今や春たけなわだが、今年の冬を振り返ってみると体感的にことさら ”きつかった” という記憶がある。
たとえば、以前は毎日のように1時間程度のウォーキングを繰り返しても全然疲労感を覚えなかったのに、今年の冬は2~3日に1回ほどは何となく気が進まない日があって、そういうときは用心をとって休んでいた。
つまり、自覚症状だけに頼っている自分の体調が果たして医学的に見て「いい状態なのか、悪い状態なのか」いまいち判然としないのがどうも釈然としないところ。
言い換えると、現状が果たして「トレーニングのやり過ぎなのか、逆にやり足りないのか、あるいはこれを乗り越えるともっと体力が増強できるのか?」という選択肢がどうもよく分からない。
こういうときに自分の現在の「疲労度」がピタリと何らかの数値で示されれば十分納得して休養を摂るか、あるいは運動を続行するのかその辺の按配がうまくいくのにと思う人は意外に多いのではなかろうか。
その点、人間に比べて金属材料の「疲労度の測定」は十分に調査研究が行われているようだ。
もちろん致命的な箇所における金属疲労によって飛行機が墜落したり、架橋が崩落したりして多数の人命が一度に失われる危険性があるので”ゆめゆめ”放置できない分野である。
金属の疲労とは、破壊力以下の微小応力が繰り返し負荷されることによって機械的強さが低下し、破壊する現象。
いささか専門的な領域になるが次の技術用語によってきちんと分類されている。もちろん本の受け売りだが題名は忘れてしまった。
1 疲労強度
一定回数の周期的応力を負荷した場合に破壊に抗する最大応力
2 疲労寿命
疲労破壊にいたるまでの応力負荷の繰り返し数
3 疲労限度
無限に繰り返し負荷しても疲労破壊を起こさない応力振幅の最大値
この指標によって現在、多くの材料の綿密な研究がなされたうえで膨大なデータが蓄積され構造物の建造や機器の生産における安全設計にきちんと反映されている。
ところが、残念なことに私たち人間の身体にとってこれらのような「疲労強度」、「疲労寿命」、「疲労限度」に当たるような指数が何一つ分かっていないのが実状である。
「人間さまよりも金属の方がそんなに大事なのか?」なんて思いたくなるほどだ(笑)。
もっとも、人間にとっての疲労は肉体的疲労のみならず精神的疲労も加わるために物理的な測定が難しいし、個々の人間によってストレス耐性も違うので万人共通のスタンダードが設定されていないのもよく分かる。
もし人間の疲労メカニズムが深く解明されて各人ごとに簡単な検査で疲労度の数値が客観的なデータとして把握できるようになればあの電通の新入社員のような過労死などの悲劇は起こらなくなるし、もっと安心できる平和な世の中になるに違いない。
これに関連して、以前のブログで「オーバートレーニング症候群」について紹介したことがある。
これは、スポーツ医学の見地から、トレーニングのしすぎによる一種の慢性疲労の状態を指したもので、主な症状は次のとおり。
基 本 症 状 疲労感+パフォーマンス低下
その他の症状 たちくらみ、動悸、息切れ、体重減少
重症になると 不眠、意欲低下、うつ状態
これらの症状を客観的に見分ける方法として「朝起きたときに脈拍をとる習慣を身につけると良い、疲労はまず脈拍に表れ、1分間に5~10拍以上増えていればトレーニングを控えたり抑える」。
これは朝日新聞の日曜版に掲載されていた記事だったが、そうはいっても脈拍を毎朝とるのも面倒だし、ときには心配事や家族との”いさかい”の名残で血圧とともに異常に高くなっている場合だってある(笑)。
それにヤル気満々の頑張り屋さんにとってはいろんなマイナスの自覚症状を、むしろ怠惰な自分自身を許すまじとして叱咤激励の発奮材料に使う場合だって十分あり得る。
というわけで、これは素人考えだが血液検査には実にいろんな検査項目があり「好中球」「リンパ球」などの免疫指数があるので、これらを動員させて総合的に疲労度を判定できる指標があると現在の自分がどういう状態か即座に分かるし、今後の健康維持にとっても大いに役にたつ。
これはいわば、「予防医学」の範疇に入るのだろうが「疲労医学」をもっと掘り下げて調査研究してもらえると病気の予防にも効果があってが医療費の抑制にもつながるように思う。
ただし、むやみに長生きを願望し「大きな塊が年金を食いつぶす」と評判の悪い”団塊の世代”以降は「世の中に役に立っている就労者」を除いて医療費は保険適用外が妥当だろう。
自分なんかはもちろん適用外に区分されるし、そもそも早く死んだ方が世の中のタメになるのは間違いなし(笑)。