撮りさるく

有名かとこっちゃ無名のとこっちゃ 写真ば撮ってさるくざい

東京都世田谷区 等々力不動尊と等々力渓谷のはて

2011-05-25 21:24:10 | 東京
階段を上がって


等々力不動尊へ到着


本堂


境内は狭いながらも結構賑わっておりました。


このような見晴台もあります。


山門から境内を望む。


正面玄関とも言うべき山門はこの様な感じで


山門は目黒通りという幹線道路に面している。品川方面を望む


こっちは多摩川方面。緑の深い所を通ってきたが、実はこの様な都会の一角にエアポケットのように存在するのが等々力渓谷だったのであります。


さて境内を通ってまた渓谷へ戻る。


不動尊を過ぎたあたりから上流を望む。


等々力渓谷を流れる川は「谷沢川」といいますがこの谷沢川は


不動尊を過ぎると住宅街に突入し


この様な


住宅街の中にありがちな川と姿を変え


暴走族のカラフルな落書きがある水門から流れ出て


多摩川へと合流するのでありました。手前が谷沢川、奥が多摩川。ここが等々力渓谷の果てといえましょう。

等々力渓谷についての私見
①「渓谷」というネーミングにつられて行くとがっかりする
②緑が多く、夏に涼みに行くのはいいかも
③等々力不動尊はグッド

①だけなら個人的「東京三大がっかり」候補にエントリーとなった所ですが、②③があるので残念ながらエントリーならず。


おまけ、多摩川の川面を朱に染める夕陽。「家に~帰れば~ セキ○イハウス~♪」的でいいですなあ。

東京都世田谷区 等々力渓谷

2011-05-24 22:32:51 | 東京
昭文社文庫地図東京を眺めていたら、世田谷区に「等々力渓谷」なる場所を発見。
東京都世田谷区は面積58.08K㎡、人口432,941人(2010年1月1日、同区HPより)の大都会でありますが、そんな所に「渓谷」があるのか という事で5月22日(日)行ってまいりました。

自宅から1時間ほど歩き

東急大井町線の等々力駅前の通りに出ました。


通りすがりの人に「ととりき渓谷は何処ですか」と聞いたら怪訝な顔をされた。等々力は「ととりき」ではなく「とどろき」と読む事がこの時点で判明。


歩道にこの様な案内があった。


成城石井という、石川島播磨重工や三井住友銀行に匹敵する何だか重厚な名前のスーパー横の路地に入りますと


ありました。


ゴルフ橋という名前の橋の袂から


渓谷へおりる階段がありました。


ゴルフ橋です。


ゴルフ橋から渓谷上流


渓谷下流をそれぞれ眺める。


下流に向かって歩く。


「渓谷」を流れる川の水ははっきり言って汚れている。


護岸工事がなされ、川底も人の手が加わっている。


渓谷の上を環八という交通量が多い道路が横切っており、ダンプやらオートバイやらの走行音がけたたましいが


環八の直下以外は静かです。


また緑も多い。


しばらく行くと何やら発見


「稚児大師堂」弘法大師の幼少の頃のお姿の銅像です。


近くには湧き水が出ており、くわえタバコ近所のおじさんが、ポリタンクを5つ6つ持ち込み、水を汲んでいました。


湧き水飲用の際は、必ず煮沸するようにという注意書きがありました。達筆である。


大都会 東京都世田谷区の一角とは思えぬ景色で


「不動の滝」なる


滝もありました。


そばにはお休み処もあり。


そして階段を上がると「等々力不動尊」へと至る。「どりゃ、ちっとお参りなっと行ってみゅーかね」
以下次号

兵庫県佐用郡佐用町名物「しかコロッケ」を食いそびれた

2011-05-23 22:30:16 | 兵庫
5月5日(木)休憩で立ち寄った兵庫県は佐用郡佐用町にある中国自動車道の上月パーキングにて


気になるものを見つけました。


「しかコロッケ」。鹿の肉が入っているそうです。確か1個120円だったと記憶。


女房子供らはその場で食べ、「おいしい」との事だったので、わたくしは家でビールのつまみにしようと我慢。

帰宅後、車内で誰かに踏んづけられた状態で「しかコロッケ」1個が発見された。残念無念、「しかコロッケ」を食いそびれたのでありました。
教訓「その場でできる事は、その場でやろう」

広島県廿日市市 もみの木森林公園

2011-05-22 21:55:02 | 広島
5月4日(水)午前10時に長崎の実家を出発しまして一路大阪の自宅へUターン。帰省の復路は途中一泊を常としており今回は


