太陽と花と波と緑そして命

I love mother nature,and life

ノスタルギア Nostargia

2018-02-13 06:00:00 | ボスニアヘルツェゴビナ

English follows

ボスニアヘルツェゴヴィナへ3年前に旅行した。

ボスニアヘルツェゴヴィナに関係することに触れるのは、久しぶりだ。

破天荒の森田氏、彼がそのツアーのコーディネーターだったのだが、この演劇を強くお勧めしてくれた。

演劇を見ながら、たくさんの思い出がよみがえってきた。

サッカー競技場の熱狂や、戦争の傷跡、そこで出会った人たち、、、。

I traveled to Bosnia Herzegovina 3 years ago.

It's long time since I concerned about Bosnia Herzegovina the last time.

Mr.Morita, he was a cordinator of that Bosnia Herzegovina tour, strongly recommended to watch this drama.

Many memories came up to my mind while I watched this drama.

The big excitement of football game, the ruins of the war, the people who I met there....

 

ノスタルギアはすばらしかった。

なぜ戦争は起きたのか?

誰が始めたのか?

なぜ誰もこれを止められなかったのか?

戦争とは何か?

この問いはいつも私の中にある。

民族とは何か?民族の誇りとは何か?

Nostargia was amazing.

Why did they do this?

Who did start this?

Why did someone stop this?

What is the war?

They are always one of my questions.

What is Ethnic? What is ethnic proude?

 

 

舞台装置はいたってシンプルだった。

俳優陣たちの演技はすばらしかった。

いい演劇を観賞できてよかった。

The stage setting is very simple.

Actors and actress gave wonderful performances.

Thank you for great drama.

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My memories of Bosnia and Hercegovina ボスニアヘルツェゴビナの思い出

2016-12-21 06:00:00 | ボスニアヘルツェゴビナ

I always wanted to write my memories of Bosnia and Hercegovina.

I wrote in Japanese, but I didn't translate it in English.

Thanks for my English teacher's help, I translated it, I could show you it finaly.

This is the blog in Japanese. http://blog.goo.ne.jp/jocolamer/e/91231d30d3f7fc5afd821935a70c395c

 

ずっと去年のボスニアヘルツェゴヴィナの旅の思い出記事を英語に訳したかったのですが、

この度やっと英語の先生の助けを借りて、英訳することができました。

もとの記事 印象に残ったお話 追記その2  http://blog.goo.ne.jp/jocolamer/e/91231d30d3f7fc5afd821935a70c395c

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I visited Bosnia and Herzegovina last year.
Marco, who was our tour bus driver, told us two episodes about his experience of the war.
I was very impressed and moved by his story.
With Marco.
 
 
Episode 1

As a bus driver, he went across borders between ethnic regions.
One day, when he was driving his bus, a soldier with a gun stopped his bus and asked him,
"Where are you going?".
Marco answered him, "I drive the bus route from XX to XX for more than ten years.
And then that soldier looked like feeling nonsense about what he did, he sighed and threw away his gun on the road.



Episode 2

It happened when he was driving his bus to evacuate children from the battle field. The children on the bus, they trembled hard, he asked " Why are you trembling?", they answered " Because we have to go through the zone where enemies are, then we will might be killed."

Marco said," It's OK. Don't worry."

When they passed the enemies’ place, soldiers stopped the bus.
The soldier had a lot of blackberries, and said, “Give these to the children.” and handed them to Marco.

I was very impressed by these stories.

Thanks to Taida, the interpreter, I could listen to such good stories.
I appreciate her, and Marco.

 
 
 
 
 
 
The war was finished about 20 years ago, so young people around 20 years old and teenagers don't know the war.

But around 30 years old and same ages with me and more aged people know about the before and time and after the war.

Just over 35 years old men, they were 18 to 20 years old at that time, really battled each other with guns.

I heard the story that they had to shoot their friends.

This is a board that curved the names of war victims of football players.

They all died from 1992 to 1995, they are same ages with me if they're alived.
I feel so painful. 

 
 

In old Yugoslavian age, no matter their ethnics and religions, they gathered and eat together drink tea, laughed together.

A woman said even now we also are together, "Nothing changed, I don't know at all why the war happened."

I saw a documentary TV program about Bosnia war.

A Bosniac man who immigrated in Great Britain, he visited his village, where it happened an ethnic clensing.

It made me remember Nazi and Masacre.

The Bosnia war is not a war before 70 years ago, but only 20 years ago.
 
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BiH ツアー オフ会は女子会になりました

2015-12-07 06:00:00 | ボスニアヘルツェゴビナ

夏にHISのスタディツアー、ボスニアヘルツェゴビナの旅をご一緒したメンバーと

オフ会をしたいと思い、呼びかけたのだけど、男性諸君はいろいろとお忙しいらしく

女子会になりました。

新宿の高層ビルのイアリアンレストランで、、、。

 

 

ピザは女子3人でも食べ切れなかった~!

