東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

今戸焼⑭ ボウズ

2010-04-15 08:59:43 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010289 お茶道具関係の今戸焼が続いていたので、久しぶりに雑器、というよりこれは生業道具ですね。 「ボウズ」と呼ばれていたそうなんですが、確かに形状からするとなるほどと思ったりしますが、一見「手あぶり火鉢」のようにも見え、実際そのように使えないこともないのですが、これは製綿農家などで使うものであったそうです。

収穫して種を除いただけの未精製の繰綿を綿打ち弓という道具ではじき打って不純物を取り去り、「綿打ち職」というんだそうです。そのあと真綿を「ボウズ」に被せて引き延ばし、使用する形に整えていたということです。

開いた口はどうするのか、というと綿を伸ばしながら汚れていたり不純物とかを除いて、中に入れた、という話を聞いているのですが、実際に使っていた人によく話を聞いてみないとまだ十分納得がいきません。背面に見える小穴も何なんだろう、、。

「ボウズ」のサイズも大小何段階かあって使い分けていたらしいです。

写真のボウズは結構大きいほうのものではないかと思います。「黒みがき」ですね。今戸では注文を受け、かなり出荷していたそうです。

入手した時は、長年群馬県内の農家の庭先にでも野晒しになっていたのか、泥がこびりついていたのですが、そーっと何度も雑巾で拭いてやっとここまできれいになりました。作られた当時はもっと光沢があったのでしょうね。すべすべの頭に綿を滑らせながら伸ばしたのでしょう。2007_0101_000000p1010290

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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癒しの包装紙

2010-04-14 20:38:34 | ああ懐かしき、、

2007_0101_000000p1010296 母が町内の老人会の寄り合いから帰ってきて、食べかけののり巻きやおいなりさんをくれた。

食べ終わって、ごみを分別して捨てようとしたその時、、。すごくローカルな包装紙。白い薄紙に茶色一色で印刷されているだけなんだけど。

見て読んでつい楽しくなる絵柄。理屈抜きにこういうのは好きです。捨てずにとっておこうと思います。

最近町の小売店なんかで、既成の花柄とかチェック柄の包装紙で済ませているところはいいほうで、白いビニール手提げに入れてくれるほうが多いじゃないですか。そんな当節でもこうしてオリジナルの包装紙を使っている律儀さ。

包装紙がいいから買うということはないけれど、あとになって楽しませてくれるところがいいですね。町のお店でも、こういうのを使っているところは業種にもよるんでしょうけどね。和菓子、お茶、海苔なんかまだあるでしょうね。あと名所とか温泉場にある土産物屋さんとか。

何気なく採り上げてみたくなったのですが、どのカテゴリーがいいかわからないので、新しく造りました。思い返すと、結構ものを捨てられない性分なんです。おそらく、ゴミ屋敷の予備群です。昔食べた駅弁の包装紙とかそういうものも捨てた記憶がないから、どこかにあるかも。

出てきたらまた採り上げてみたいです。


何気ない風景

2010-04-14 18:00:14 | ご近所

052 特に古い家並みだとかではないんですが、道の交わり方が面白いなあっていつも通るたびに思うところ。どこにでもあるかもしれませんが、道が二股に分かれていて、間の土地は三角形になっているんですが、右側の道は少し先で終わっているんです。まるで、ここの一角を三角形に切り取るためにだけある道といった感じ。

ここは神谷の3丁目で「お気に入りの風景①」の荒物屋さんと「気になっていた建物」である道場との中間点あたりです。

後ろに見えるのは北清掃工場の煙突。ちょっと不気味。赤羽を電車で通過する人は、「あの灯台みたいのは何ですか?」と思うらしいですね。

私はこういう無機的な巨大な建物って苦手で、夜になると赤いランプが点灯していて余計に不気味です。私の粘土いじりの作業場はほとんどあのそばにあるので、夜歩くと、赤い目が頭上で点灯していてひどい圧迫感に襲われるんです。だから見ないようにして通ります。


今戸焼⑬ 真塗りの灰器(白井半七作)

