先住民族関連ニュース

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知里真志保の著書読みやすく 現代語版「アイヌ文学」発刊 登別・語る会

2012-11-15 | アイヌ民族関連
(北海道新聞 11/14 14:49、11/14 15:48 更新)
 【登別】登別出身のアイヌ語学者、知里真志保(1909~61年)の著書「アイヌ文学」を、旧漢字を改めるなど読みやすくした現代語版の「知里真志保の『アイヌ文学』」が、札幌の出版社から刊行された。編集した登別の市民団体「知里真志保を語る会」の小坂博宣事務局長(57)は「広くアイヌ文化を知ってもらうきっかけになれば」と話している。
 「アイヌ文学」は1955年に発行。アイヌ民族に伝わる口承文芸の起源などを分かりやすく解説し、自然観や生活風土などアイヌ文化を知る上で貴重な資料で、発行から半世紀以上たち入手は困難とされてきた。
 新書判で304ページ、1260円。問い合わせは「クルーズ」(札幌)(電)011・242・8088へ。<北海道新聞11月14日夕刊掲載>
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/419438.html

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消滅寸前の先住民言語を救え、豪州でスマホ向けアプリ登場

2012-11-15 | 先住民族関連
CNN Japan 2012.11.13 Tue posted at 15:33 JST
(CNN) 消滅の危機にある先住民の言葉を救おうと、オーストラリアでスマートフォン向けのアプリが開発されている。先住民の人たちが自分で情報を更新できるのが特徴だ。
無料アプリ「Ma! Iwaidja」は、同国北部ノーザンテリトリーのクローカー島に住む先住民アボリジニーの言語、イワイジャ語を収録した初の辞書アプリ。1500の単語と450の熟語を英語で説明し、ユーザーが内容を修正できる。イワイジャ語は話せる人が200人を切り、絶滅寸前の状態にあるという。
クローカー島の学校には同アプリをインストールした8台のiPadを配布し、住民が集まる店ではスマートフォンを販売。次の段階として、ユーザーがウェブサイトを通じて入力した情報を共有できるデータベースの構築や、音声で情報を録音できる新しいイワイジャ語の辞書アプリの開発を予定している。
同プロジェクトに携わる言語学者のブルース・バーチ氏によると、アプリの使い方は非常に簡単で、気が向いたときに携帯電話から情報を投稿や修正できるという。
アボリジニーの言語はこれまで、その言葉を母語とする人に話してもらった内容を言語学者が録音する方法が一般的だった。しかし使いやすいアプリを提供すれば、専用の録音機材も不要になり、コンピューターに精通していない人でも自分たちの言語を絶滅の危機から救う手助けができるとバーチ氏は話す。
消滅の恐れがあるアボリジニーの言語は100あまりもあるとされ、バーチ氏はイワイジャ語のほかにもこうした言語を収録したアプリの開発を進めている。来年初めをめどに、新たに2言語のアプリが登場予定だという。
http://www.cnn.co.jp/tech/35024379.html

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響き合う北と南の音色 OKIと大城美佐子

2012-11-15 | アイヌ民族関連
琉球新報 2012年11月13日
 アイヌの伝統弦楽器トンコリの奏者OKIと唄者の大城美佐子によるコンサート「北と南」が4日、那覇市の桜坂劇場であった。3月に発売したアルバム「北と南」に収録した楽曲を演奏し、トンコリと三線に2人の歌声を絡めた。日本の北端と南端の風土が時に並び立ち、融和する舞台を繰り広げた。異質な楽器が調和し、どこか共通のルーツを感じさせる響きに来場者を引き込んだ。
 「本アッチャメー小」のゆったりとしたリズムで共演はスタート。「固み節」や「よー加那よー」でアイヌの民族衣装を身にまとったOKIが、雪に包まれた静かで穏やかな空間を描くようなトンコリの音を響かせる。大城が奏でる、沖縄の風のように表情豊かに舞う唄三線と調和する。
 「南洋浜千鳥」などでは北海道から大城に師事し、これまでも北と南をつないできた堀内加奈子も唄三線を聞かせた。「北と南」はOKIの力強い声で〈太陽のようなお前の笑顔〉と歌い、大城、堀内の演奏とともに日本をまたぐ空間の広がりを感じさせた。
 「永良部百合ぬ花」は会場も囃子(はやし)で一体化し、「ランク節」でOKIは再びトンコリの音色を奏でる。「レッドおじさん」はOKIがベースを手に軽快に歌い、会場の手拍子が沸いた。大城が「豊年音頭」を軽快にかき鳴らすと来場者は立ち上がり、カチャーシーが巻き起こった。アンコールにも「唐船ドーイ」などで応え、北と南の音色が響き合った南国の舞台を締めくくった。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-199167-storytopic-6.html

