人生も晩年になると好きな作曲家がくっきりと色分けされてくる。
バッハはとかく「線香臭い」し、ベートーヴェンの作品はどこか「押しつけがましい」ところがある。他の作曲家たちも推して知るべし(笑)。
というわけで、モーツァルト以外の作品は敬遠する一方だが、それでもやはり例外があってどうしても聴きたくなる作品がある。
それはベートーヴェンの「大公トリオ」(OP.97)!
収録は1958年、演奏者は「ダヴィド・オイストラフ」(ヴァイオリン)、「レフ・オボーリン」(ピアノ)、「スヴャトラフ・クヌセヴィッキー」(チェロ)
モーツァルトの音楽はまず「美」の方が先に立つが、べートーべンの音楽は人間の魂を根元から揺さぶってくるようなところがある。この盤はそういう表現にピッタリである。
そして「田園」と同じく押しつけがましいところがない。
大公トリオはあの第7交響曲の少し前にあたる1811年に楽聖が敬愛する守護者ルドルフ大公に献呈した作品で、人気・内容ともにピアノ三重奏曲の最高傑作の一つとして君臨している。
作曲者本人にとっても大変な自信作だったようで初演では自らが演奏し(公開の場では最後となった)、ピアノ・トリオとしては限界を極めた作品として以後このジャンルの作曲は手がけていない。あのピアノ単独の表現の限界を極めた最後のピアノソナタOp111と似たような立場の作品である。
有名な曲なのでそれこそいろんなグループが演奏を手がけているが、じぶんが一番好きなのはオイストラフ・トリオである。ずっと以前からレコード盤として愛聴していたのだがCDの時代となり24bitのリマスタリングとして新たに発売されたので早速購入した。
ピアノ・トリオの場合どうしてもピアノの音量や響きの豊かさが目立ち過ぎて他の二つの弦楽器を圧倒する傾向にあるが、この盤は音楽的な重心がヴァイオリンにあり、トリオの間に交わされる押したり引いたりする楽器同士の呼吸がピッタリ合っているところが気に入っている。
ずっと昔、敬愛していたオーディオ評論家の瀬川冬樹氏(故人)が大公トリオを鑑賞中に感激のあまりウーンと頭を抱えて座りこまれたという記事を見た記憶があるがおそらく第3楽章(アンダンテ・カンタービレ)のところではないだろうか。
ベートーベンのアンダンテは定評があるが、この第3楽章になると、いつも心が洗われる思いがする。ベートーベンの言う「音楽は哲学よりもさらに高い啓示」とはこのことを指すのだろう。
この盤は宝物だが、どんな名曲でも耳に慣れてしまうと曲趣が薄れるのであえて滅多に聴かないようにしている。
なお、ヴァイオリン演奏のオイストラフは「20世紀のバイオリン演奏史は究極のところオイストラフとハイフェッツによって代表される」(ヴァイオリニスト33:渡辺和彦著、河出書房新社)といわれるほどの名手である。
たしかにオイストラフに慣れ親しむと、もう他のヴァイオリニストでは満足出来なくなるケースが多く、その魅力についてはとても語り尽くせない。
「オイストラフの演奏はどの演奏も破綻が無く確実に90点以上」(同書)といわれているが、コンクールでそのオイストラフを打ち負かして優勝したのが飛行機事故で急逝した「ジネット・ヌヴー」である。
昔のヴァイオリニストたちは凄かった!
まあ「昔は良かった症候群」かもしれないが(笑)。
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