2010-04-14 17:32:04 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010293 この灰器にも「白井半七」の印があります。箱があり、うこん色の裂でくるんでありまして、裂には別の半七の印が押してあるので、これは、関東大震災に遭って関西に移った「7世白井半七」の製品だとわかります。ただ、震災前の今戸時代のものなのか、関西で開窯後のものなのかまではわかりません。灰器は先の「半田焙烙」も含めて、炉や土風炉に灰を盛り、ならす時に使うお茶の道具で、炉によって素焼きを磨いたもの、釉薬を施したもの、この画像のように磨いてから黒漆を施したもの、それに備前焼などのものもあるようですが、私はお茶の事は皆目わからないので、どういう時にどれを使うといった決まりごとは全然わかりません。

画像に見えるように、松葉を散らした模様が刻まれていて、素焼きして磨いて、黒漆で仕上げた上に松葉の沈線の上を金の漆で装飾してあります。黒漆のつやは、前述んの真塗りの土風炉ほどには光沢はなくて、鈍い光沢を放っています。

痛ましいのは、口縁の部分に2か所、欠けがあるんです。だからこそ、私のような貧乏人の手元にあるわけですが、金継ぎとかしたほうがいいんだか、いや金継ぎだと松葉の金色を邪魔してしまうようで、金ではない漆の継ぎ方はないんだろうか、、とああでもない、こうでもないと考えているんです。

私はお茶のことはわかりませんし、ただ今戸焼のことを知りたいばかりに、こうした品物を手元で眺めているわけで、実際に使うことはないと思っているんですが、、。


今戸焼⑫  炉台?或いは敷き板?(橋本三治郎作)

2010-04-14 13:10:25 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010195 お茶のことはわかりませんので、本当は書く資格はありません。ただ、昔の今戸焼について知りたいので、すすめていきます。 「橋本三治郎」の印が裏にあります。大きさからすると、お煎茶用の涼炉の下に敷いたものか、香炉でも乗せたものか?

作られた当時は磨きでもっと光沢があったと思います。やはり、先⑩⑪と同様な桜のつぼみの模様が刻まれており、「隅田川」という文字もあります。今戸焼が発展する背景には隅田川の向こう岸の向島の賑わいなどもあっただろうし、今戸橋のそばには「竹屋の渡し」というのもあったので、船を待つ人々の土産としてこういうものも、あったということなのか、「隅田川」というデザインのスタイルがあったのか?

この製品には漆は塗られていないようで、①の猫こたつのような、黒みがきの一種だと思うのですが、ひとつだけちがうのは肌に黒と灰色のムラのような模様。これこそ「村雲焼」というんですかね?白井善次郎作の「雲華」の模様とも違うし。どうやって、こういう効果を出すのか?①ふたつの違った土を練り込んでわざとマーブル調の地肌の色を出す方法?それとも②磨いたあと黒鉛をつける特別なやり方がある?①α 生土へ黒鉛を予め練り込み、色の黒い土とそうでない土とを練り込む?、、、、どれも想像の域を出ないのですが、、。

おわかりの方いらっしゃいましたら、ご教示ください。

「桜=隅田川」という趣向なのかわかりませんが桜の花の陰刻のある今戸焼の器物について他にも記事にとりあげていますのでお時間ありましたらご覧ください。

隅田川の灰器(白井善次郎作)→

紅塗りの手あぶり(白井半七作)→

紅塗りの手あぶり(橋本三治郎作)→


今戸焼⑪ 紅塗りの手あぶり その2(白井半七作)

2010-04-14 11:10:16 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010286 手あぶり火鉢です。陶印には「白井半七」とあります。「白井半七」といえば、今戸焼に関する記述には必ず出てくる作者ですね。とりあえず「東洋文庫」の黒川真頼著 前田泰次 校注「増訂 工芸志科」から引用します。この本は明治11年刊の「工芸志科」上下二冊(博物局版)と明治21年刊の同書「増補訂正 工芸志科」(宮内省博物館蔵版)の2種類を本に基づいて校注したものだそうです。その今戸焼の項より、、。

○貞享年間、土器の工人白井半七という者あり、今戸に於いて始めて店茶家に用いる所の土風炉を製し、又火鉢等の種々の瓦器を造る。世人是れを今戸の土風炉師と称す。尋で其の地の工人これに倣い業を開く者あり、漸く数戸に及ぶ。

