撮りさるく

有名かとこっちゃ無名のとこっちゃ 写真ば撮ってさるくざい

バービア巡り

2008-12-25 02:50:50 | タイ王国
ウォーキングストリートのゴーゴーバーでセクシーお姉さんの踊りを堪能した我ら二人組は、次なる目的地、バービアへ癒しを求めて歩を進めるのであった。
「やはりパタヤへ来たからには、白人が大好きな、つまり我々日本人と全く美的感覚の異なる彼らが好むバービアに入らねばなりません。」と提案すると、Oさん目を輝かせて「OKです。ワクワクするな~。」などと意見の一致を見た我々は、「ここは若いからNG」「ここは可愛い娘がいるからだめ」などとおよそ飲み屋を探す日本人とは思えぬ会話をしつつ、20分近く歩き、ようやく一件目へ突入。

小さなバービアへ。我々についてくれたお姉さん。意外と見られる顔だったので目的が外れた。最初は恥ずかしがって写真を拒否していたが、しまいにはポーズまでとりだす始末。なぜか後ろのテーブルのおばさんもピース。

バーのオヤジ。バービアのカウンターにオヤジがいるのは珍しい。

我々の横で飲んでいたオランダ人。横のおばさんは店の人か、連れかよく判らずじまい。

オランダ人、ついに踊りだす。Oさんはお姉さんと英語を駆使して会話に夢中だったので、ひとり浮いた悲しさから、思わず一緒に踊ってしまった。写真右の白人のおばさんが、ものすごい軽蔑のまなざしをこちらへ送っているのがお判り頂けよう。おばさんの隣のおじさんは、旦那であろうか、奥さんとは打って変って終始ご機嫌。ここは結構楽しかったが、今回はできるだけ数をこなすと言う事で長居せず、

二件目へ。

ここのお姉さん方は少しはにかみ屋が多く、客もおとなしかったのでOさんと世界経済やタイの観光地の話などしてのんびり過ごす。

バービアには珍しい、肌が白いお姉さん。「また来ま~す」、と別れを告げた後、通りを南下。

コンビニのおばちゃん。

物売りのおばちゃん。

この時点で、4時間の間に記憶しているだけでビール大瓶2本と小瓶6本を腹の中に流し込んでいたが、まだまだ宵の口。
次行ってみよ~。

ウォーキングストリートの人通りは少なかった

2008-12-24 01:43:00 | タイ王国
ホテルチェックイン後、歩いてウォーキングストリートへ向う。

路上で白人が騒いでいた。

ウォーキングストリート入り口付近、午後7時。何なんだこの普段とはうって変わった閑散とした雰囲気は。これでは土曜日の夜の佐賀駅前中央大通りの人通りとさして変わらんではないか。

ウォーキングストリート内。信じられないほどの人通りのなさ。この間の空港占拠が影響して観光客がガタ減りしているとの事。タイ国内では観光産業に従事する100万人が失業するとの予測あり。おのれPADめ、何が民主主義連合だ。利権の汁を吸いたい奴に、無知蒙昧な庶民が踊らされ、結局はこの国をだめにしてしまっているだけの事ではないか。

御約束のシーフードレストランへ。店員の笑顔にほっとさせられる。

土曜の夜というに客はまばら。

しかし彼らは懸命に働きます。自分が100万人のうちのひとりにならないように。

でもあまり深刻そうな素振りはなさそうですな。

シーフードを食い終わってレストランの外へ出ると着ぐるみが観光客にサービス、のはずが手持ち無沙汰で現地のがきんちょにからまれていた。

いつもは活気あるゴーゴーバーの呼び込みのおねいさんも、いまひとつ盛り上がらず。

午後10時を過ぎても人通りはこんなもん。あのパタヤとは思えぬ。

観光警察もヒマヒマ状態。事件がないのはいいことであるが。

ゴーゴーバーを3軒ハシゴして「次はバービアだ~」とOさんと気勢を上げていたら何者かが手を引っ張る。見ると11月にNさんと入ったゴーゴーバーの呼び込みが顔を覚えていて、「お願いだから寄ってって~」という。Oさん「よくここには来るのですか。」なんておっしゃるが、とんでもない、二度目です。しょうがないから入店。二人でビール一杯づつ飲んで120バーツ(344円)、何と安い。バンコクの半分の値段です。

そしていつもの如くウォーキングストリートを後に、ビーチロードに居並ぶ非合法な職業を生業とする女性の皆さん(中にはオカマも)とにこやかに挨拶を交わし、ビールで膨れた腹をさすりながら、日本男児二人は一路北を目指すのであった。

