があることがあるのでその気になれば、、と思うのですが、この帳面長いこと埋もれていたので忘れていました。
滑河の龍正院は大学生の頃行きました。山の上ではなく平地にあったように憶えていますが、確か市川団十郎のお墓があるところに比較的近い立地ではなかったでしょうか?山門にものすごく太い〆縄が掛っていたように思います。でもかなり前のことなのでお邪魔して拝見させていただきます。
いまどきさんは、江戸三十三観音札所はどこまで回られたのでしょうか。
つい最近では千葉県成田市の滑河山龍正院を参拝しました。
立派な観音堂ですよ。
私のブログに紹介しているので宜しければご覧ください。