○享保年間二世白井半七という者、始めて瓦器に釉水を施し楽焼と等しき者を製す。爾ありてより以来工人又これに倣い、業を開く者数十戸に及べり。多くは食器にして雑記は甚だ尠し。衆人之を用呼んで今戸焼という。

○三世も亦白井半七と云う。四世も亦同名なり。後に蘆斎と号す。五世も亦同名にして蘆斎と号す。初世より以下数世、土風炉及び楽焼きを製す。その他の職業年序を経て漸く盛んなり。又婦女の塑像を造る、翫弄物なり。其の製伏見人形に似て甚だ麁朴なり。而れども精巧ならざる所に奇作ありて、好事の輩は今戸人形と唱えて之を愛翫す。

○明治年間六世白井半七、世業を襲ぎ土風炉を作り、又楽焼を能くす、最も名声あり。(中略)其の他の工人土器及び楽焼き塑像を製する物多し。其の戸数遂に四十に及ぶ。其の他の工人業を営んで今日に至る。

これは明治21年に訂正刊行されるまでの流れです。6世半七までの記述で終わっていますが半七の名前は9世まで続いています。

7世白井半七(1857~1933)は今戸で業を継いでいたが、関東大震災に遭い、兵庫伊丹に招かれて、伊丹に窯を築いた。養子の半次郎氏(1898~1949)が8世半七を継ぎ、関西で茶陶を製作していたが、小林一三氏(阪急電鉄会長、宝塚歌劇の創始者)に請われて、宝塚市に窯を移した。九世半七(1928~1987)は戦後、宝塚市の都市化に伴い三田市の郊外に移し、昭和62年に亡くなったとあります。

手あぶりの話に戻ります。この手あぶりも橋本三治郎のと同様、磨いてからべんがらを混ぜた漆で仕上げてあり、胴のところに、桜の花やつぼみの模様が刻まれています。代々の半七の陶印や銘がいろいろありますが、どれが何代目のものか虎の巻があればいいのですが、今のところそういうものが存在するのかわかりません。

今戸で製作していて大震災に遭い、伊丹に移住したのが7世で、7世までは「墨田川 半七」という陶印を使っていたという話ですが、これも作品によりけりでひとりの人物が色々な印を使い分けていたということもありそうなので、ご専門の方がいらっしゃったら、教えていただきたいです。

この手あぶりには「白井半七」の印だけですが、関西へ移ってからの半七の作品は関西の茶人の好みに合わせ、上品な作風になっているようなイメージを持ちます。それからすると、橋本三治郎の製品とも共通点をもつ、この手あぶりは、まだ今戸で作られていた時代のものではないかと思うのですが、所詮素人考えで、わかりません。

「桜=隅田川」という趣向なのかわかりませんが、桜の花の陰刻のある今戸焼の他の器物についても記事でとりあげていますのでお時間ありましたらご覧ください。

隅田川の灰器(白井善次郎作)→

炉台(橋本三治郎作)→

紅塗りの手あぶり(橋本三治郎作)→


今戸焼⑩ 紅塗り?の手あぶり(橋本三治郎作)

2010-04-13 18:35:51 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010287 手あぶり火鉢です。陶印があり「對歐斎」「橋本三治郎」とあります。丸い形、よく磨きあげて、べんがらを混ぜた漆で仕上げた感じのつや。蓋付になっていて、口をあけたような曲線が楽しいです。胴には桜の花やつぼみがところどころ刻まれていて(印押し?)またラーメン模様のような帯も刻まれています。結構手の込んだ造りで、今戸焼でも上手なものなんでしょうか?「橋本三治郎」については、先の「真塗りの紅鉢型土風炉」のところでも触れましたが、代々世襲した名前のようですが、どれが何代目の作なのか知りたいものです。

「桜=隅田川」という趣向なのかわかりませんが、桜の花の陰刻のある今戸焼の他の器物についても記事でとりあげていますのでお時間ありましたらご覧ください。

隅田川の灰器(白井善次郎作)→

炉台(橋本三治郎作)→

紅塗りの手あぶり(白井半七作)→


今戸焼⑨ みがきの香合(白井善次郎作)