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平取ダムも継続方針

2012-11-15 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2012年11月10日
■開発局 「凍結」全て再開濃厚
 民主党政権の「脱ダム」方針で本体工事が凍結され、再検証中の国直轄の道内4ダムすべての建設が継続される可能性が濃厚になった。国土交通省北海道開発局が9日、サンルダム(下川町)に続いて平取ダム(平取町)を「事業継続」とする方針案を決め、本省に報告。反対論が強いこの二つのダムの継続に道筋がついたためだ。
 平取ダムは治水や水道水などの多目的ダム。沙流川支流の額平(ぬかびら)川に建設され、総事業費は約573億円。下流には二風谷ダムがある。流域は過去何度も水害に見舞われているが、アイヌ民族の人口比率が高く自然環境にも恵まれていることから、反対も根強い。
 こうした状況の中、7日の専門家による開発局の事業審議委員会は、「アイヌ文化に十分な配慮を望む」と注文をつけた上で、治水、利水、環境への影響のいずれの面でも、川の掘削など他の案よりダムの方が有利と結論づけた。
 国直轄ダムの道内の再検証対象は平取とサンルのほか、幾春別川総合開発事業の三笠ぽんべつ(三笠市)と新桂沢(同)の計四つ。道などによる厚幌ダム(厚真町)も対象だが、既に国が継続を決めている。サンルは9月に開発局が継続方針案を決め、10月の国交省の有識者会議でも異論は出なかった。年内には継続が正式に決まるとみられる。
 残る幾春別の2ダムは開発局が再検証作業中だが、地元に強い反対はない。開発局はダム案が有利とする評価案を作成済みで、16日に住民の意見聴取会を開く。学識経験者や関係自治体からの意見聴取を経て、事業審議委員会に諮る。
 国は再検証対象とした全国83のダム事業のうち、これまで14を中止、25を継続と決定。国交省によると、すべて地方出先機関の方針案に沿っているという。
(渕沢貴子)
   ◇
■「結局、造りたいんだよね」
■反対派に無力感広がる
 「やっぱりねえ。結局はダムを造りたいんだよね」。北海道開発局が平取ダムの建設継続方針を決めたことに、平取町二風谷の萱野れい子さん(81)は寂しそうにこう話した。
 先月、開発局が開いた流域住民の意見を聴く場で、「二風谷ダムでもアイヌ民族の祈りの場が水没してしまった。平取ダム予定地もアイヌ民族にとって大切な場所。ダムはできない方がいい」と訴えた。二風谷に反対して土地収用をめぐって裁判で闘い、アイヌ民族初の国会議員となった故萱野茂さんの妻の痛切な思いだったが、届かなかった。
 同じ二風谷のアイヌ民族の女性(68)は「洪水対策はもちろん大事。でもダムができたらアイヌ文化もすばらしい景観も元には戻らない」と肩を落とした。
 道内の自然保護団体など16団体でつくる北海道脱ダムをめざす会も、ダムによらない治水を訴えてきた。
 同会の佐々木克之・北海道自然保護協会副会長は「再検証とは名ばかりで最初からダムありき。サンルダムと全く同じだ。我々が指摘している土砂の堆積(たいせき)問題やダム以外の洪水調節について、開発局も知事も聞く耳を持ってくれなかった」と批判した。
 一方、川上満・平取町長は5日に総決起集会を開くなど、早期完成を求めてきた。開発局の決定を受けて「凍結から3年間も待たされた。たびたび洪水被害を受けてきた流域住民の命と財産を守るためにはダムが必要。早期に着工して欲しい」と話した。
 アイヌ文化への配慮については「町の重要施策でもある。国にも万全を期すよう働きかけてゆく」と語った。
 (深沢博)
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000001211120007

