今東京では桜の盛り。あまり出歩くことができないので、せいぜい近所の桜を目にするくらいです。
この絵はがきのアングルですが、おわかりのように、仲見世側からではなくて仁王門(現在のは戦後建立のもので宝蔵門と呼ばれています。)を潜って、観音様の西前方から東側を撮ったものです。
昔の本来の五重塔は門の東側にあったそうで、たしか、今でもその基壇の跡が残っていたように思います。この写真の立ち位置くらいに今の五重塔があるといっていいでしょう。もうちょっと右側?(アバウトなところで、、。)
桜が咲いています。でもこの写真は手塗りなので、天然色とはいえないでしょうね。
不勉強なので、時代的にいつ頃なのかははっきりわかりません。ただ言えることは仁王門も五重塔も本堂も戦災でなくなってしまっていること。この時代には雷門はないはずです。(今の雷門は戦後、松下幸之助さんが寄贈なさったとか)
画像の左側に大きなイチョウの木がありますが、境内あちらこちらにもあったそうで、現在東側に大空襲を生き延びたイチョウの古木がまだあります。
写っている人それぞれ、他所行きの服装の人もいれば、ご近所風の普段着の人もいますね。
うちの母は戦前の生れなので、少なくとも昔の堂宇や瓢箪池とか花やしきは観ているそうです。
この写真は随分古いもののようですね。人の服装が殆ど和装に見えます。生き残った銀杏は一本だけなのでしょうか。
したっけ。
花冷えの気候なのでしょうか。
ところで、今の雷門を松下幸之助さんが寄進されたというのは初めて知りました。
パナソニックは今も一流企業ですし、色々と素晴らしいものを後世に残された方ですね。
この絵はがきですが、大正くらいではないかと思っています。
絵はがきのコレクターさんが世間には結構いて、そうした人の編年など調べれば、もっとしっかり時代を特定できるのかもしれませんが、ずぼらですので、、。イチョウの木は今でも残っていますよ。しっかりと思い出せるのは一本ですが、もっとあったかどうか、、浅草に出かけるときに確認してみます。
そうですね。写っている人々はみんな上に羽織っていますから、暖かくはないのかもしれませんね。
雷門はその昔、オリジナルのが建っていたそうですが、幕末だったか明治のはじめだったか焼けてしまってずーっと再建されることはなかったそうです。日清とか日露の後の凱旋祝いに造り物のアーチとか写っている絵はがきはみたことはあるのですが、、。松下幸之助さんのおかげで現在立派な雷門が見られるわけですね。時代も戦後上り坂にかかっていた時期でしょうし、それでもあんな立派な建造物を寄進されるとは偉いですね。
ブログの方に記事と写真をアップしたので、気が向いたらまたお越しください。
桜を巡って、西ヶ原から石神井川辺りまでは拝読しました。
またお邪魔して続きを読ませてもらいますね。
歩いて行かれたのですよね。すごい。チャリなら私も行けそうです。