2010-04-13 18:19:27 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010291 まん丸で卵の殻のようにすべすべの地肌に沈線が大胆に入った形。陶印があり「白井善次郎」の作です。「白磨き」のあと黒鉛を刷り込んで焼いたのか、霞のような斑。一般的には「雲華」(うんげ)という仕上げなのではないでしょうか?今戸焼ではどんな呼び方をしたのでしょうか?蓋をあけると底のところだけ黄色い釉薬が施されています。単純のようで、結構技術がいるんでしょうね。結構モダンな感じもしますね。


お気に入りの風景④

2010-04-13 17:58:12 | ご近所

009 岩槻街道に沿って南下すると、埼京線と交差するところまでいい感じの家並みが揃っていたけれど、道路拡張でもう歯抜け状態になってきている。この家は六差路にあって奇妙な形(段々切られていった?)で好きです。正面はお店の造りで、子供の頃は何か食べ物を商っていてような気がする。左隣に有名だった「大久保酒場」がありました。向かいに山道を登っていくと私も氏子である香取神社の方向。辛うじてまだ懐かしい雰囲気が残っている。それに西口は、昔から東口より緑が多くて羨ましかった。まだ線路が高架になるまでは踏切を渡って反対側へ行くのはそんなに楽ではなかった。開かずの踏切というのが008 たくさんあった。クワガタも捕れたし、どんぐり拾いもした。今はしないけれどお金がなくても古都探索ごっこのような気分で散歩をしていました。007


お気に入りの風景③

2010-04-13 17:39:49 | ご近所

005 赤羽駅西口、日光御成街道(岩槻街道)に面した池田屋酒店。静勝寺の石段に向かう通りとの四辻にあります。昔はたくさんの古めかしい店が立ち並んでいて業種も様々あったけれど、道路拡張のため取り壊しになったりして真新しいマンションやアパートが増えてきました。その中でまだ昔の佇まいを残しているお店。本当かどうかわからないけれど、やはり赤羽に生まれ育った母の話では、ここも昔はお酒を造っていたというんですが、、、?私はあんまりお酒を買わない(というかお茶党です。)ので、この店での買い物はそんなに多くありません。酒粕を煮て飲むのは子供の時から好きなので、ここで買うのは酒粕くらい。中に入って買うひととき、昔の懐かしい雰囲気に浸ることができます。この辺りは「小川さん」という名字の家が多く、古くから店をやっている所が多かったです。同じ道沿いに「小川屋酒店」ていう店もありました。(まだあるか?)


今戸神社の狛犬銘文(云型)

2010-04-13 10:13:42 | 今戸焼(浅草 隅田川)

P1010273 ●云型狛犬(正面向かって左)

(右側面) 

(裏面) 世  話  人(連名の上に横書き)

金沢喜太郎 熊田半右衛門 福井多左衛門 鈴木三左衛門 富田源次郎 

岡田源七 大春宗八 岩井源右衛門 鹿田久八 吉岡金兵衛 梅田市右衛門

焙烙 屋中

(左側面)

永嶋住之吉 白井半七 大春竹次良 鈴木次五郎 鈴木千代蔵 木村助□□ 橋本鉄五良 深谷吉□□□  吉田新次郎 

(正面)

                                                     (横書き・左←右) 作 門 衛 右 竹 田 岡

※(横書き)としてある部分以外は当然縦書きで、連名はひとり一行で刻まれていて、右から左の順で刻まれています。

阿型の狛犬の台座銘文はこちら→


今戸神社の狛犬銘文(阿型)

2010-04-13 09:36:26 | 今戸焼(浅草 隅田川)

P1010274 今戸神社(旧・今戸八幡)に残る狛犬一対。今戸焼工人によって寄進されたもので、基壇に刻まれた名前は、当時の工人さんたちを偲ぶものとして大変貴重です。

●阿型狛犬(正面向かって右)

(左側面) 

(裏面) 當町火鉢屋中

白井善次郎 松本甚三郎 吉川久次郎 橋本三次郎 橋本金五郎 吉川長助 �叩田新兵衛 宇田川音八 永嶋金次郎 岩本新五郎 深谷惣七 森仁平次 町田亀次郎 井上米次郎 小泉瀧次郎 柳澤儀八郎 上田八五郎 

