太陽と花と波と緑そして命

I love mother nature,and life

サラエボのお土産 追記その3

2015-10-07 06:00:36 | ボスニアヘルツェゴビナ

ボスニアヘルツェゴビナの旅シリーズ、お土産のことを書いておきます!

画像はないですが、日本では買えないものを!ということで、FKジェリェズニチャルの

ユニフォームと、FKサラエボのポロシャツをファンショップで買いました。

 

サラエボおすすめのお土産は、金属工芸品。

バシュチャルシヤ旧市街で買えます。

 

私はトルココーヒーのポットを買いました。

 

トルココーヒーは家で入れないので、飾ったり、花器にしようと思っています。

 

繊細な刺繍が施された小物入れは女性の友人へのお土産としておすすめです。

 

あと、個人的におすすめなのは、サラエボじゅうたん!

かわいいし、お手頃価格ですよ。

 

サラエボのビール。私はコンズムというスーパーで缶ビールお土産に買いました。

 

やはりコンズムで買ったチーズ。しょっぱいチーズです。

日本へ帰ってから、ビールやワインのつまみになりました。(^-^)

そのほか、コンズムで森田氏おすすめのオレンジゼリーがサンドされてチョコレートがかかった

やわらかいクッキーを購入。職場で好評でした。

 

ボスニアヘルツェゴビナは自然環境豊かなところ。

はちみつもおいしいということで、市場ではちみつも買いました。

 

タイーダさんにいただいたトルココーヒーのおともとしていただくお菓子。

ちょっとくるみもちに似ていておいしかったです。

 

このイチジクのチョコレートが最高においしかったのですね。

もし次回行けたら爆買い間違いなしです。

チョコレート輸入業者になって輸入したいなと思ったくらい、、、。

 

 

マルコさんにいただいた卵の飾り物。手作りっぽいなぁ。

 

たくさんの心に残るお土産をありがとう!

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

印象に残ったお話し 追記その2

2015-10-06 06:00:43 | ボスニアヘルツェゴビナ

ボスニアヘルツェゴビナの旅で、現地の方と交流してとても印象に残ったお話しがある。

それは、バスの運転手のマルコさんのお話しだ。

戦争中のエピソードを二つ語ってくださった。二つともお仕事中の出来事。

 

マルコさんと。

 

一つ目のエピソード。バスの運転手のマルコさんは、いくつかの民族の境界線をまたいで路線バスを

運転していた。ある時、銃を持った兵士にバスを止められて、「どこに行くんだ?」と質問された。

マルコさんは、「私は〇〇から〇〇までの路線を何十年もバスを運転している。」と答えたら、

その兵士は自分のやっていることがバカバカしくなったみたいにため息をついて、銃をその場に

投げ捨ててしまったそうだ。

 

 

二つ目のエピソード。

戦地から疎開させるために、子どもたちを乗せたバスを運転していた時のこと。

バスに乗った子どもたちはガタガタ震えていたので、「なぜ震えているの?」と聞くと、

「これから敵のいる場所を通らなくちゃいけないので、殺されるかもしれないから。」と言った。

マルコさんは「大丈夫だよ。」と言った。

敵の場所を通った時に、途中で兵士にバスを止められた。

兵士はブラックベリーをたくさん持っていて、「これを子どもたちに食べさせてください。」

と言って渡してくれた。

 

 

とても印象的なお話しだった。

タイーダさんが通訳してくれたおかげで、こんないいお話しを聞くことができた。

ありがとうございます。

 

戦争は20年前の出来事だったので、20歳くらいの若い人は戦争を知りません。

でも30歳くらいの方たちや、私と同じ年代やそれ以上の人たちは、戦前戦中戦後を知っています。

ちょうど30代後半からの男性は、当時18~20歳だったので、銃をとって実際に戦ったのです。

友だちを銃でうたなければならなかったという話も聞きました。

 

サッカースタジアムにあった戦争犠牲者の選手の名前が刻まれたプレート。

私とほぼ同年代の方がみな1992年から1995年の間に亡くなっている。

胸がキリキリする、、、。

 

