一枚目の画像は昭和7年の初午に王子稲荷地内「栄や」というお茶屋さん(または料亭?)から出された紙からくりの「狐の勧進帳」と「暫狐」です。
製作の監修は有坂与太郎で、裏にその由来を述べる紙片が貼りつけられています。また、当時デパートでの郷土玩具の即売でも売られたのでしょう。大丸の値札がついていて、「勧進帳」「暫狐」共々それぞれ10銭だったようです。
「暫狐」は明治の劇聖・9代目市川団十郎が王子稲荷に参詣して舞台の成功を祈願し、成就したことによってできた云々の由来を聞きますが、それより古い錦絵には既に構図の異なる「暫狐」が描かれているので、前からあったものなのでしょう。しかし、画像の「暫狐」は明治の9代目団十郎の頃のものを写したものでしょうか?
戦後、漫画家の宮尾しげを画伯によって復活されたものも、構図としてはこんな感じでした。私が小学生だった昭和40年代後半はまだ宮尾画伯作の「暫狐」が授与されていましたが、その後、昭和50年代くらいに現在の型(仁王襷をしている)に変わったのではないかと思っています。
画像2枚目のものには、昭和24年と記されています。何かの本で観たことがあるもので、おそらく当時の好事家が古いものを再現したものではないかと思われます。
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