撮りさるく

有名かとこっちゃ無名のとこっちゃ 写真ば撮ってさるくざい

茨城大学その2

2024-11-11 06:58:12 | 茨城
2024年9月11日(水)茨城県出張二泊三日の二日目、茨城大学を見学、文化系サークル棟から正門の方へ向かって歩いた。


左手に教育学部棟。屋上に茨城大学と書いてあった。



教育学部棟を左に折れて野球場の方へ向かった。



確か保健管理センターだと記憶



体育系サークル棟、文化系より小さい様に見えた。



体育館



体育館。中でバスケットボールの練習をしていた。



メインストリートに戻って本部事務局を見た。



食堂。1階が売店で2階が食堂になっていたと思う。



図書館1階のカフェを覗こうと思っていたら忘れ物を取りに宿に向かっていたI君が戻って来たので



15時50分、茨城大学を後にした。素晴らしき茨城大学、今後も有為の人材を輩出し続けるだろう、

茨城大学その1

2024-11-10 07:01:15 | 茨城
2024年9月11日(水)茨城県出張二泊三日の二日目、六角堂や福島県パトカーを見た後、訪問先へ向かう途上、同行のI君が宿に忘れ物をしたというのでレンタカーを預けて


15時26分、五浦美術文化研究所の運営母体たる茨城大学に行ってみた。1920年創立の旧制水戸高等学校を母体として1949年設立、教育学部、人文社会科学部、理学部、工学部、農学部、地域未来共創学環の6学部体制である。



門の左側にある銘板



右側の銘板。



門を入って正面にある茶色の建物は図書館で、1階がカフェになっていた。



構内図、簡潔である。面積は151,249㎡。四角形にまとまったコンパクトなキャンパスで、工学部と農学部は別の場所にあり、ここ文教キャンパスには本部事務局と4学部があるのだ。構内図で共通教育棟となっている所に新設の地域未来共創学環が入っており、構内図が組織変更に追いついていない様だ。



図書館を右に見て直進すると講堂である。



講堂の前を右に折れてまっすぐ行く。前に見える木立がキャンパスの端にあたる。



地域未来共創学環、2024年4月にできた新学部だ。



その先に理学部



理学部の向かい側に人文社会科学部があった。



人文社会科学部の裏に文科系サークル棟



サークル棟の横は運動場だった。以下次号

五浦岬公園 六角堂全景その2

2024-11-08 06:57:07 | 茨城
2024年9月11日(水)茨城県出張二泊三日の二日目


五浦岬公園の展望慰霊塔を降りて12時38分、六角堂全景を見た。彼方に小さく見えた。



場所を変えても小さく見えた。



アップ,六角堂全景を拝めて眼福であった。



その後駐車場の横にあった大津岬灯台を見て



12時47分、無料駐車場からレンタカーで出発したのであった。

五浦岬公園 六角堂全景その1

2024-11-07 07:00:37 | 茨城
2024年9月11日(水)茨城県出張二泊三日の二日目、茨城大学五浦美術文化研究所にて見学した六角堂の全景を見たいと思い、適当な場所がないか出場時に入場券売り場のおじさんに教えて頂いた


五浦岬公園に至った。



駐車場にクルマを停めて入った。



12時33分、展望台に至ったので上がってみた。これは展望慰霊塔だそうで東日本大震災で犠牲となった方々の慰霊を兼ねて2014年に建てられた展望塔という事である。合掌



最上階から見た太平洋、絶景である。



そして教えて頂いた通り六角堂が見えた。



なるほど確かに六角堂だ。



茨城大学五浦美術文化研究所の親切な係の方に感謝である、ありがとうございます。

天心邸 亜細亜ハーなり石碑

2024-11-06 06:53:43 | 茨城
2024年9月11日(水)茨城県出張二泊三日の二日目、得意先様のご都合で午前のアポが夕方になり、時間が出来たゆえ茨城大学五浦美術文化研究所を見学、六角堂を見た後


12時05分、岡倉天心が住んでいたという



天心邸を見た。



内部は立ち入り禁止だったが、外から見るだけでも十分な価値があると感じた。



天心邸に向かって左手には亜細亜ハーなり石碑があった。



揮毫はかの有名な横山大観。「あじあ はーなり」とはどういう意味か判らなかったが帰宅後調べたら「あじあ はーなり」と読むのではなく、「あじあはひとつなり」と読むと判明、おのれの浅学を恥じたのであった。


石碑を見た後は順路に従って階段を上がり

途中でこの様な遺構



倉庫跡を見て



出入り口に戻ってきた。



ここで小さいながらも風流な感じがする清潔なトイレをお借りした後、撮影禁止の天心記念館を見学した。



登録有形文化財の銘板。文化財に指定されているのはさっき見た天心邸と



入場券売り場と事務所が入っているこの長屋門だそうな。
満足の見学を終え、12時20分、茨城大学五浦美術文化研究所を後にしたのであった。

六角堂

2024-11-05 06:59:51 | 茨城
2024年9月11日(水)茨城県出張二泊三日の二日目、得意先様のご都合で午前のアポが夕方になり、時間が出来たゆえ


12時02分、茨城大学五浦美術文化研究所の敷地内にある六角堂を訪ねた。



これが六角堂、海に面しており階段を下って行くのだ。



説明看板。もとは国指定の登録有形文化財であったが2011年3月11日の東日本大震災の津波で流されてしまい、海中を捜索して流された構造物を見つけ復旧しようとしたが、柱が何本か見つかっただけだったので、新しく建て替えた、という意味の事を入場券売り場の親切な女性が教えて下さった。再現建築という事なので有形文化財の指定は取り消されている。



六角堂の前からは太平洋が望める。左手、北の方角は少し行くと福島県、東北地方だ。



正面



右手、南の方。素晴らしい太平洋の景色だ。



が、肝心の六角堂の全貌を写真に収める事は出来ない。近すぎるのだった。

茨城大学五浦美術文化研究所

2024-11-04 07:01:56 | 茨城
2024年9月11日(水)茨城県出張二泊三日の二日目、得意先様のご都合で午前のアポが夕方になり、時間が出来たゆえ


11時51分



茨城大学五浦美術文化研究所に至った。



この辺りは茨城百景にもなっている。



長屋門の左側が入場券販売窓口になっていた。



400円払って入ってみた。日本の美術を海外に紹介した功績で有名な明治期の文人、岡倉 天心(1863年~1913年)が関係する史跡であり、ゆえあって茨城大学に寄贈され、公開されている。東京単身赴任時代に一度訪れたいと思っていて叶わなかったゆえ、感慨もひとしおだ。



ラングドン ウォーナー像。第二次大戦中、日本の文化財リストを作成し、米戦略空軍による奈良、京都への空襲を防いだという。



説明板



五浦海岸ジオサイトの一部にも指定されておるようだ、以下次号

筑波海軍航空隊跡地

2024-11-03 06:53:03 | 茨城
2024年9月10日(火)二泊三日の出張にて茨城県は水戸のレンタカー屋で同行者のI君と落ち合い、笠間に移動してひと仕事


17時57分、筑波海軍航空隊跡地号令台を見た。



説明看板



そして号令台の向こうには旧筑波海軍航空隊司令部庁舎があった。



今は筑波海軍航空隊記念館となっている。



資料館のHPを見ると「筑波海軍航空隊は1934(昭和9)年、霞ヶ浦航空隊友部分遣隊として開隊。1938(昭和13)年に独立、筑波海軍航空隊となる。戦闘機などの操縦訓練を行う海軍の練習航空隊」で特攻隊の訓練もやっていたそうな。今この跡地は大部分が茨城県立こころの医療センターとなっている。



庁舎入り口



看板。入館料は地下の指揮所まで見学しておとなひとり800円、地下へ行かねば500円ということがHPに書いてあった。



利用時間は9時から17時、最終入館は16時であったので、このときは外観の見学のみであった。時間の余裕があるときに再訪し、ぜひ見学したいものだ。

大銀杏

2024-11-02 07:02:13 | 茨城
2024年9月10日(火)二泊三日の出張にて水戸至った。宮下銀座からホテルへ向かう途上


15時39分、立派な樹を見た。



大銀杏、水戸空襲と戦後復興の生き証人なのである。



周囲が工事中で、難しい写真になってしまったが



大銀杏は坂の入口に位置しており、坂の上には小学校があるらしく



子供たちが駅へ向かって歩いていた。大銀杏は今後も道を行き交う子供たちを見守り続ける事だろう。

宮下銀座

2024-11-01 07:09:49 | 茨城
2024年9月10日(火)二泊三日の出張にて水戸至った。ホテルチェックインまで時間つぶしに


15時34分、水戸のアーケード街たる宮下銀座をさるいた。



看板



商店街というより、飲み屋街だった。



国道50号線の方へ向かって進んだ。



飲み屋街だけあって、昼間は閑散としていた。



国道50号線側のアーケード起点が見えてきた。



振り返って見た。



アーケードを出た。



振り返って見た。昭和の香りがした。



国道50号線側の看板は比較的目立つ。夜の帳がおりる頃は、さぞかし賑わいを見せる事だろう。