先住民族関連ニュース

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世界で最も氷河に近い街、ジュノー(アラスカ)

2010-11-11 | 先住民族関連
(読売新聞2010年11月10日 )

 氷河が放つ独特の青色をグレーシャーブルーと呼ぶ。狭く複雑な入江が続くアラスカ州南東部。氷河とフィヨルドが織り成す美しい景観は、クルーズ客船の人気のコースでもある。客船の寄港地でもある州都ジュノーでは、容易に氷河にアクセスできる。太古の自然からの贈り物「グレーシャーブルー」を巡る旅をした。
 古くからクリンギット・インディアンの先住地である南東アラスカ。19世紀初頭、毛皮交易で繁栄したことからロシアが入植した。1867年に財政難でアメリカに720万ドルで売却。その後、金鉱が発見されゴールドラッシュに沸いた。アメリカでも、ロシアと先住民族の文化が交差する独特の文化圏である。
 ジュノーは本土からの陸路はなく、アクセスは飛行機かフェリーになる。常緑の美しい山並みを背にする小さな街に、ロシア正教会、カラフルな住宅、ゴールドラッシュ時代を偲ばせる古い飲食店が美しく調和する。ここでは氷河のほかにも、キングサーモンや50キロ級のオヒョウのフィッシング、ホエール・ウオッチングなどのアクティビティー、アラスカン・キングクラブをはじめとするシーフードが楽しめる。
大自然に囲まれた街ゆえに、野生動物が餌を求めて山から下りて来ることもある。そのため、市内には鍵付きの鉄製ゴミ箱が設置されている。私が街を歩いている最中もブラックベアに遭遇した。しかし、地元の人は特にあわてる様子もない。
 「こちらから攻撃をしない限り、襲ってくることはないのよ。私の家にもブラックベアの親子や鹿が庭のベリーを食べにくるわ。そんな時は動物が去るまで家の中で大人しくしているの」と日系2世のマギーさんはいう。アラスカに暮らす上で、人も動物も自然の一部。自然と共生する価値観は必須と言えそうだ。
 ジュノー市街から車で北へ20分、住宅街のすぐそばのメンデンホール氷河は、世界で最も市街地に近い氷河といわれている。周辺にはいくつものハイキングコースがあり、歩いて氷河へ行ける。(文・写真/鈴木博美)
 (続きは旅行読売12月号でどうぞ)
http://otona.yomiuri.co.jp/trip/tamatebako/101110.htm?from=hochi

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豪政府、アボリジニの地位向上に向け 憲法改正論議へ

2010-11-11 | 先住民族関連
(CNN 2010.11.09 Tue posted at: 11:48 JST)

(CNN) オーストラリア政府は8日、同国の先住民であるアボリジニやトレス海峡の島しょ民の特別な地位を憲法で認めるための手続きを進める方針を明らかにした。
ギラード首相は声明で、「オーストラリア憲法は我々の政府制度の基盤となる文書だが、最初のオーストラリア人たちの特別な地位を認めるものになっていない」と述べた。
先住民指導者や憲法学者、議員などからなる委員会を設置し、憲法改正を問う国民投票の実施に向け、2011年中に国民的議論を進める方針。また先住民と他の国民との格差を埋めるため、初等教育や保健、雇用、住宅などの分野で改革や投資を進めるともいう。
オーストラリア議会は2008年、アボリジニなどの先住民が長年にわたり不当な扱いを受けてきた歴史を認め、公式に謝罪する決議を採択。当時のラッド首相が謝罪した。
同国政府は1970年までの60年間、混血のアボリジニの子供たちを児童保護と称し、家族から隔離して養育する政策をとっていた。こうした子供たちは「盗まれた世代」と呼ばれ、家族や伝統から引き裂かれたうえ、適切な教育を受けられず、虐待されるなど悲惨な生活を強いられた。
こうした政策は、約10年前に政府調査で明らかになるまでほとんど知られてこなかった。この問題は国民の抗議運動を引き起こし、多くの白人系国民もこれを支持、政府の謝罪を要求した。
ラッド前首相は、謝罪は新たなアボリジニ対策の始まりだと述べ、別れた家族との再会支援のほか、白人社会との給与格差や17年の平均寿命差をなくすための政策に取り組むとした。
http://www.cnn.co.jp/world/30000831.html

