火星への道

有人火星探査の実現を夢見て!火星ミッションの情報を提供しています。

Yuri's Night 2009 Japan参加しました

2009-04-12 23:48:36 | Weblog


上の花は、記事とは関係ありません。ブラジルの花のようです。今は、日本にいないジーコを懐かしんで・・・。
武田先端知ビルは大変分かりにくかったです。地図を見ても東大の敷地内の感じでしたが・・・。
本郷三丁目で降りてつけ面を食べてからゆっくり歩いて三四郎池と安田講堂を見てたどり着くつもりが、当てにしていたつけ面屋さんがしまっていたため、刀削麺を食べました。これもありですナンチャッテ。化学教室と三四郎池、安田講堂をゆっくり回ってからが結構大変でとうとう大学内の人に聞いてやっとたどり着きました。
参加人数は確認してませんが、300人位かそれ以上だった感じですね。
学生さん主体の事務局だそうですが、その割には良くやっておられました。
秋山演亮氏が一生懸命、サポートされていたのが微笑ましかったです。
以下に講演内容を簡単に速報いたしますが、その場でのメモのみですので勘違い等有るかと思いますが、悪気はございませんのでご容赦いただきたくお願いいたします。

一番目の的川さんのお話は、ドイツのフォンブラウンとソ連のコロリョフ二人の足跡を通してロケットの開発の歴史を分かりやすく話してくれました。
それにしても、二人とも時の政府に逮捕されているんですね。
フォンブラウンはハッキリ月や火星を目指していたようですが、否応なく戦争に巻き込まれてV2ロケットの開発に携わったわけですね。V2ロケットの死者は、13,000人もいたようですがロンドンでは、あまり死んでいないのが不思議と仰ってましたが、原因はお知りではないようでした。
二重スパイのジグザグことエディー・チャップマンのことは、ご存じないのでしょうか。

http://book.asahi.com/review/TKY200903240136.html

しかしながら、的川さんのお話は大変面白かったです。
この頃のロケット開発の歴史をもっと知りたくなりました。現在のロケット技術の基礎は、フォンブラウンのV2ロケットなんですね。コロリョフは、自分で開発したかったようですが、政府の方針でV2ロケットを基にソ連のロケットを開発したとのことです。コロリョフは、ソ連政府の宇宙開発への無理解にも関らず着実に開発を進めていたのとシベリヤに送られても祖国を怨むことなくソ連の宇宙開発のことを考え続けていたという話でした。良さげな人ですね、彼に興味を持ちました。いくらでも勉強するネタはありますね。

2番目の松浦さんのお話は、①1957-1972年 スプートニクからアポロとすごい進歩をしたが、1972-2008年 スペースシャトル、ISSと進歩が遅い。
②1972年以前は、戦争的宇宙開発(要は、冷戦での敵対的競争による進歩)で1972年以後は、公共事業的宇宙開発(産業の維持育成主体で、産業が維持できれば計画における目的が達成できなくても良い)に色分けできる。
公共事業的宇宙開発によってスペースシャトルのチャレンジャー事故が起こった可能性を示唆。(つまり、固体ロケットブースターの一体型で進んでいた開発がサイアール社に仕事を出すために4分割方式が採用され、その繋ぎ目から炎が漏れたのが原因となった。)現在、開発中のアレスⅠにもその萌芽が見られる。等々、公共事業型宇宙開発は、実効性から遠ざかり成果に乏しくなる傾向が強いと指摘されてました。結構、納得の面がありました。ただ、この傾向を是正させて特に日本の宇宙開発を良い物にするための「妙案は無い」とのことでした。当面は、宇宙基本計画へのパブリックコメントを多くの人が寄せることで官僚に多人数がこの件に関心を持っていることを知らせ、いい加減なことをしないように圧力を感じさせることが必要だとのことでした。

http://smatsu.air-nifty.com/lbyd/2009/04/43-718c.html

まだ、私も読んでませんが、読んで意見を提出したいと思ってます。

三番目の寺薗さんは、月探査の目的(どう出来たか?グレートインパクトまでの話が長く、私は寝てましたが・・・。)を話されてました。
すみません、個人的に興味ない話でした。

パネルディスカッションですが、秋山さんのお陰もあり結構盛り上がりました。
秋山さんから御題として「これから15-20年、日本として何をやるべきか?」を各パネリストに問いかけました。

寺薗さん「科学的な興味から出てきた探査計画、小さな計画で良いから数多く実施する。」
松浦さん「根本から考えることが必要ではないかと思っている。ボストークの設計を例に引き、彼らはどのような事態でも必ず人間が生還できるシステムを作った。しかしながら、日本は、自分の責任でゼロから考えることを放棄している。日本の技術でやって死者が出たら駄目でアメリカのシャトルで死んでも仕方ないという感じ。自前の技術を育てないと駄目ではないか?」
的川さん「私が15-20年先のことを言っても仕方ない。必ず、自分が考えている方向へ行くと信じている。それよりも、最近は多くの若い人が関心を持ってきているので任せていけると思う。自分としては、オオスミの打上が28歳のときで次は、月だと思った。その次は、地球の引力圏からの脱出。その次は、人間を送る番だと思った。でも、日本人宇宙飛行士がISS等宇宙空間に出ているが、ロケット屋としては、自分で打上げないと楽しくない。日本の自前の技術で打上げたい。日本の頭を使って工夫すれば出来ると思う。何をやろうか、夢とか科学とかをみんなで話し合って進めたいと思う。日本の有人宇宙飛行の何が問題かと考えると、気持ちが一つになっていなかったのとやりたい人が具体的現実的案を作れなかったことと思う。」(発言内容は、完全では有りませんことお許しください。しかし、的川さんの人柄をよく理解できた気持ちがします。でも、私も60歳過ぎてますので老人にも夢が持てると言って欲しかったのですが・・・。)

あと、秋山さんが会場の参加者に話を振って
①宇宙探査を有人・無人どちらでやるべきか聞きました。
無人でやるべきとの意見
・宇宙空間で2足歩行ロボットが動いたら楽しいと思う。
・日本の作る有人ロケットは、安全ではないと思う。政治的理由で作った過去がある。
・無人で出来るだけ極めて、有人でなければ出来ないことを少しずつ実施したらよい。

有人でやるべきとの意見(私も発言しようかと思いましたが、自粛しました。)
・危険は、新幹線建設でも他の土木工事でも付き物で危険は、理由にならない。
・有人でやる場合は、自前のロケットを持つ必要がある。

②民間で出来るか実際にやっている方に聞きました。
・(?どなたか聞き漏らしました。)
 やればやるほど民間で出来るのかとの思いが強くなっている。官のサポートなしでは難しい。官民での相乗効果を期待したい。
・緒川社長(PDエアロスペース㈱)
 民間で出来ると思っている。しかしながら、法整備等官のサポートが必要である。とにかく、お金が足りない。ソーシャルベンチャーという形でお金を集めることを考えている。

最後にパネリストから
的川さん
宇宙関連をやりたいと思っている人が増えている。
宇宙基本法が密室の中で進められており、作り方プロセスに疑問を持っている。有人・無人については、アメリカの事例でスペースシャトルが使用され始めたときに、極論を言う人の意見が通り使い捨てロケットの製造ラインが廃止されたことがある。そして、アメリカのマスコミが日本は着実に1年に1機確実に打上げて科学的成果を上げているのを見習うべきだと言ったことがある。無人で極力やり、有人のほうが良い場合と組み合わせてやるやり方が良いと思う。

松浦さん
パブコメ投稿お願いします。官僚は、意見が多いと勝手なことは出来ない。

寺薗さん
科学面でも日本発の状況を作って行きたい。

懇親会は、時間の都合で残念ながら欠席しましたが、結構楽しく有意義な時間でした。でも、この議論の中で火星への入植なんて夢のまた夢です。道まだ遠きですね。でも、的川さんが仰っていた通り、興味を持つ人が増えている感じは、とても良い感じですね。
コメント (2)
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