続く


パタヤの夕陽は赤かった

2008-12-23 01:05:36 | タイ王国
タイには今年から出張ベースで10ヶ月ほど滞在するようになったOさんと一杯やりながら話をしていたら、「パタヤって行った事ないんですけど、治安が良くないって本当ですか。」とおっしゃる。「なあに、アフガンやソマリアじゃないんすから、外国人として自覚を持った行動をしていれば大丈夫っす。僕なんか、札幌のすすきのや新宿の歌舞伎町なんかの日本国内の知らない夜の街の方がよっぽど怖いですよ。」
などと訳のわからない講釈をたれた後日、12月20日(土)、案内して差し上げる事となった。11月に、Nさんご夫妻とご一緒した時の記憶を呼び起こしつつ、いざ出陣。

エカマイバスターミナルでチケット購入。午後2時40分発。「ツルッパゲの白人てかっこいいですね。」とOさん早くも興奮気味。「いやあ、黒人もなかなかのもんがありますよ。」と軽く返す。男二人、気楽な旅である。

土曜の午後というのに客が少ない。

ここから発車。

今日もまた中古にあたった。ただし中は改装されていてきれいであった。

シラチャーを経由し、パタヤ市街の渋滞もなく、午後5時前に到着。今日は早かった。しかしパタヤターミナルも客が少ない。

待機するソンテオも乗客はゼロ。

満員になるまで出発しないので20分待たされた。

乗ったはいいが、この間とは違うルートを通る。どこを走っているのか判らん。やばい。ホテルはこの間とは別だが場所は近い所を予約してある。Oさんにばれないよう何気なく「地球の○き方」の地図とにらめっこ。

なんとかビーチロードに出た。速攻ブザーを押して下車。二人分40バーツ払って急ぎ海岸へ。これが見たかった。


ただ水平線に沈むヤツが見たかったがこの季節は無理なのかも。


パタヤの夕陽は赤かった。しつこい。


夕陽を見ながら語り合うカップル。彼氏はギターなんか持っちゃって、ちゃんと弾けるのかな。しかし若いっていいもんですねえ。

と言いつつ、ホテルへチェックイン後は、夜の街へと繰り出す我々であった。

佐賀大学の合気道部の忘年練習会

2008-12-22 00:55:51 | 佐賀
12月13日の土曜日にあったのらしいのですが、練習の写真のみで、忘年会の写真はOB会長崎支部長のたけちゃん(43歳、福岡県古賀市出身、長崎県諫早市在)がまたもや酒に呑まれて写真を撮れなかったそうです。
練習の写真は

なかなかかっちょいいじゃないっすか

集合写真もばっちり撮れてるじゃないっすか

練習が終わってOBも交えた楽しい(OBにとっては)忘年会へと向う。
しかし残念な事にここから先の写真は存在しません。どんなに酔っ払ってもきちんと義務は果たせよたけちゃん。

次回、またもやパタヤへ行って、どうやって帰ったかも判らないくらいへべれけの状態だったのにきちんと写真は撮ってきたという、「これぞ九州男児の仕事」とも言うべきネタを披露するので貴君も見習うように。

12月5日はプミポン国王誕生日

2008-12-17 00:21:18 | タイ王国
12月5日(金)はタイの祝日、国王誕生日兼父の日でありました。ちなみに王妃の誕生日は8月で、兼母の日でございます。
この日は心あるタイ国民はお寺に行ってタンブン(積善)するのが習いとかで、私めもタイ国民ではないが、日頃の悪行を悔い改めに行きつけ(?)のお寺へ。

門前で供花を購入。ジャスミンの香りも香ばしい。

堂宇の中では善男善女が僧侶から御払いを受ける。私もやってもらいました。

タンブンされたお供えの食料。後から後から増えてくる。これらは僧侶をはじめ、寺院関係者の胃袋へ納まるが、肉や魚が結構あり。禁忌が少ないのか。

寺の横を流れるメナム川をコンテナ船が行く。

景気を反映し、コンテナが少ない。

短時間のうちに3隻も通過。

寺の前には今宵、催しでもあるのであろうか、国王の巨大写真パネル付きステージが設置されていた。

しかし肝心の王様は、風邪で扁桃腺を腫らして静養とかで、公の前に姿を見せませんでした。



関西空港→バンコク自宅

2008-12-14 13:53:45 | タイ王国
11月10日(水)、10時30分発の便でタイへ戻る。
JR駅から関西空港入り口を望む。

関空案内図。国際空港だけあって警察官も配置。英語べらべらなんだろうなあ。

国際線出発ロビー。各航空会社のカウンターが並ぶ。スワンナプームと雰囲気が良く似ているが、関空の方が小振り。

出国審査を済ませ、搭乗口のある北ウィングへ。

JAL、TGの共同運航便で機体はTGのボーイング777。

6時間の飛行のあと、タイ時間午後3時、スワンナプーム空港へ到着。
会社の運転手の迎えを断ったので、自力でアパートまで帰らねばならぬ。
タクシー乗り場は空港2階の3番出口を出た所にあるが、タクシー代とは別に利用料50バーツ(約130円)必要。この時50バーツ紙幣一枚以外は、若干の小銭と1,000バーツ紙幣(2,600円)数枚しか持ち合わせがなく、自宅までタクシー約170バーツ(約442円)の所、1,000バーツではタクシーも間違いなくつり銭がないと思われ、無駄な買い物で小銭を崩すのも馬鹿らしく

しつこいタクシーの客引きを振り切り、地元民御用達ルートで帰宅する事に決す。空港ビル1階まで降り、ビルをでて一番左側まで進むとシャトルバス乗り場があり。無料です。

20分位待つとシャトルバスが到着。外国人は自分ひとりかと思ったら、韓国人バックパッカーのカップル一組と白人、インド人がそれぞれひとりづついて心強い。ただしスーツにネクタイというのは自分ひとり。


車内。バスは税関やら駐車場やら、広い空港敷地内の何箇所かを回り、客を乗せ降ろしします。空港内で働く人々の移動手段のようですが、遠慮なく乗りましょう。多少の気持ちとして、込んでいる場合は労働者の方に席を譲るべし。

空港内の交通センターへ到着。バスターミナルと、巨大なタクシー駐車場が併設されている。バンコクのバスは行き先表示は数字であるが、ここはさすがに国際空港敷地内バスターミナル、行き先が英語で併記されている。これによると、552、552Aのどちらかに乗れば無事帰宅できそうだが確信が持てない。違うバスに乗ると、とんでもない方向へ連れて行かれることになる。(実際何度も経験あり)

路線案内図があったので確認。おおこれでアパートまで帰れると思いきや、タイ語表記のみ。タイ語が読めないヤツは、ここを利用するなと言う事か。同じシャトルバスに乗ってきた韓国人カップルと白人、インド人はどうなったのか、やけに気になる。

しょうがないから停車中の552Aバスに香港映画に出てくる下町のおやじみたいな運転手が既にスタンバっていたので英語で話しかけるが、当然通じず。ニセタイ語で再度トライ。すると「お前の行きたいところはこのバスでOK。他に552、558でも行けるぞ」早速乗り込もうとすると、何やらタイ語でまくし立て、隣のバスを指差す。見ると隣は552バス。どうやら552のほうが先発するからそれに乗れといっているのであろう。確かに552Aには乗客が誰もいない。

香港おやじに礼を言って552に乗り込む。客はタイ人が5人と新手の白人がひとり。乗り込んで5分後に出発。切符は車内で車掌から行き先を言って購入。29バーツ(約75円)。車窓から見ると切符売り場があってそこでも切符は買えるようで、そこで聞いた方が早かったかもと思いつつ、家路に着く。

思えば駐在員の方は、ご自身の空港への送迎はもとより、ご家族の送迎にも社有車を使われます。今回の出張は行きはタクシー、帰りはバスと、他の駐在の方が聞くと笑われるような事をやってしまいましたが、まあ何事も経験、別に危険なこともなし、多少時間がかかるが経費節減にもなる。

私信
おーいたけちゃん、1月の来タイは迎えに行ってやるからこれでバンコク都内まで出ようぜ。休みも多く取れるようだから、10日間くらいの日程でツアーで来ずに、アパートに泊まれよ。ただし要寝袋持参。(現地調達可)



堺へ行った

2008-12-13 00:49:16 | 大阪
12月9日(火)、大阪府堺市にて打ち合わせ。
駅前。駐在前に大阪府に10年も住んでいて来た事がなかった。80万都市とは思えぬコンパクトさ。かつての赴任地、新潟県の長岡駅前を思い出す。

しかし市役所は立派。

南海電鉄

JR西日本
を乗り継いで留守宅へ帰宅

日本出張 

2008-12-11 01:16:42 | タイ王国
12月6日(土)反政府組織PADのバンコク国際空港占拠の影響で直前まで流動的であった日本出張が確定、切符も取れたので出発。それにしても空港を占拠していた反政府組織は、女子供、老人も相当数いて、まるで町内会でキャンプに来た様な、ほとんどお祭り騒ぎに近かったですな。散々迷惑かけやがって、やるならもっとまじめにやれ~!
出国審査を簡単に通過。

免税店のお姉さんの看板に見送られ、

23時55分発、関西空港行きへ搭乗


何なのだこの搭乗客の少なさは。

機内はガラガラ

スチュワーデスも手持ち無沙汰。

結局飛行機は12月7日(日)7時5分の予定到着時刻より30分早く到着。暑いタイから冬の早朝の日本への移動はこたえる。おまけに朝早いので目的地へのバスは2時間後。時刻表を見もせず切符を購入し入場したJR関西空港駅ホームで凍えて30分近く電車を待つはめに。この日は家内の実家へ挨拶などして大阪の自宅泊。


翌8日(月)、新幹線で名古屋へ、
名古屋から中央線特急「しなの」で松本へ。

「寝覚めの床」浦島太郎が晩年を過ごしたという伝説があるらしい。長野県歌「信濃の国」にも歌われている名勝。

木曽福島着。木曽路はすべて山の中である。by島崎藤村

北アルプスに連なる山々を望む。

一仕事終え、名古屋へ戻り新幹線で帰阪。

久々の帰国で深く感じた事、日本の夜は明るい。

ガラニヤ・ワッタナ王女 葬儀施設の公開

2008-12-02 02:02:06 | タイ王国
葬儀施設の一般公開に11月22日(土)、行って参りました。

今回も舟を利用。進行方向左岸にワットアルンを望みつつ

ターチャン舟着場で降りてサナームルアン(王宮前広場)へ向って歩く。クルマは渋滞。この国ではピックアップトラックで仏像を輸送するのは良くある事。

夕陽を浴びるワットプラケオ。

目的地に到着。

結構な人だかり。

ライトアップも万全。

内部は入場可能であったが長蛇の列、この後人と会う約束があったので入場はあきらめ。

王女グッズの販売コーナーも大繁盛。


王女の遺徳を偲ぶパネルその1

その2

その3。みな笑顔で王女の若かりし頃の写真をバックに記念撮影。結構美人であります。

駆け足で回って現場を後にする。後から続々と入場者が押し寄せる。

王女のブロマイドを売る屋台。盛況。タイの王室は国民の尊敬を集めている。日本を含め、王政のあり方を考えさせられた光景であった。

ワットプラケオを左岸に見ながらメナムを南下。


おまけ
帰りの舟の車掌ならぬ舟掌。哲学的な面持ちであったのでひと言断ってパシャリ。少々緊張気味。

その後、人と会って一杯やった、レストランの「タイガール」。このセクシーさに釣られ、二人で大瓶12本空けてしまった。
日本ではバドワイザーの「バドガール」が有名であるが、このおねいさんはタイガービールを売っていたので「タイガール」。そのままじゃねえか。



ガラニヤ・ワッタナ王女の献花に行った

2008-12-01 01:36:15 | タイ王国
11月15日(土)今年1月2日に逝去されましたワッタナ王女の火葬の儀に行って来ました。随分古いネタですが何卒ご容赦の程。
船で王宮へ向う。

中には悪いやつもいるが、ほとんどの場合、タイの人々は、子供、お年寄りに親切。

この日はメナム川にやたら水上警察がいた。

ターチャンの舟着き場で下船。

王宮へは入場不可

いつもは陸軍が警備しているが、今日は衛兵が立番

献花台。警官だらけ

献花台への長蛇の列。がんばって並ぶ。

給水サービスや

気付薬のサービスもあり。

無事献花を済ます。献花台が花(造花、事前に列の参拝者に配る)で一杯になると女の軍人が出てきて敬礼の後、引っ込めてまた配る。

王族専用車。誰が乗っているのか不明。

やはり火葬の儀の現場へは入れず。

動員されたボーイスカウト。

行進して行った。

海軍も動員されている。

日が沈んでも人々は去らず。王女がいかに国民に慕われていたかがよく判る。午後10時に国王(王女の実弟に当たる)自ら王女の棺に着火し、荼毘に付す。夜を徹して火葬されたそうで、この間多くの人々が周囲で夜を明かしたとか。

疲れたので舟で帰宅。ライトアップされたワットポー。


今回火葬の儀の施設は11月一杯、一般公開されるとかで、また後刻ご報告します。