呑む気オヤジ/病窓より望む蔵王連峰便り

訳アリで山暮らしから都会に戻ったオヤジの日記。合唱も映画もドライブも温泉も、たまには俳句も・・・😄

呑む気父さんの読書感想文・その3「その日のまえに」

2005-10-13 | 本の話
☆10月13日(木)「その日のまえに」(重松清著 文藝春秋社)
「その日のまえに」を今朝読了しました。
辛い、きつい、残酷な話です。
うちの「その日」はいつ来るのでしょう。
20年後?30年後?もっとず~っと先?
いや、数年後にはやって来るのかもしれません。
そんな不安を意識的に、ひょっとしたら無意識に遠ざけていたかもしれません。
そう、忘れた振りをしているのでしょう。
でもそれも違います。
みんなが分かっているけれど日常に忙殺されて時々忘れるのです。
「忘れる」から人間は生きていけるのでしょうね…。

『その日を見つめて最後の日々を過ごすひとは、じつは幸せなのかもしれない(中略)自分の生きてきた意味や、死んでいく意味について、ちゃんと考えることができますよね。あとにのこされるひともほうも、そうじゃないですか?』(「その日のあとで」より)

 もし「その日」がはっきりすれば、ひとは数え切れないほどの楽しい想い出や、苦しみや、後悔にのたうち回りながら「その日」を迎えるのではないでしょうか。それは本人だけでなく、残されたものも同じでしょう。
 「その日のあと」に、残された者は本当に立ち直れるのでしょうか。でも人間って、そんな悲しみも忘れることができるのでしょう。だから生きてゆけるのです。

『忘れてもいいよ』
逝くものの本音でしょう。最後に行き着く気持ちはそういうことでしょう。でも言われたほうは堪りません。辛すぎます。でも徐々に忘れる時間が長くなるほうが「逝くもの」にとっても気楽なのかもしれません。


 私の読書は基本的に通勤の電車の中だ。この本を読みながら、こみ上げてくるものに耐えられず、何度電車の天井や窓外の空を仰ぎ見たことだろう。辛くて数行しか読めないこともあった。でも電車の中でよかった。天井を見上げれば、水着ギャルが微笑み、秋晴れの空は眩しく青い。目は充血し、うっすらと目尻に涙を溜めている中年の親父を、人々は見咎めることもなかったろう。
 頑張ろう。なにを?なんでもいいから頑張って一生懸命生きよう!そんな気持ちになる一冊であった。ご同輩諸君に、心からお勧めする。でも、私はもうしばらくは、重松さんの本はいいか、な・・・。
コメント
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