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分子人類学:遺伝子レベルで迫る「新・人類学」 日本人のルーツ推定可能に

2010-11-11 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2010年11月9日 東京朝刊

 日本人はどこから来たのか。この疑問に、遺伝子から迫る「分子人類学」が注目されている。細胞の小器官・ミトコンドリアのDNAを詳しく調べることにより、その人のルーツが推定できるのだ。この手法は、日本人の起源を知る研究に加えて、遺伝的特徴と寿命や体質との関係についても、さまざまな材料を提供してくれるという。【斎藤広子】
 ヒトの遺伝情報は、父親と母親から受け継がれ、細胞の核の中にあるDNAに格納されている。これとは別に、ミトコンドリアにもDNA(mtDNA)があり、母親からだけ受け継いだ情報が詰まっている。
 mtDNAには、一部の配列で塩基が置き換わるなどの個人差がある。同じ個人差を持った集団は特定の地域に分布するなどの特徴があり、その数は世界で100以上、日本では約20にのぼる。こうしたグループを「ハプログループ」と呼ぶ。国立科学博物館の篠田謙一・人類史研究グループ長(分子人類学)は「主要分布地域から、特定のハプログループがどこで誕生し、どのように広がったか、また配列の特徴から、いつごろ誕生したのかを探ることもできる」という。出土品や人骨の特徴から探ってきた考古学的な人類学とは異なり、遺伝子レベルで迫る新しい人類学だ。
 ■突然変異で分類
 人類は20万年前にアフリカで誕生し、世界に広がったとされる。この間、mtDNAも突然変異を重ねてきた。ある女性のmtDNAに突然変異が起きると、その子どもは父親にかかわらず突然変異を受け継ぐ。その子孫の女性のmtDNAに突然変異が起き、受け継がれることによって、新しいハプログループが生まれる。裏返せば、同じハプログループに属している人は、究極的には同じ母親にたどり着くというわけだ。
 篠田さんらの調査では、沖縄県民の4人に1人が「M7a」というハプログループに属す。それ以外の日本人(M7aは全体の約7%)に比べ目立って多い。さらに調べると、M7aのルーツは「約2万5000年前、琉球列島を中心とした地域」と推定できる。
 ■縄文人も多様だった
 発掘された縄文人や弥生人の人骨からmtDNAを取り出して配列を読み、起源を探る研究も進む。
 篠田さんと山梨大の安達登教授(分子人類学)らは、北海道各地で出土した縄文人骨54体のmtDNAを分析した。その結果、4グループに分類できた。65%と最も多かった「N9b」は、ロシア・アムール川下流域の先住民に多いグループ。他のグループも、カムチャツカ半島の先住民や北東アジアに多いことが分かった。
 篠田さんは「北海道は1万~7万年前の氷河期には、ユーラシア大陸と陸続きだった。北海道に住んでいた縄文人は、大陸北東部と行き来していた」と分析する。「一口に縄文人というが、mtDNAから見れば、私たちの祖先はさまざまな背景を持った人たちの集まり」と篠田さん。この春、異分野の研究者らがまとめた日本人の起源と変遷に関する研究でも、この成果が縄文人の遺伝的多様性を裏付ける根拠として貢献した。
 ■病気との関連も
 ハプログループが共通の遺伝的特徴を持っていることを利用して、病気や体質との関連を見ようとする研究も始まっている。
 東京都健康長寿医療センター(東京都板橋区)の福典之研究員(スポーツ生化学)は、全国の日本人672人(18~105歳)の了解を得て、mtDNAの全塩基配列を解読し、ハプログループと健康状態の関係を調べた。その結果、糖尿病患者が特定のハプログループに集中したり、逆に少ないグループがあるなど、体質の違いが確認できたという。
 また、105歳以上の高齢者に着目して調べたところ、多くが「D4a」というグループに属していた。D4aだけでなく、Dグループは長寿の傾向があるという。Dグループの比率は縄文時代より拡大しており、福さんは「Dグループのミトコンドリアの機能が、生存に適していたということだろう」と話す。
 東アジアの南方に多いFやEグループは北方に見られず、北方にはA、G、Yなどのグループが多い。寒い北方では、ミトコンドリアの熱生産効率が高いグループが結果的に生き残ったと推定できる。
 福さんは「遺伝と健康との関係は、核のDNAが受け継ぐ遺伝情報も考慮しなければならないが、長寿や体質とハプログループとの関係が分かれば、生活習慣に気を付けるなど病気の予防につなげられるかもしれない」と話す。
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 ■ことば
 ◇ミトコンドリアDNA
 ミトコンドリアは「細胞内の発電所」と呼ばれ、酸素を取り込んで生命活動を支えるエネルギーや熱を作っている。そのミトコンドリアが独自に持つDNAは約1万6000塩基対からなり、ミトコンドリアが作るたんぱく質などに関する情報が含まれている。母から子にだけ伝わるという特性から、母系をたどる研究などに使われる。
http://mainichi.jp/select/science/news/20101109ddm016040008000c.html

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ウィルタ資料館 32年の歴史に幕

2010-11-11 | アイヌ民族関連
(朝日新聞 2010年11月10日)

■老朽化「維持が困難」
 北方少数民族「ウィルタ」の文化を伝えてきた資料館「ジャッカ・ドフニ」(網走市)を運営するウィルタ協会は9日、資料館を閉館したと発表した。協会の田中了代表は「建物の老朽化で、維持費の確保が困難となった」と、32年の歴史に幕を閉じた苦渋の決断を語った。
   ◇
 資料館は、サハリン生まれのウィルタ民族、故ダーヒンニェニ・ゲンダーヌさん(日本名・北川源太郎、1984年死去)が中心となり、全国から700万円の募金を得て78年8月に開館した。網走市も用地を無償提供した。
 名称の「ジャッカ・ドフニ」はウィルタ語で「大切なものを収める家」との意。トドマツの丸太を平割りにした木造で、ウィルタや樺太アイヌの生活用具、衣類、木彫、楽器、刺しゅうなど約600点が収蔵されている。
 毎年、5月の大型連休から10月末まで週3日開館し、冬期は休館。老朽化した建物は雪の重みで屋根がつぶれる可能性も出てきたという。入館者も減少して維持が困難となり、先月30日の総会で来年は開館しないと決めた。
 北方少数民族の品々が多数収蔵されている施設は国内にほかになく、「貴重な資料を散逸させたくない」との思いで協会関係者は一致。資料は田中代表の知人が所有する美幌町内のアトリエに年内をめどに移動、保管するという。
 ゲンダーヌ氏の故郷はサハリン州のポロナイスク。日本領時代の42年、日本陸軍から「召集令状」を受け取り、国境偵察任務に就いた。戦後、シベリアの収容所に送られ、55年に舞鶴に引き揚げた。稚内をへて、その後、網走に移り住んだ。日本の戸籍を取得し、軍人恩給の支給を求めたが、「正式召集ではなかった」と却下。国への謝罪と補償を求める運動を続け、資料館はそのシンボルだった。
 ゲンダーヌ氏の死去後は、妹の北川アイ子さんが資料館を守っていたが、2007年にアイ子さんも死去した後は館長不在だった。
 作家の司馬遼太郎も「街道をゆく(オホーツク街道)」の取材で91年秋に訪れた。「私どもの意識の底に、山河に神々を感じる感情が、埋れ火のようにしてのこっている。要するにウイルタもアイヌも私どもも、おなじ仲間なのである」と書いている。
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000001011100006



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小林たかしの談話室「北方領土」はだれのもの?