土器屋

岩本多郎吉 宮川助三郎 川嶋佐吉 

(右側面)

 宝暦二壬申年                                                         

再興

  文政五年

壬午八月吉辰

  本多五郎兵衛忠廣

石工

 淺草新堀

 小松屋 右兵衛門作

(正面)

 淺草

 新堀

 (横書き・左←右) 作 門 衛 右 竹 田 岡

※(横書き)としてある部分以外は当然縦書きで、連名はひとり一行で刻まれていて、右から左の順で刻まれています。

云型の狛犬の台座銘文はこちら→

 


お気に入りの店②

2010-04-12 18:10:31 | おいしいもの

010 今日は本当なら勤めですが、体調がよくないのでおやすみして寝たり起きたりしています。お腹の調子が良くないのですが、といってもともと食べるのが好き。ちょっとおいしいものを食べたいけれど調子が悪いので外へ出ることもできず、、。

ふと思い出した、ご近所のお気に入りの店。神谷の製麺所。先日写真に撮りました。隣のお豆腐屋さんとともに子供の頃から買いものに行っています。そば、うどんの細麺、太麺、ラーメン、焼きそば用の麺、どれもひと玉¥70です。スーパーなんかで売っている麺より食べやすいし、おいしいと思います。古風なガラスケースに並んでいて、注文するとおじいさんがケースを開けて包んでくれます。店構えからして馴染みがあるしおいしそうではありませんか?こういう店は昔はどの町内にもあったかもしれませんが、、。

この店で売っているラーメンスープ。ここで作っているわけではありませんが、よそであまり見かけないもの。お湯で薄めて使うんですが、これが結構おいしい。人それぞれ好みがあると思いますが、ここは私のお気に入りの店です。 昔この並びに神谷の映画館があったんですが、小学生のとき火事になってなくなってしまいました。 フィルムが焼けるせいか煙がものすごかった。ここは駅前でもなく、赤羽か東十条から歩かなければならないところですが、こんなところにも映画館があったなんて、昔は景気がよかったんですね。


今戸焼⑧ 涼炉(しゅうろ)(白井善次郎作)

2010-04-12 17:00:06 | 今戸焼(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010284 2007_0101_000000p1010283 御煎茶用の炉です。下に敷板(或いは炉台?)を敷いて、上に急須(ぼーふら・湯沸かし)をかけます。陶印があり、「白井善次郎」の作であることがわかります。「善次郎家」は今戸にあった白井3家の本家です。昭和20年の東京大空襲で被災されるまでは今戸で製作されていたそうですが、戦後葛飾区のお花茶屋(宝町)へ移られました。今から十数年前、当主の白井和夫さんを訪ね、直接お話しを聞く事ができました。これと同じ手のものを拝見しながら聞いたので、これが「白みがき」という仕上げであることは確信できます。惜しいことに、当時お話を理解、整理するだけの予習をしていなかったので、断片的なことしかわかりません。「白みがき」は「黒みがき」同様に那智石で磨いてから再度焼くのか?同様のものの中には部分的に黒鉛を刷り込んで焼いたような斑のあるものもあります。一般に「雲華焼」(うんげ)と呼んでいるようですが、今戸では何と呼んでいたのか?橋本三治郎の「村雲焼」という名前との接点があるのだろうかと考えているのですがわかりません。

土色は⑦の半田焙烙同様、中京か関西の白い土を使用していますが、表面の磨きのきめ細かさは、こちらのほうが断然丁寧で艶もあります。こちらは確実に「白みがき」ですが、半田焙烙はどうなのか? 「風門」と呼ばれる口の形はこれは鷺のシルエットの形で、へら彫りで足の表現が観られます。他にも扇面型や瓢箪型の風門もあったようです。

上から内側も画像に撮ってみました。穴のあいた火袋部分だけは、耐火粘土を使い、本体との接合が難しいのだそうです。

それにしてもお話を聞いた当時、こっちにもっと予習の知識があったら、もっといろいろわかることがあったのに、、と悔やんでいます。