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登別・小坂事務局長が現代版「アイヌ文学」発刊

2012-11-15 | アイヌ民族関連
【室蘭民報 2012年11月10日(土)朝刊】
 登別が生んだアイヌ言語学者の知里真志保(1909~61年)の生誕100年を記念し、「知里真志保を語る会」の小坂博宣事務局長(登別市在住)が、真志保の著書「アイヌ文学」に新漢字やふり仮名を付けるなどした現代版を刊行した。同著はアイヌの歴史を学ぶ上で重要な本として知られており、同会では1年掛かりで形になった同書を「知識の無い人にぜひ読んでもらいたい」と期待を寄せている。
 「アイヌ文学」は神謡などアイヌ民族に伝わる口承文芸を細かく解説している。1995年に東京の出版社から発刊された。真志保の姉・知里幸恵(1903~22年)の著書「アイヌ神謡集」の冒頭の有名な一節、「銀のしずく 降る降る まわりに」も紹介している。
 今回の現代版は表紙に真志保の母・ナミが作り現在北海道アイヌ協会登別支部に大切に保管されているルウンペ(着物)を使用。文字を少し大きく変更、旧漢字を新漢字にし送り仮名やルビを付け、拗(よう)音や促音を小文字化、誤植訂正表や年譜を加えた。
 真志保が冒頭「一般の読書人に対してアイヌ文学がどんなものであるかをやさしく解説した」とつづった遺志を継承し、読みやすさに重きを置いたのが特徴だ。
 また、アイヌ学の権威・中川裕千葉大教授が解説を寄せ、大野徹人氏(様似町在住)がアイヌ語表記についての補足を付け加えるなど「学術的に貴重な付録」(同語る会)となった。
 小坂事務局長は「アイヌ文学と聞くと難しくとらえる人もいるが、現代版は読み物としても面白く文学がどのように形成されてきたかを分かりやすく学ぶことができる」と出来栄えに満足の様子。
 10日の「アイヌ文化講演会」(北海道アイヌ協会登別支部、知里真志保を語る会主催)で初披露される。1冊1200円(税抜き)。市内の各書店で購入が可能、道アイヌ協会登別支部でも扱っている。
(粟田純樹)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2012/11/10/20121110m_05.html

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そして名画があった:/49 モスラ=玉木研二

2012-11-15 | 先住民族関連
毎日新聞 2012年11月08日
 ◇荒ぶる母が都市を圧倒
 「モスラ」はおどろおどろしい従来の怪獣映画を超え、家族で楽しめる作品を目指したらしい。1961年7月30日に封切られた。子供たちは夏休みである。
 田舎町の小学4年生だった筆者も、親が映画館に連れて行ってくれるというので、その日は朝からわくわくし、ラジオ体操も上の空。セミがけたたましく鳴いていた。
 監督・本多猪四郎(いしろう)、特技監督・円谷英二の黄金コンビ。カラーのワイドスクリーンは怪獣映画では初めてだった。原作が中村真一郎、福永武彦、堀田善衛(よしえ)という純文学畑の作家というのも異色だった。ロマンを求めたのである。
 映画の筋立てはこうだ。
 大国の「ロリシカ」は太平洋のインファント島を核実験場に使ってきた。汚染された島は荒れ、無人のはずだったが、嵐で漂着した日本船員たちが元気に生還した。島に先住民がおり、もらった赤いジュースで助かったという。
 驚いた学者らはロリシカと日本の合同調査隊を組み、島へ行く。手のひらに載るほど小さい、妖精のような娘2人(ザ・ピーナッツ)が発見された。歌うように独特の言語を発する。新聞記者の福田(フランキー堺)が「小美人」と名づけた。
 先住民があがめ、守ってきた小美人を、ロリシカの悪徳ブローカー、ネルソン(ジェリー伊藤)の一味が強奪し、東京の劇場(日比谷公会堂が登場する)でショーを開いて金もうけをする。
 平和をかき乱された先住民の憤激と祈りにモスラが目覚め、巨大な蛾(が)の幼虫(いも虫)となって海に入り、小美人を島へ取り返すため東京へ向かう。
 この61年という年は1月に米大統領にケネディが就任。4月にはソ連がガガーリン飛行士によって人類初の有人宇宙飛行に成功した。これに対し、ケネディは「10年以内に月に人間を送り込む」と表明した。
 映画のロリシカとはロシア(ソ連)とアメリカのもじりだが、実際、戦後世界を東西に分けた両大国は宇宙だけではなく、核開発競争でも戦った。この時期、アメリカや日本で核戦争をテーマにした映画が相次いで作られている。
 時代の不安が濃い影を落としていた。
 モスラの名はMOTH(蛾)に由来するが、MOTHER(母)もかけているという。世界破滅の不安を包み込んでくれる母性である。
 荒ぶる母でもある。この巨大で不死身の幼虫は防衛隊が繰り出す航空機、戦車の攻撃をはねのけ、小美人の歌声の発信源を目指して進む。
 奥多摩のダムを破壊し、横田基地を横切り、青梅街道沿いの屋並みを次々と押しつぶしながら、ひたすら東進し、渋谷に至る。
http://mainichi.jp/feature/news/20121108org00m070005000c.html