2010-11-11 | アイヌ民族関連
【レイバーネット 2010.11.07・通算5回目】 

―ロシア大統領の「国後島」訪問をめぐる叔父と姪の会話―
●さ お り◎オッチャン、ロシア大統領の「国後島」訪問で「尖閣諸島」事件と似たような民族主義ヒステリーが日本中で巻きおこっていて、怖いなあ。日本だけでなしに、世界中をナショナリズムという妖怪が歩きまわってるような気がするんや。
★オッチャン◇中国もロシアも今回の領土問題では、大国ナショナリズムを前面にだした感じだったな。それにたいする日本のジャーナリズムの反応もひどかった。「なめられたらアカン」くらいならまだしも、「目には目を歯には歯を」的な報復主義を訴えるジャーナリストたちが登場してきたし、軍事的な紛争になってもそれは相手が悪いからだ、といった強硬派も出てきているし、彼らが多数派になったら、ほんとに怖いことになるな。
●さ お り◎アメリカはティーパーティなどの超保守団体の力が大きくなって、オバマさんも苦労しているようだし、EUの中核的な国では移民労働者への排外主義をあおっている右翼政党が躍進してるし、やな感じやなあ。世界的な大不況で、政治経済がどこの国でもうまくいっていないことに原因があるよな気がするな。
★オッチャン◇世界政治のなかで、領土問題の解決ほど困難なものはないだろな。でもその困難を克服したのが、皮肉なことに中ロ国境問題だった。2004年の最終決着は、「フィフティ・フィフティ」の原則という方式で、紛争中の領土を半々に分け合ったんや。1960年代には武力衝突もあったけど、この方式で両国はナショナリズムを抑えて、平和を獲得した。日本政府の「四島返還」では永遠に解決しないと思うな。
●さ お り◎2008年に「僕たちのアイヌ宣言」というNHKのテレビをみて考えたことを思い出した。もともと北海道も千島列島もアイヌ民族の土地だったのに、日本とロシアがかってに占領したからいまのような状態になったのだ、と考えたんや。この番組のなかで、「アイヌレブルス」という20代30代の16人の男女のグループが、ラップを歌っていたけど、こんな歌詞やった。「滅びゆく民族アイヌ ざけんな 俺らは今もここにいるぜ 今こそ立ち上がれウタリ……すべてを解き放てアイヌ……」。日本もロシアもアイヌの人たちといっしょに領土問題を考えるべきや。
★オッチャン◇1991年に「千島・樺太アイヌ協議会」が、当時の海部首相とゴルバチョフ大統領に次のような書簡を送っているのや。「1855年に日露通好条約が締結されて以来、アイヌは筆舌で表せない苦難の道を歩まされてきた。アイヌ民族の視点に立てば、日本とロシアは共に侵略者だ」。それから、当時の同協会の豊岡理事長はこんな訴えをしていた。「北方四島を含む千島列島のうち何島かをアイヌ民族の手に取り戻し、アイヌだけの独立国を建設する。……国際社会に向けて、自然と人間の共生の道を発信したい」とね。
●さ お り◎さっきの番組の「アイヌレブルス」というのは、民族音楽や舞踊を現代風にアレンジして公園などで演奏したり踊っている東京周辺のグループだけど、その若者たちが大阪で在日コリアンたちと共演するということも紹介されていた。マイノリティどうしの共闘かな。
★オッチャン◇それを聞いて、1946年に「民主臨時政府促進人民大会」というのを当時の「在日朝鮮人連盟北海道本部」が札幌で開催したときに、アイヌ民族の解放を主張していた『アイヌ新聞』の主幹・高橋真が参加して激励演説をしたという歴史を思い出したわ。ところでさおりくん、北海道の語源を知ってるかい?
●さ お り◎いや、教えて。
★オッチャン◇明治政府が1869年(明治2年)に蝦夷地を北海道と改称したとき、最初は「北加伊道」だった。語源は、アイヌ民族が互いに自分たちを呼ぶのに「カイノー」という言葉を使っていたからなんだ。千島列島の地名のほとんどがアイヌ語だ。メドベージェフさんが行った国後島はアイヌ語で「黒い島」っていう意味なんだって。
http://www.labornetjp.org/news/Column/20101109takasi


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