呑む気オヤジ/病窓より望む蔵王連峰便り

訳アリで山暮らしから都会に戻ったオヤジの日記。合唱も映画もドライブも温泉も、たまには俳句も・・・😄

「鉄チャン」

2005-10-27 | 徒然なるままに
☆10月某日 JR品川駅
 いつものように品川駅で東海道線に乗り換えたときにふと気がついたのだが、電車の発車のチャイムが「汽笛一声」だった。まさに「ポ~」っと汽笛まで入っている。今まで全然気がつかなかった。新橋なら分かるけれどなぜ品川駅でなんだろう。
 みなさん「鉄チャン」ということばをご存知だろうか。そう、いわゆる「鉄道マニア」(鉄道オタクとも言う)のことだ。私はマニアというほどではないが、結構鉄道が好きだ。飛行機も旅愁を感じさせ、夜の空港などは妙にロマンチックでもの悲しい雰囲気があるが、鉄道も飛行機には負けていないと思う。自分が学生時代に地方から上京したせいもあって、上野駅や当時のL特急は一人暮らしの自分と実家をつなぐ拠り所のような気がしたものだ。その当時の電車の想い出は尽きない。
 時間とお金に余裕があれば「鉄チャン」をやりたいなぁ。鉄道模型やローカル線の旅に凝ってみたい。「青春18キップ」を利用した全国ローカル線一筆書きの旅、みたいな番組をNHKでやっていたが、呑む気父さんもやってみたいなぁ。本を2~3冊持って列車に乗り込み、行き当たりばったりの旅もいいだろう。窓から景色をぼ~と眺め、お腹が空けば駅弁に缶ビール、夜になって外が見えなくなったら本を読んで、泊まりは地方の小さな旅館、地元の旨い物で地酒を一杯・・・なんて、贅沢な旅だね。う~ん、ちょっと「鉄ちゃん」から離れているかな?

 もう14~15年ぐらい前になるが、その当時の勤務先が新宿の大ガードそばのビルで事務所が10階にあった。事務所の窓からは新宿駅が見下ろせて、それこそ鉄道模型の如く小さな山手線やら中央線やら、クリーム色の特急あずさ号などが行き交うところがよく見えた。乗り物好きの長男にその光景を見せたくて、休日に会社に連れていったことがある。まだ3歳ぐらいだった息子は目をまん丸にして窓にへばりつき「あっ、ヤマノテシェン、チューオーシェン、トッキューデンチャー!」と電車が来る度に指差し、まだよく回らない口で電車の名前を叫んだものだ。
 その頃の記憶は今の息子にあるのだろうか。あの長男はもう大学受験生で、父親とはほとんど口もきかない。『うざくて』仕方がないらしい。勉強も本気でやっているんだか、本当に大学に行きたいんだか、顔を合わせる度についイライラする。あの当時まだベビーカーに揺られて電車もよく分からなかった次男は、高校に入ってから勉強もせずに部活と彼女に夢中だ。髪を染め、ズボンをずり下げヤンキーぶっている。
 そのころ仕事に疲れて遅い時間に家に帰り、狭い玄関の電気を点けると、息子ふたりの小さな靴がきちんと揃えて並べてあり、それを見ただけで家に帰ってきた安堵感を覚え疲れも吹き飛ぶような気がしたものだ。そのことを想いだすと今でも目頭が熱くなる。「あのころ厳しくし過ぎたろうか。あの日、強く叱り過ぎたのだうか。あのとき、もっと優しく相手をしてやればよかった・・・」。父親を煙たがる息子たちを見ていると、もう10年以上も前のひとつひとつの場面が後悔とともに蘇る。もっと大らかに育てればよかった。世の親はみな同じような心持ちになり、一度ならず後悔するのかもしれない。しかし「時」は決して戻すことはできない。息子たちにもそのことを理解し、悔いのない人生を過ごしてほしい。やり直しは効かないのだから。 
 私が子供の頃に初めて行って大好きになり、大人になってからも、また親となってからも何度も通った神田の「交通博物館」が来春で閉鎖されるらしい。それこそ電車を始めいろいろな乗り物の宝庫だが、息子がそれなりの年齢になってからはしばらく行っていない。閉鎖は残念でたまらない。久しぶりにもう一度行きたいと思っているが、あんなに乗り物ずきであった息子も、妻も一緒には行ってくれそうもない。返す返す残念である。
   
コメント (1)
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