呑む気オヤジ/病窓より望む蔵王連峰便り

訳アリで山暮らしから都会に戻ったオヤジの日記。合唱も映画もドライブも温泉も、たまには俳句も・・・😄

ブテチゲ&ケジャンの一夜

2005-10-10 | 食べ物・お酒の話
☆10月某日 「李さんの台所」(横浜市中区福富町)
 このお店はもう何度も来ている。普通の韓国焼肉屋さんだが、ここでは焼肉はほとんど食べない。目的は「ケジャン」と「ブテチゲ」。辛いけれど、美味い!癖になる!
 「ケジャン」は渡り蟹のキムチ。生の渡り蟹のぶつ切りを、どろどろのコチュジャンのたれに漬け込んだもの。がぶりと食いつき、チューチューと身を吸い出す。コチュジャンのたれは辛いけれども甘みがあり、なんとも美味い。蟹の淡白な身に濃厚な辛味が合わさり、堪らなく美味い。酒も進むけれど、白いご飯が欲しい。
 そして「ブテチゲ」。「部隊鍋」と書くが、朝鮮戦争のときに軍隊で配給されたランチョンミートの缶詰やソーセージ、余りものの野菜、インスタントラーメンをぶち込んで食べたのが始まりらしい。今はテールスープをベースに豚肉なども入るが、ソーセージ類は昔のままで、最後のラーメンが「インスタントラーメン」というのも変わらない。高級食材などは使わず、いろいろなものを何でもぶち込んで食べるのが、気取らず気楽で庶民の味なのだそうだ。
 でも味は抜群ですよ。勿論真っ赤なスープで相当に辛い。でもケジャンと同様、辛さの中に甘みがある。これから冬に向けては体も温まり、月に一度は食べたい鍋だ。

 2次会は、「Windjammer」へ。これまた名物オリジナルカクテル「Jack tar」が忘れられず・・・。今日は混んでいて、バンドの目の前のカウンター席だった。Jazz好きの僕らには願ってもない席。ギターさん、良かったですよ。ベースも渋かった。私からはよく見えなかったが、ドラムさんがまた渋く額にしわを寄せてたたいていたらしい。
 そろそろ終電というのに、Sが「みんなでタクシー割り勘にすればたいしたことないじゃん!」の一言で、エンドレスタイムになだれ込んだ・・・。Sよ、君は横浜駅前で確かに近い。でも私の川崎までは結構遠かったぞ!「Windjammer」閉店の2時まで粘って、結局私は「Jack tar」3杯+クエルボロック1杯+チェイサー代わりのコロナビール1本・・・。呑みすぎだぁ~、いくら私が「呑んだくれ」が好きだといってもなぁ、ヘロヘロだぁ~。
 まあ、でもその時間まで一緒に呑んで語り合える友人がいるということは、幸せなこと。いつまでも呑めるように友人と体を大事にしなくてはね。タクシーの最後のほうは呂律も回らず、半分寝ていて会話にならなかったような気がする。Oよ、ごめん、ちゃんと帰れたか?
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呑む気父さんの読書感想文・その2 「蒼龍」

2005-10-10 | 本の話
☆10月某日「蒼龍」(山本一力著・文春文庫)
 この本は表題作を含む五編が収められた短編集である。山本一力は文章が上手い。「小説家なのだから当たり前でしょう」と、ご同輩は仰るかもしれない。でも抜きん出て上手いと思う。

『幾らも歩かない間に、柚木乃の姿が星明かりだけの闇に溶けてゆく。後ろ髪に結わえた菜の花が見えなくなって、闇が閉じられた。』

「菜の花のかんざし」のラストシーン。身内に不祥事が発生し、剣術指南役の主人公が藩の仕置きから妻と幼い子供たちを逃がすために、夜の明ける前に3人を見送る・・・。永遠の別れに際した主人公の心のうちがよく表現された最後だと思う。そして非常にビジュアルな表現が多いのも、同氏の小説の特徴ではないだろうか。

『(大横川に小石を投げ入れた)波紋の内は薄墨色だが、外が藍色に輝いている。夕陽と黄昏とが、川面で擦れ違おうとしていた。』(のぼりうなぎ)

 秋の夕暮れの光景である。夕陽が照らす水面のディテールが見事に表現されている。でもこれらの場面を映像にしたとき、どこまで表現できるのだろう。『ことば』の凄さ、素晴らしさを改めて知らされる文章だと思う。
 どの話も、武士と庶民の違いこそあれ、まじめに一生懸命生きている人々が描かれている。この「ひたむきさ」が、読む我々の腹にずっしりと落ちてくるのだと思う。表題作の「蒼龍」は氏の新人賞獲得までの下積みをダブらせた作品らしい。人間、苦労はしなくちゃねぇ。常に順風満帆では、人の気持ちを思いやれない。呑む気父さんもまだまだ苦労が足りないかなぁ・・・。

 最近は藤沢周平や平岩弓枝、藤堂志津子などの江戸物短編集がブームのようだ。昔からおじさん方には人気がある分野であるが、呑む気父さんもだんだんその分野にのめり込む年齢になってきて、各氏の本は結構読んでいる。それにあの「池波正太郎」にも手を出してしまったし。(池波談義はあらためて・・・)
 江戸庶民物しても地方の下級藩士ものにしても、なぜ江戸時代の(それも中期ごろの)物語に惹かれるのだろう。庶民の、貧しくても義理人情に溢れた日常や、下級武士の理不尽な掟に翻弄される人生を、自分の現代の姿と比較して、憧れや身につまされる思いを抱くからかもしれない。
 「蒼龍」に収納された各小説には、富岡八幡宮が出てくる(除く「菜の花かんざし」)。本所深川の代表的な神社で、多くの作家の小説に登場する。私も一度行った事はあるが、鬱蒼とした森に囲まれた境内を歩いていると、その狛犬の後ろから、あの鳥居の影から、いろいろな小説の主人公が顔を出しそうな雰囲気が残っている。改めてじっくり深川近辺を探索したいものだ。勿論帰りには蕎麦屋で一杯、だな!

 さて次回の読書感想文は「その日の前に」(重松清)。これまた身につまされる本だなあ~。

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