旧ユーゴスラビアの時代は、民族宗教関係なく、みな集まって一緒に食事をしたり、

お茶を飲んだり、笑いあったり、、、。今でもそうよ、と話してくれた女性もいました。

何も変わらないわよ、なぜ戦争になったのかさっぱりわからない、と。

 

昨日の夜、ちょうどNHKのBSドキュメンタリーで、ボスニア紛争の番組を放送した。 イギリスに移住したボスニャック人が、かつて住んでいた村を訪ねるという番組だ。 ごく小さな村で起きた民族浄化の出来事。 ナチスの収容所や虐殺を思わせる。ボスニア紛争、それは70年前ではなく20年前の出来事だ。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボスニアヘルツェゴビナでやり残したこと 追記その1

2015-10-05 06:00:53 | ボスニアヘルツェゴビナ

とても濃かった今回の旅。

それでもやり残したな、ということがいくつかある。

●その1 温泉に入る。

温泉大好きな私は、ホテルのすぐそばに温泉があると聞いたら、絶対入りたい!

しかーし!スケジュールめいっぱい、なかなか行けず、最終日が最後のチャンスと、行こうとしたけど、なんやかやで断念。ホテルのプールで泳いで我慢することに…。

 

※ 旅の三日目、FKクリロの関係者と交流会をした時に、楽しそうにプールに

飛び込んでいたボスニアヘルツェゴビナの男たちと日本の男約1名。^^

 

●その2 夜遊び、あるいはミュージックバーに行く

これもスケジュールめいっぱいで、そこまではできなかった。でも、ホテル近くのカフェバーが集まっている通りのライブバーを少し通り掛かりにチラ見した限り、ちょっとイスラムテイストの入った超カッコいい音楽をやっていた!

しかも、またサラエボの若者が集まる街をちょっとだけ通ったけど、サラエボは夜遊びの街としても有名みたいだよ。
とてもにぎわっていた。

 


 
●アイスクリームを食べる

お食事が毎回豪華だったので、入る余裕がありませんでした。


 
●ラフティングなどの川遊び

飛び込みも、あまり高くないところからだったら、やってみたいかも。

 

● ラキア作り、ボスニア料理体験、まき割り、などの田舎暮らし体験

これもすご~く魅力的です。


 
●トルココーヒーでまったり

オスマントルコ式カフェで半日まったり過ごしたい。

 

●ジョギング

利根川楽走会、サラエボ支部として、サラエボの町を走る。

ヴレロボスナ公園など走ったら最高でしょう。

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七日目その4 セルビア系のレストランで最後の昼ご飯

2015-10-03 06:00:00 | ボスニアヘルツェゴビナ

お昼にイナトクーチャの近くにまた集合した後は、最後のお昼ご飯を食べに行きました。

みなで歩いて行きました。

最後の方になってサラエボの地理もだいぶつかめてきました。

FKジェリェズニチャルのユニフォームを着ていたツアーメンバーは、道を歩いている途中に

地元サラエボのファンに呼び止められて、一緒に写真を撮らせてくれと頼まれたりしていました。

私もユニフォーム買ったのですが、ツアー中は着る勇気がなかったのです。

だって、ライバルチームのファンに出くわした日には、「No!No!」とか言われたりするんだもん。

でも、たまたま入った土産物屋がジェーリョのファンで、一緒にいた恵子さんがユニフォームを着ていて、

喜ばれ、お土産を割引してくれるという恩恵にもあずかりました(^-^)

 

 

セルビア系の素敵なレストランに到着。

 

結婚パーティーなんかをやりそうな素晴らしい空間でしたね~♪

 

一度肉死にしたものの、この時は完全復活し、とってもおいしくいただきました。

デザートまで完食できました。

 

ツアー中お世話になった安全運転のベテラン運転手マルコさんと。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七日目その3 旧市庁舎ヴィエチュニツァ

2015-10-02 06:00:00 | ボスニアヘルツェゴビナ

お土産を買ったバシュチャルシヤ旧市街からは、目と鼻の先です。

歩いて向かいます。

ヴィエチュニツァの外観です。

外からは何度も見ていましたが、やっと中に入ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一階のホールでは写真展をやっていました。

どうやら戦争中に虐殺されたイスラム教徒についての写真展のようです。

遺体の発掘などの様子の写真でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする