今日は6月の第3日曜日(20日)。
周知のとおり「父の日」だが、県外に居る一人娘から昨日プレゼントが届いた。
一昨年(2019年)は「晴雨兼用の日傘」、そして昨年は「クールタオル」だったが、今年は何を送ってくれるのかと思っていたら「マンゴー」だった。
健康でさえいてくれたらそれが何よりの贈り物だが、やはりうれしい。
見解の相違で時折り言い争いをすることもあるのだが「フン、偉そうに言うけど俺がいないとお前はそもそもこの世に存在してないんだからな」が決め台詞になっていつも一件落着~。
すべて「上から目線」でいけるのは娘だけである(笑)。
唯一の不満はオーディオにまったく興味がないこと。
したがって、時折り脳裡に浮かぶのが没後のオーディオ機器の後始末。
さて、どうしたものか・・。まあ、基本的には「野となれ、山となれ」ですかなあ。
まあ、大袈裟に騒ぐほど大した機器も無いし(笑)。
ここで、ふと思い出したのがオーディオの先達だった「五味康祐」さんの名著「西方の音」に書いてあった話。
名器や名盤ともなると、所有者が亡くなるのを周囲の愛好家がじっと息を殺して待つというのがあった。亡くなったときにすぐに駆け付けて、かっぱらってくるそうだ。
まことに物騒な話だが、名品というものはそれほどの執念をもって代々育まれていくというのがオチだった。
さしずめ、我が家で少しぐらい該当する機器といえば、
「AXIOM80」の「オリジナル版」と「復刻版」、入力トランスとインターステージトランスに凝ったものを使っている「WE300Bシングルアンプ」(銅板シャーシ)、奥の深い低音を出してくれるエンクロージャー「ウェストミンスター」(改)、そして「エルガー プラス」(英国dCS)くらいかな。他には貴重かつ希少な古典管が少々。
おっと「PP5/400=PX25」(英国マツダ:最初期版)を忘れるところだった。
いずれにしてもブログの搭載が2週間以上途絶えたときがチャンスです。死線をさまようような重病でヤル気を失くしているか、あるいは「くたばった」ときですからね。
もし狙っている方がいるとすればすぐにメールください。早い者勝ちです。
娘にもよ~く言い聞かせておきますからね(笑)。
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