私は茶道のことは全然わかりませんので、正直茶道具に関して書く資格はありません。しかし、今戸焼の製品を知る上で紹介させていただきます。
画像「は「紅鉢型土風炉」と呼ばれるもの。内側底に「對�貎斎」「橋本三治郎」という陶印があります。今戸神社(旧・今戸八幡)に残されている文政5年再建とある古い狛犬一対の基壇に奉納した今戸焼職人の名前がありますが、向かって右側の阿型の狛犬のほうに「當町火鉢屋中」の連名の中に「橋本三次郎」という名前があり、同じ家系なのではと思います。明治12年東京府勧業課発行の「東京名工鑑」という本があり、その中にも「橋本三次郎」の名があります。「浅草区今戸町四十六番地 今戸焼工 橋本三次郎 三十三歳 / 所長 村雲焼 / 製造種類磨キ焼茶器 手爐 火鉢 七輪 火入 / 助工工人 弟子一人 /博覧会出品 内国博覧会へ村雲焼手爐火入及ヒ手焙 共ニ村雲焼 ヲ出シテ花紋賞牌ヲ受タリ / 開業及沿革 父三次郎ヨリ傳習シ二十一歳ノトキ相續シ 以来 風爐地板等ノ茶器ニ属スルモノハ逐年衰勢ニ傾クト雖モ其他ハ益盛況ニシテ維新前ニ比スレバ其製造高凡ソ五割ヲ増加セリ」 とあり、同じページに同じ住所に「今戸焼工 橋本徳次郎 五十二歳」で「父三次郎ヨリ傳習シ二十八歳ニシテ父ノ業を續キ」とあるので兄弟のようです。 また「今戸町三十八番地」に「今戸焼工 橋本松五郎 二十六歳」「村雲焼」とあり「父榮太郎ニ就テ十五歳ヨリ修シ」とあるので親戚でしょうか?
「橋本三次郎」という名前は世襲されていたようですが、今戸神社文政5年の狛犬の「三次郎」と明治12年に33歳の「三次郎」は親子でしょうか?記述では「21歳のとき三次郎を襲名した」とあるので襲名は明治元年ということになります。代々の三次郎の何代目かが、この土風炉の作者ということかと思うのですが、、。「今戸焼の村雲焼」とはどういうものか?
この土風炉には黒漆が施してあり、素焼き生地を那智石で磨いてから施漆したのか、或いは「黒磨き」にしてから施漆したものか、どうなのでしょう?漆の定着にはどちらが適するのかわかりません。もっとも今戸焼での土風炉製造の起源は京都の御用土風炉師「天下一宗四郎」が2代将軍秀忠に招かれて江戸に入って作ったものであり、真塗りの土風炉は京都が本場なのでしょうから、京都にまだ伝統が残っているのでしょう。
中に灰をならして、その上に炭火を入れるのでしょうが、表面に塗られた黒漆は焦げたりしないものなのか、、、。実際この品物には底や側面にヒビが入っているものの、焦げた形跡は観られません。不思議です。
土風炉の生地の製作者は「橋本三治郎」ではありますが、漆の仕上げまで一貫してひとりで行えるものなのか、別に漆工に仕上げを任せたものなのか。漆塗りって埃が禁物って言いますね。土いじりの工房って埃っぽいはずですよね、、、経験上鼻毛が伸びます。風炉師というのは、漆まで一貫した技術を持つ職人さんなのか?
こうした疑問も茶道について全くわからない私ゆえの事なだけ???
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知識なんてものは、私にはありません。
ただ、今戸焼は、自分の生れ育った赤羽と隅田川の上流下流でつながっている、という思い入れで前から気になっています。落語に出てきたり、錦絵だの、文芸だのに残っている割には製品の幅が広すぎて、いまいちピーンと来ないので、もっと知りたいという一心で読みかじり、聞きかじりなんです。どういう資料があって、どこに載っているかということさえわからないんで手探り状態です。
漆が染み込んでいる?いや違うなー?もともと燻し瓦のような質感に焼き上げたものなのでしょうか?
素焼きに漆というのは未知の世界で「ほほーぅ」という感じです。どのように漆を入れるのでしょうね。
漆を染み込ませてからまた焼くのかしら。黒磨きの後だと、、、漆は油を嫌います。どうなんでしょう?
厚い塗膜は再度焼くと炭化しますが、染み込ませる、馴染ませるみたいな焼き付け方だと、火を使ってもこげないのでしょうね。
南部鉄器などは、成形後再加熱し、チュッチュの鉄器に漆を塗り、焼き付けますが、あれも火を使うのに平気ですものね。
いろいろありがとうございました!ブログ楽しませてもらっています。
お邪魔させていただきました。
私は今戸焼の昔の人形への興味から始まって、その周辺で作られていた今戸焼の製品はどんなものがあったのかというミーハーレベルで関心を持っているのですが、今戸焼の素地に漆を施すという加飾自体不思議に思っていたのですが、お邪魔して拝見した蒔絵というものは高度な工芸品ですね。今戸焼というとどちらかといえば素焼きの安物の家財道具というイメージが一般的ですが、こうして知れば知るほど今戸焼の幅の広さにびっくりしてしまいます。