広島県廿日市市にある「もみのき荘」にお世話になりました。


中国自動車道吉和出口から国道488号線経由、クルマで30分ほどの


標高895メートルに位置する宿泊施設です。


この施設は「もみのき森林公園」という公園の中にあり広島県によって運営されております。


ロビーに於いては近所で取れたツキノワグマの剥製が出迎えてくれます。


部屋。気持ちの良い部屋でした。浴衣、歯磨きセット、フェイスタオル完備ですが、バスタオルはないので準備要。


駐車場。


夕食の時間まで間があったので、周囲を散策。


道端に野生動物のフンを発見。そう古くない。


陽も暮れかけて幻想的な森林風景。人通りもなく風の音だけが聞こえる。多少気味が悪いのでそろそろ引き返そう。


戻る途中で


アナグマに遭遇。ツキノワグマでなくて良かったっす。

さて明けて5月5日(木)。朝食後出発までの時間を利用しサイクリングに挑戦。


コースの最高点。当然9,653mではない。1週6.2kmのコースを息子と二人で50分で走破。

午前10時、もみのき荘を後にする。


もみのき森林公園を抜け左側に折れるとすぐに国道488号線の「酷道」区間となる。いわゆる「三桁マニア」の方々には伝説の国道だそうで行ってみようかとも思ったが


軽自動車でも離合不可能と思われる狭さなのでやめときました。


吉和インターへの道すがら、「吉和展望台」から中国山地を眺める。


近くには「日本ツキノワグマ研究所」なる建物もあり。
九州のクマは既に絶滅が確認されており、四国も絶滅した可能性があるとされてますので、中国山地西部が日本のクマ生息地西限となると思われます。


クマが住める場所は、豊かな自然が残っている場所だといいます。クマの絶滅域がこれ以上広がらないように願いながら高速へと向かうのでした。

長崎県長崎市 眼鏡橋

2011-05-21 22:53:43 | 長崎
5月3日(火)、あいにくの雨でしたが長崎土産購入に出かけまして、その後眼鏡橋を散策しました。


長崎市の中心街を流れる中島川に


眼鏡橋はあります。


1634年完成、国指定重要文化財、日本最古の石造アーチ橋です。


眼鏡の形をしているので1882年に眼鏡橋と命名。


わたくしも経験しましたが1982年の長崎大水害で橋は半壊、現存するものは流出した石材を回収し復元されたものです。


橋の上はこの様に太鼓橋様になっております。


雨にも関わらず、結構な人出。この日は長崎弁の会話を多く耳にしましたので、観光というよりはわたくし同様、帰省した人の散歩が多かったようです。

雨の長崎もいいもんですねえ。

長崎県長崎市 国宝 大浦天主堂とグラバー園

2011-05-15 23:59:16 | 長崎
平和公園と原爆資料館のあとは市内南山手方面へと向かいます。実はこの近辺で生まれ育ったもので、勝手知ったるといいたいのですが、随分様子が変わってしまっていて戸惑った。なんとか大浦警察署裏の駐車場にクルマを止めて


旧香港上海銀行長崎支店(1904年竣工、国指定重要文化財)と


長崎ちゃんぽん発祥の店 四海楼を見ながら歩く。


坂を上っていきますと


見えてくるのが国宝 大浦天主堂であります。1879年竣工。


カトリック史上有名な「長崎の信徒発見」の舞台となった場所です。


現役の教会として使われています。


祈りの場でありますから内部は撮影禁止。


天主堂横の旧羅典神学校。1875年建築。国指定重要文化財。カトリック長崎大司教区所有となっており関係者以外立ち入り禁止。


この様な古い道標の


長崎居留地時代という説明も大雑把と思いながら

近くのグラバー園へと入場。小さい頃、友達と柵を乗り越えて勝手に園内へ入って鬼ごっこなどして遊び、管理人のおじさん夫婦(園内に家があった)にお菓子をもらったりしていたのですが、今やると警察に捕まりますのできちんと入園料600円は払う。


オルト亭。1865年竣工。国指定重要文化財。


グラバー亭。1863年竣工。国指定重要文化財。日本最古の木造洋館。1863年といや江戸時代ですぜ、良く持ってるなあ。


グラバー亭の中の展示。


トーマス・ブレイク・グラバー氏の像。長崎で活躍した貿易商。氏のご子孫は確か「倉場」姓を名乗って今も長崎にご健在と記憶。

久々に我が故郷の歴史を堪能しましたです。

長崎県長崎市 平和公園と原爆資料館

2011-05-14 23:57:41 | 長崎
5月2日(月)、長崎市内は平和公園と原爆資料館を訪ねました。長崎市は広島市に次いで世界で二番目の核兵器被爆地です。
わたくしが小、中学校の時分は担任の先生が被爆者というケースが多く、授業の合間に体験談を聞くことも多かったのですが、今はどうなのでしょうか。


まずは平和公園


長崎県出身の彫刻家、北村西望作 平和記念像。1955年完成


公園内にある平和の鐘。右側のおじさんは長崎平和推進協会の方。長崎市発行の身分証を持っている原爆の語り部。ご自身は14歳のときに三菱兵器製作所で被爆され、奇跡的に生き残られたのだとか。


おじさんの証言を元に描かれた絵。救援列車の有様。「世界に1枚しかなかけんが、写真ば撮ってやって下さい。あがん愚かな事は二度と繰り返したらいかんですばい。」と仰ってました。

公園内には各国から送られてきたモニュメントが多数設置されております。

これはポーランドから。

続いて平和公園から爆心地へ移動。

1945年8月9日 11時2分、このモニュメントの上空約500mでプルトニウム爆弾が爆発、広島のウラン爆弾の1.5倍の破壊力だったそうで、瞬時に約73,800人がなくなりました。黒い御影石の中には原爆でなくなられた方の名簿が奉安されており、2010年7月時点でその数142,966人。


爆心地に移築された浦上天主堂の遺構。


写真の矢印部が移築されております。


現在の浦上天主堂。戦後新築されたもの。

さて爆心地を後にして周辺にあまたある


平和と


核廃絶を訴える


モニュメントを見ながら


原爆資料館へと至る。昔は国際文化会館という名前であったが改名されていた。展示品の写真撮影はフラッシュをたかなければOKです。入場料を払い中へと入る。


熱線で溶けたやかん


ガラス瓶


長崎には福岡俘虜収容所の分所が置かれており、原爆投下時には捕虜が200名ほど収容されておりました。うち約150名はオランダ兵、次いでオーストラリア、イギリスの順で米兵はゼロ。
原爆投下直後は敵味方の区別なく助け合ったそうで、捕虜に介抱されたという市民の方の証言もあります。
生き残った元捕虜の中には味方が投下した原爆によって「解放された」という人もいますが、なくなっていった捕虜の方々の心中を察する事はできません。


浦上天主堂の被爆マリア像


平和公園の噴水にある碑。「水を下さい」とうめきながら沢山の人が苦しみながらなくなりました。


平和公園駐車場そばの原爆無縁死没者追悼祈念堂。一家全滅または身元不明で引き取り手のない遺灰およそ9,000柱が祀られています。そのうち身元が判明しているのは130柱ほど。


戦争を経験した語り部の方々が高齢化で減っていく中、将来を担う世代が塗炭の苦しみを味わう事のない様、我々の世代が何をすべきか、考えさせられた一日でありました。

長崎県佐世保市 九十九島動植物園と展海峰

2011-05-09 23:13:49 | 長崎
ハンバーガーを食いました後は九十九島動植物園へと向かいます。


以前は佐世保市亜熱帯動植物園といってましたが、いつの間にか改名した様です。長崎県内唯一の動物園で佐世保市営。近くの山にちなんで石岳動植物園という愛称で呼ばれる事が多いと聞きます。ちなみにパンダはいません。


入ってすぐの鳥ゲージ。白クジャクがいたが動き回るので撮影できず。撮影できた動物はといいますと


ライオン


マントヒヒ


アジアゾウ


テナガザル


レッサーパンダなどに加え


ツシマヤマネコ。天然記念物


ツシマウマといった県内ゆかりの動物二種。

その他ツキノワグマやニシキヘビ、ヒトコブラクダやシマウマなんぞがいました。キリンがいたらしいのですがなくなったそうです。他にサイ、カバ、トラ、ゴリラあたりはおいてほしい所ですが、地方財政厳しき折、無理も言えますまい。


園内には木が沢山茂っています。


5月21日から31日までは50周年大感謝祭、大人60円、こども30円で入園できます。

続いて動物園からクルマで30分ほど走りますと


展海峰という展望所へ辿り着きます。


展望台から西海国立公園の九十九島を望む。


夕陽が絶景のスポットらしいですがこの日はあいにく黄砂が降りまくり


景色は霞みっ放しでした。


軍艦が多く停泊する佐世保港も若干見えます。


田中穂積の像。哀調を帯びた昔のサーカスのメロディでお馴染み「美しき天然」の作曲者です。曲は九十九島をモチーフにしたものだとか。
今度は天気が良い日に来よう。

長崎県佐世保市のアーケード街にてハンバーガーを食った

2011-05-08 21:52:09 | 長崎
さて、西海橋を後にして佐世保市へ突入であります。佐世保訪問の目的は、いつの間にかハンバーガーが名物になっていると聞いたので、「いっちょ食うてみゅーかね」となったわけであります。


人口264,440人 長崎市に次いで県下第二位、九州では第十位の都市。市の面積は426.35K㎡、対馬市に次ぎ県下第二位。造船、観光が主要産業。


県都長崎市と同様港町ですが、長崎が織田信長の時代に南蛮貿易から発展したのに対し、佐世保は明治に入り軍港が置かれて発展したという違いがあり、現在でも米海軍と海上自衛隊総監部があり「基地のまち」でもあります。

佐世保出身の有名人といえば 城島健司(プロ野球阪神 捕手)、前川清(歌手 梅沢富美男の友人)、村上龍(限りなく透明に近いブルー)の各氏。佐世保市内の見所はハウステンボスというテーマパークと西海国立公園、海防資料館辺りでしょうか。ジャパネットたかたの本社もあります。

佐世保重工近くにある義弟の言う「うまい店」へと向かったが、つぶれていたのでアーケード街へ出る。


佐世保市のアーケード街。長崎市にある浜の町アーケードより立派。しかしGWの昼時というのに人通りが少ない。近くに住む学生時代の友人を訪ねて20年以上前に来た事があるが、当時はもっと賑やかだったと記憶。シャッターがおりている店すらある。なんてこったい、寂れまくりじゃないか。


だが少し歩くと買い物客の姿がちらほら見えてきました。


長崎市に本店がある十八銀行と長崎県内で熾烈な預金獲得合戦を繰り広げる親和銀行本店を右に見て歩き


昔はジャスコ、現イオンの前辺りから賑々しくなってきました。少しほっとしました。

ところで佐世保のアーケードは長さが960mあって日本一長いそうです。日本一長い商店街は大阪市の天神橋筋商店街で2km以上あるそうですが、天神橋筋はアーケードが途中で切れている。佐世保は


横断歩道上にも


アーケードをかぶせるという意地を見せ、見事日本一長いアーケード街にしてしまったようです。


さてアーケード街でハンバーガー屋を見つけ


中へ入って頂いたのがこれ。パンとハンバーグが口の中で溶け合う、絶妙な柔らかさ。なぜ何処にでもあるハンバーガーが佐世保名物になったのか、地元の人(駐車場のおじさん)に聞いてみると一言「言ったもん勝ちですたい。」


案内してくれた義弟の話ではここが佐世保ハンバーガーを広めた店だそうです。ハンバーガーを食おうという人で長蛇の列、交通整理の係員まで出ていましたが、皆日本人ばかりで米国人はいなかった。

さて食い終わって駐車場へ戻る際に見つけたのが


佐世保公園入り口の橋


米海軍佐世保基地がある関係で、黒人のカップルやら


白人の坊ややら、5分おきくらいに米国人が通行していました。基地から街中へ抜ける通り道になっているようです。


アルバカーキ橋というそうです。米国にある佐世保市の姉妹都市の名を冠したとの事。


佐世保公園。手前は佐世保川。


やたらパトカーがうろうろしていた。米海軍に対するテロを警戒しているのでしょう。

さてこの後、動物園へと向かいます。
以下次号

GW帰省 長崎県西海市 西海橋

2011-05-07 23:54:52 | 長崎
ゴールデンウィークを利用しまして故郷長崎へ帰省しました。
大阪府内某所の留守宅より女房子供とネコ一匹、インコ1羽をクルマに乗せ、4月30日(土)午前7時50分出発。およそ820kmの道のりをひとりで運転、同日午後7時30分実家到着。

翌5月1日(日)に佐世保市へ出かけました。実家の母と妹夫婦一家、クルマ2台 総勢10名であります。

実家から佐世保市街地まではおよそ80kmの道のり。途上休憩で立ち寄ったのが

西海市にある西海橋物産館。GW中の昼間というのに、この人出の少なさ。


物産館の中にあったサブマリンキャッチャーなる遊具。200円入れると


運がよければイセエビがゲットできる。物産館のおじさんに聞いたら中のエビは五島産、場合によっては豪州産だそうです。


これが西海橋であります。写真で見る橋の手前は西海市、向こうが佐世保市となります。


橋の下には渦潮が巻いております。


西海橋のそばには新西海橋ができておりました。


新西海橋の向こうに3本見えますのが近隣では有名な 針尾の無線塔、1922年竣工。真珠湾攻撃の暗号「ニイタカヤマノボレ ヒトフタマルハチ」を送信したとされております。今は使われておらず、海上保安庁管理となっています。

西海橋を過ぎましていよいよ佐世保市突入。
以下次号