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講演会:中米グアテマラ内戦、マヤへの性暴力 「被害女性と連帯を」--15日・東山で /京都

2012-11-15 | 先住民族関連
毎日新聞 11月7日(水)16時49分配信
 中米グアテマラで内戦中に性暴力を受け、加害責任追及と自らの尊厳回復を求めるマヤ先住民族の女性たちを紹介する講演会「沈黙を破って~グアテマラ戦時下性暴力スピーキングツアー」が15日午後6時半~同8時半、京都市東山区の東山いきいき市民活動センターである。
 同国では1996年まで36年間内戦が続き、人口の過半数を占めるマヤの人々が弾圧の対象となった。20万人以上の死者・行方不明者と約200万人の難民・国内避難民を出すとともに、女性たちは政府軍が共同体を破壊するための戦略的な性暴力にさらされた。
 男性優位主義も色濃い同国で被害者の女性たちは長年にわたり沈黙を強いられてきたが、2000年に東京で開かれた女性国際戦犯法廷の国際公聴会に同国の女性活動家が参加。旧日本軍の「慰安婦」とされたアジアの女性たちが声を上げる姿に励まされ、帰国後に同国内で運動を始めた。
 その後、女性の権利団体▽心理的ケア組織▽女性弁護士団体の3組織が中心となり、10年3月に同国の首都で、戦時性暴力の責任を追及する民衆裁判を開催。被害女性110人と国内外の市民団体、各国大使館代表らが参加して政府に責任者の処罰と被害補償、再発防止などを勧告した。
 さらに同国のハイリスク事件管轄裁判所で具体的に加害者を裁くため、被害女性15人による刑事告訴と証拠集めなどの手続きが進められている。
 講演は日本ラテンアメリカ協力ネットワーク(西京区、略称レコム)が主催し、被害女性に付き添い支援している心理的ケア組織のメンバー、アリシア・ラミレスさん(36)が来日。取り組みの状況を報告し、連帯を呼び掛ける。
 資料代500円。問い合わせはレコムの佐々木さん(090・3872・0171)。【太田裕之】11月7日朝刊
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121107-00000244-mailo-l26

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白老・アイヌ民族博物館で恒例の「秋のコタンノミ」

2012-11-15 | アイヌ民族関連
【室蘭民報 2012年11月6日(火)朝刊】
 白老・アイヌ民族博物館恒例の「秋のコタンノミ」(集落の祭り)が3日、ポロトコタン内のポロチセ(伝統的家屋)で行われ、職員ら約30人が自然の恵みに感謝し、人々の健康に祈りをささげた。
 コタンノミは、イオマンテ(クマの霊送りの儀式)やチセノミ(新築祝い)と並ぶ大きな儀式といわれている。平成14年秋に始まった。ポロチセ東側の神窓そばに大地を司(つかさど)る神など13神を納め、山丸郁夫伝承課長が祭主を務め、儀式が進行した。
 ハルエオンカミ(食物による拝礼)、シラリエオンカミ(酒粕(かす)による拝礼)、トゥキウコライェ(酒杯のやりとり)、神々への祈り、シンヌラッパ(祖先供養)などが厳かに行われた。見学者は病気の神様が嫌うと考えられている酒粕を口に運んでいた。
(富士雄志)
【写真=感謝と祈りの儀式が厳かに行われたコタンノミ】
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2012/11/06/20121106m_08.html

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「ノ・ーダウト」が新作ビデオ削除、先住民からの抗議で

2012-11-15 | 先住民族関連
MSN エンターテイメント 2012年11月5日 12:03 (ロイター)
[ロサンゼルス 4日 ロイター] 米人気バンドの「ノー・ダウト」が3日、新作プロモーションビデオの内容をめぐるネイティブアメリカン団体からの抗議を受け、インターネットで公開したビデオを削除したと発表するとともに、謝罪を表明した。
問題となったのは、同バンドが11年ぶりに発表したアルバム「プッシュ・アンド・ショウヴ」からの最新シングル「ルッキング・ホット」のビデオで、2日に公開された。
ネイティブアメリカンの部族の娘に扮したボーカルのグウェン・ステファニーがカウボーイ風の男らに捕えられるというストーリーで、ソーシャルメディアでもその描写を非難する声が上がっていた。
ノー・ダウトは、「新しいビデオの意図は、ネイティブアメリカンの人々や文化、歴史を攻撃したり、傷付けたり、矮小(わいしょう)化したりするものでは決してなかった」と説明し、謝罪の意を表した。
http://topics.jp.msn.com/entertainment/movie/article.aspx?articleid=1499482

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【白老】アイヌ民族博物館で「コタン市」 町民無料パスも配布スタート

2012-11-15 | アイヌ民族関連
(苫小牧民報 2012年 11/5)
 白老町若草町のアイヌ民族博物館で3日、地元産の野菜などを格安販売する「コタン市」が初めて開かれた。町民無料パスポートの配布もこの日から始まり、多くの人でにぎわった。
 同館では以前から町民の入館料を無料としていたが、認知度は低く「少しでも足を運ぶきっかけになれば」と企画。コタン市では地元の農家など5団体がハクサイやジャガイモ、秋サケなどの旬の味覚を店頭に並べ、開始前には行列もできた。同館特製のアイヌ伝統料理「チェプオハウ」(サケの汁物)も無料で振る舞われ、人気を集めた。
 受付では、同館の入館料と駐車場代が無料となる「しらおい町民年間パスポート」がこの日だけで232人分発行された。
http://www.tomamin.co.jp/2012s/s12110502.html

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シシャモ豊漁願い伝承儀式/アイヌ協会白糠支部

2012-11-15 | アイヌ民族関連
釧路新聞 2012年11月05日
  北海道アイヌ協会白糠支部主催のアイヌ伝承儀式「第33回ししゃも祭」が4日、町和天別のウレシパチセと茶路川河畔広場で開かれた。道内各地の協会員や町民らが参加し、シシャモの豊漁と安全操業を祈願した。8月の「ふるさと祭」、9月の「フンペ(鯨)祭」に続く三大祭りの一つとして実施。町のアイヌ文化の拠点チセでは、道アイヌ協会本部副理事長の豊岡征則さんが祭司を務めてカムイノミ(神への祈り)を行った。
http://www.news-kushiro.jp/news/20121105/201211052.html

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白老・アイヌ民族博物館でコタン市~旬の味覚を堪能

2012-11-15 | アイヌ民族関連
【2012年11月4日(日)朝刊】
 白老・アイヌ民族博物館で3日、秋のコタンノミ(集落の祭り)10周年記念事業として「コタン市」を開催、新鮮な野菜やサケを買い求める町民らでにぎわった。
 町民感謝デーと銘打ち、白老産の野菜、前浜で捕れた旬のサケを安価で販売。ジャガイモの袋詰め放題は100円とあって、丸々と”太った“ジャガイモを品定めしながら袋に詰めていた。
 しらおいきのこファーム生産のシイタケには「安いね」の声が相次ぎ、早々に完売。銀ピカのサケも人気を呼んでいた。イクラ丼と熱々のオハウ(サケ汁)のセットも提供され、旬の味覚を堪能する来場者が多く見られた。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2012/11/04/20121104m_07.html

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サンデー・トピックス:アイヌ遺骨訴訟 子孫ら「早く故郷に戻して」 返還進まず北大を提訴 /北海道

2012-11-15 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2012年11月04日 地方版
 北海道大が戦前から戦後にかけて研究目的でアイヌ民族の墓から持ち出した遺骨。アイヌの子孫3人がイチャルパ(先祖供養)の妨害で、憲法で保障された信教の自由の侵害に当たるとして、北大に遺骨の返還と慰謝料900万円の支払いを求めて提訴し、第1回口頭弁論が今月30日に、札幌地裁で開かれる。政府は大学が身元の分かる遺骨を返還し、それ以外は白老町にできる施設で慰霊する方針を打ち出している。北大が過去に行った遺骨の収集に対し、司法がどのような判断するのか。【千々部一好】
 ◇「墓掘り返し1000体収集」
 軽種馬放牧地の外れにある浦河町の杵臼墓地。立派な墓石が目立つ和人墓地の隣で、雑草が生い茂る場所にアイヌの先祖が眠る墓が点在する。「アイヌの墓は水はけが悪く大雨で地面がぬかるみ、和人の墓とは違う。死後の世界でも差別されている」。原告の一人、城野口(じょうのぐち)ユリさん(79)=同町=は、周囲に迫る山が色づく墓地で怒りをぶつけた。
 ここで墓が荒らされ、遺骨や副葬品がたびたび持ち去られた。城野口さんは20代のころ、機械で地下1・5メートルまで掘り下げられ、穴だらけになった無残な姿を今も鮮明に覚えている。85年に亡くなった母親、マツさんは「あの世に行って先祖になんとわびてよいか。ご先祖様からお前らは何をしていたのかとしかられる」と言い残した。そんな遺言を胸に、城野口さんは「ここから持ち去られた遺骨を一日も早く故郷に戻してほしい。その一心で裁判を起こした」と話す。
 城野口さんら3人が提訴したのは9月14日。訴状によると、北大医学部の児玉作左衛門教授らが1931(昭和6)年から55(昭和30)年にかけて、杵臼墓地で、アイヌの同意もなく、遺骨を発掘。浦河町以外の道内各地でも繰り返し、約1000体の遺骨が収集され、アイヌのルーツや人類学の研究に利用されたと主張している。
 ■交渉に応じず
 道ウタリ協会(現在の道アイヌ協会)は82年に先祖供養のため、北大に遺骨の返還を要請。北大は翌年、納骨堂を作り、動物実験室などに保管されていた遺骨を移して安置した。84年から毎年、イチャルパを行うが、これまでに返還した遺骨はわずか35体だけ。
http://mainichi.jp/area/hokkaido/news/20121104ddlk01040092000c.html

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(3)足跡巡る旅 来春ツアーに

2012-11-15 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2012年11月03日
釧路市の阿寒湖温泉。アイヌ民族の千家(せんけ)盛雄さん(72)は、アイヌ文化の伝承や木彫活動の傍ら、観光語り部を10年以上続けている。
 「舟をこぎ、命がけで北海道に上陸した武四郎は、鉄道も道路もない中、アイヌの人たちの案内で川を遡上(そじょう)。9千以上のアイヌの地名を記録した」
 45分ほどの「語り」の半分ほどは、三重県・松阪出身の探検家、松浦武四郎(1818~88)についてだ。
 そんな武四郎ゆかりの「足跡めぐり紀行」が来春、ツアーとして商品化される。NPO法人「阿寒観光協会まちづくり推進機構」が手がけ、千家さんを中心に複数のガイドが案内する。11月には1泊2日の第1回モニターツアーがあり、北海道中小企業家同友会釧路支部の会員たちがモニターとして参加する。
 武四郎は6回にわたり蝦夷(えぞ)地を探検し、釧路を3度訪ねている。154年前の1858(安政5)年には釧路から23日かけて根室、知床、網走、弟子屈を歩いた。ツアーのコースは、武四郎の足跡から釧路、阿寒湖や摩周湖、屈斜路湖を車や船、徒歩で巡る計画だ。
 NPOのツアーデスクの阿部誠さん(30)は「武四郎が見た風景やアイヌ語の地名などを掘り起こし、全国の人たちに紹介したい」と意気込む。「ゆかりの松阪市にもぜひ売りこみたい」
 武四郎研究家で、釧路市阿寒町行政センター阿寒湖支所長の塩博文さん(58)もツアーを支援する。6月にはガイドらを対象に勉強会も開いた。「アイヌ民族の案内を受けた武四郎は、いわば観光客の代表」と話す。「この地は和人とアイヌのコラボの流れがある。63年目を迎えた『まりも祭り』も一緒に築いてきた。その源流に武四郎がいるのです」
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01001081211050002

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NEWSの窓:科学 日本人のルーツ アイヌ民族は琉球人に近い