窯のあるレストランはピザがおいしいですね。

 

4か月ぶりの再会。旅は8日間だったのだけど、何せ濃い旅だったので、あの濃い時間を

共有したら、いろんなことを語り合えるんだな。

あの旅での一番のサプライズは何だった?と恵子さんに問われて、う~ん、としばらく

考えたあとの私の答えはMrボスニアヘルツェゴビナにお会いしたことと答えた。

NGOの職員の方、と聞いていたので、みな地味な方が出てくるんだろう、と想像していたみたいだ。

私も同じ。

Mrボスニアヘルツェゴビナで現役モデルのデヤンさんを見た瞬間の、自分のテンションの上がり具合に

自分でもびっくりしたくらいだ。

たくさん語り合い、52階からの眺めも素晴らしく、大満足。

次回はスポーツバーなどで観戦しながらのオフ会などしたいですね。

 

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夏のサラエボ旅行、訂正記事 七日目その5 一部リーグのサッカー観戦

2015-11-13 06:00:00 | ボスニアヘルツェゴビナ

2015年10月4日に投稿したボスニアヘルツェゴビナの旅の記録に

大きな勘違いがありました。

すっかり遅くなってしまいましたが、訂正して、再掲します。

元の記事に※印をつけて、訂正しますね!

私のとんでもない勘違いで大きな誤解を与えてしまい、関係者の皆様には

申し訳ないです。ごめんなさい!

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最終日、最後のプログラムは一部リーグのサッカー観戦!
日本では、プロ野球も相撲はもちろんサッカーも観戦したことがない私が、サラエボでサッカー観戦するなんて。

人生何が起きるかわからないなー。^^;

最後の最後、フライトの時間の関係で残念ながら前半しか観戦できなかったのだけど、

雰囲気をたっぷり味わうことができました!

 

 

対戦チームのサポーターとホームの観客席の間には、警備隊がスタンばってます。

絶対に接触しないように、、、。

 

えー?!ここまでする?って驚きましたが、日本でもこういう風にする場合があるそうです。

カメラもスタンバイ。

 

観客席に売り子のおじさんが来ました。何を売ってるのかと思うと、、、。

※ ここから問題の勘違い部分です!

 

発煙筒ですって。これにも驚き!

※ 発煙筒なんかじゃありません!!発煙筒は一応、競技場に持ち込み禁止です!

 じゃ、これは何かというと、かぼちゃの種です。

 私たちの後ろに座っていた地元のお客さんがいっぱい食べていて私の席の後ろが

 かぼちゃの種だらけになってたなぁ、、、そういえば。

 とんでもない勘違いでお恥ずかしいです、、、。

 

 

選手入場。いよいよ始まります!

 

熱狂的なファンが集まっている席。

 

ライバルチームの席。レッドアーミー?

 

 

ホームのジェーリョに得点が入ると、スタジアムの機関車が蒸気を出して汽笛を鳴らすんですよ!

さすが鉄道会社のチームです。(^-^)

 

だんだんゲームが過熱してくると、また警備員がスタンばってます。

 

 

発煙筒たいてます!

 

熱烈なファンの席から聞こえる応援はものすごーい迫力でした!

 

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戦争と平和について考える 追記その4

2015-10-08 06:00:28 | ボスニアヘルツェゴビナ

思い出を長々と書きつづったボスニアヘルツェゴビナの旅の記録もこれが最後です。

読んでくださりありがとうございます。

何か思い出したら、また書きますね。

 

この旅をしようと思った大きな動機は、戦争と平和について考えたいと思ったからです。
 
旅から帰ってきてもう一か月以上たちますが、まだ考え続けています。

たぶんずっと考え、思い続けると思います。

どうやって戦争状態に突入していくのか。なぜ戦争になるのか。

 

 

旅を始める前と、終えた後と、日本と世界の社会状況も刻々と変わり続けています。

 

戦後70年と戦後20年の差は何か?というと、生々しさみたいなものかな。

自分よりも若い人が戦争を経験し、自分と同年代のたくさんの犠牲者がいるという事実。

70年たてば、大半の経験者がもうお年を召して、直接お話しをうかがう機会というのは、

残念ながらほぼありません。

 

旅の最中、現地の方と交流する中で、ご一緒した日本の方が勇敢にも

「なぜ戦争になったとあなたは思いますか?」とお一人お一人に疑問をぶつけていらっしゃいました。

私が聞きたくても聞けなかった質問でした。

耳をダンボにしてそれぞれの方の答えを聞いていました。

みなが「わからない。」と答えていらっしゃいました。

そして「誰もその質問には答えられないし、わからないと思う。」ともおっしゃっていました。

 

 

戦争前の平和だった時代を知っているベテランガイドのドラガンさんが

語ってくださった言葉がとても印象に残っています。

悲しいことに、ボスニアヘルツェゴビナの若者の夢は、国を出ていくことだ、と。

ただひたすらこれからの平和を願っている、経済が良くなって、若い人達が

国で仕事ができるように願っている、と。

 

若い人たちが希望の持てる社会を作っていくというのは、大人の責任ですね。

平和な世界を作るために、私ができることは何だろうか?

自分の答えを見つけるために、これからも旅をしたり、学んでいきたいと思います。

 

NHKのBSドキュメンタリーで放送されたボスニア紛争についての番組はとても興味深かったです。

http://www.nhk.or.jp/wdoc-blog/100/228404.html

 

戦争中に、尊敬していた高校の教師から収容所で尋問を受けたというボシュニャック人が、戦後10年たって

高校を訪れ、その高校教師と再び対峙して質問をぶつけるのです。

胸が痛み緊張する場面でした。

ユーゴスラビアの時代には民族が融和して平和な時代だったけど、それまでには長い長い

紛争の歴史があったようです。

そんな歴史を乗り越えて、どうか新しい平和な良い時代をボスニアヘルツェゴビナが

作っていけますように!

 

 

 

 

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