2012-11-15 | アイヌ民族関連
毎日小学生新聞 2012年11月03日
 ◇毎日新聞論説委員(まいにちしんぶんろんせついいん)・青野由利(あおのゆり)
 私(わたし)たち日本人(にっぽんじん)の祖先(そせん)はどこからきたのか。繰(く)り返(かえ)し話題(わだい)になりますが、そのつど、興味(きょうみ)をそそられます。
 最近(さいきん)の話題(わだい)は、「北海道(ほっかいどう)のアイヌ民族(みんぞく)と沖縄(おきなわ)(琉球(りゅうきゅう))の人(ひと)は遺伝的(いでんてき)に近(ちか)い」というDNA解析(かいせき)による研究成果(けんきゅうせいか)。日本(にっぽん)の研究(けんきゅう)グループと、マレーシアからきた留学生(りゅうがくせい)が共同(きょうどう)で明(あき)らかにしました。
 実(じつ)はこの成果(せいか)は、意外(いがい)なものではありません。日本人(にっぽんじん)の祖先(そせん)については、そもそも、次(つぎ)のような説(せつ)が有力(ゆうりょく)だからです。
 「日本列島(にほんれっとう)には旧石器時代(きゅうせっきじだい)から縄文人(じょうもんじん)が住(す)んでいた。その後(ご)、弥生時代(やよいじだい)になって大陸(たいりく)から渡来人(とらいじん)がやってきた。日本(にっぽん)の本土(ほんど)では縄文人(じょうもんじん)と弥生人(やよいじん)の混血(こんけつ)が進(すす)んだが、北海道(ほっかいどう)と沖縄(おきなわ)ではあまり進(すす)まず、縄文人(じょうもんじん)の遺伝子(いでんし)が色濃(いろこ)く残(のこ)った」
 今回(こんかい)は、個人差(こじんさ)のある遺伝子型(いでんしがた)をたくさん分析(ぶんせき)したところ、この説(せつ)を裏付(うらづ)けるような結果(けっか)が得(え)られたというのです。
 この説(せつ)は「二重構造(にじゅうこうぞう)モデル」と呼(よ)ばれますが、その発端(ほったん)は約(やく)100年前(ねんまえ)にさかのぼります。当時(とうじ)、東大(とうだい)のおかかえ医師(いし)だったベルツさんが、「アイヌ民族(みんぞく)と沖縄(おきなわ)の人(ひと)は遺伝的(いでんてき)に同(おな)じ系統(けいとう)」という考(かんが)えを提案(ていあん)したのです。一方(いっぽう)、大森貝塚(おおもりかいづか)の発見(はっけん)で知(し)られるモースさんや、長崎(ながさき)・出島(でじま)のオランダ商館医(しょうかんい)を務(つと)めたシーボルトさんは別(べつ)の説(せつ)を唱(とな)えましたが、生(い)き残(のこ)ったのはベルツさんの流(なが)れをくむ説(せつ)だったのです。
 今回(こんかい)の遺伝子解析結果(いでんしかいせきけっか)で興味深(きょうみぶか)いのは、アイヌの人(ひと)から見(み)ると、本土(ほんど)の日本人(にっぽんじん)より沖縄(おきなわ)の人(ひと)の方(ほう)が遺伝的(いでんてき)に近(ちか)いこと。さらに、本土人(ほんどじん)から見(み)ると、アイヌ民族(みんぞく)より韓国人(かんこくじん)の方(ほう)が遺伝的(いでんてき)に近(ちか)いということです。
 こんな話(はなし)を聞(き)いていると、アフリカで誕生(たんじょう)した人類(じんるい)の祖先(そせん)が、長(なが)い年月(ねんげつ)をかけてやってきたはるかな道(みち)のりが思(おも)い浮(う)かびます。
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 科学記者歴(かがくきしゃれき)は20年(ねん)とちょっと。好(す)きな分野(ぶんや)は、生命科学(せいめいかがく)と天文学(てんもんがく)。大学(だいがく)では薬学(やくがく)と心理学(しんりがく)を学(まな)んだが、小学生(しょうがくせい)のころ、将来(しょうらい)の夢(ゆめ)は天文学者(てんもんがくしゃ)だった。東京生(とうきょうう)まれの東京育(とうきょうそだ)ち。
http://mainichi.jp/feature/maisho/news/20121103kei00s00s007000c.html

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